キャッチボールケツ痛物語 by 太朗
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1、日曜日の午後、空き地にて
昭和50年代初め、マンガ・サザエさんの舞台にもなった世田谷区のとある住宅街にポッカリと空いた一区画の土地。近所に住む少年たちは、そこをただ単に「空き地」と呼んでいた。
その「空き地」は、野球ができるほどの広さはなかったが、キャッチボールをするには十分な広さだった。そして、不思議なことに、その「空き地」にはいつまでたっても新しく家が建つことがなかった。かといって、定期的に草取りなどが行われ、いつでもきれいに整備されている。それはまるで近所に住む腕白少年たちに、そこでキャッチボールでもして遊んでくださいといっているかのようだった。
パチィ〜〜〜〜ン!!!
パチィ〜〜〜〜ン!!!
ある日曜日の午後、その「空き地」ではいつものように、子供たちが賑やかにはしゃぐ声に混じって、少年たちの放る野球のボールがグローブのポケットに打ちつけられる小気味良い音が響いていた。そうキャッチボールの音である。
その日は、近くの区立学校に通う小6の山田健太、鈴木大介、斉藤亮太の三人がキャッチボールをやっていた。三人とも父親に買ってもらったばかりの自慢のグローブを手にしていた。
その日は三人とも母親たちに早目の昼ごはんを頼みこみ、速効で昼ごはんをすませ、その「空き地」の一番奥の一番「いい場所」を確保できていた。
世田谷区の密集した住宅街の中、近くに適当な公園がなく、また小学校の校庭も地元のリトルリーグチームの練習に使われていて、その「空き地」は、少年たちが手軽にキャッチボール遊びをする場として使われていた。
パチィ〜〜〜〜ン!!!
パチィ〜〜〜〜ン!!!
パチィ〜〜〜〜ン!!!
パチィ〜〜〜〜ン!!!
「ナイスボール!!」
「いいよ!!いいよ!!球が走ってる!!」
その三人の少年たちは、頭の中では、プロ野球選手か甲子園球児たちになりきって、お互いに声をかけあいキャッチボールを楽しんでいた。そんなリズミカルなボールをキャッチする音が、山田健太の投げたボールによって止まってしまう。
「あっ!!!!」
その球は、球を受けようとしてグローブをかまえる鈴木大介の頭のはるか上を通り越し、その「空き地」の奥にある家の裏塀を越えて、その家の裏庭に飛び込んで行く。
そして、
「ガチャン!」
と、なにかが割れたような音が、塀の向こう側から響いてくるのだった・・・。
「ああ・・・またやっちゃった・・・・」
と、斉藤亮太。
球を投げた山田健太は、
「ったく・・・あのくらいの球、捕ってよ・・・」
とブツブツ不満顔。
一方の鈴木大介も、プッと頬をふくらませて、
「健太の球って、いつも高いよ!!」
と山田健太に文句を言う。
もちろん、健太も、
「あのくらい、ジャンプすれば捕れるよ!!」
と負けてはいない。
そうしているうちに、塀の向こうからは、
「コラァ〜〜〜〜〜!!!!わしの大切な盆栽の植木鉢をわったのは誰だぁ〜〜〜〜!!!」
と、ものすごい剣幕の怒鳴り声が聞こえてくるのだった。それは、よく通るド迫力の声で、その空き地全体に響き渡り、いままでワイワイガヤガヤと騒がしかった子供たちの声が、水を打ったようにシ〜〜ンと鎮まりかえるのだった。
「おまえのせいだぞ!!」
「なんだと!!おまえがとれなかったから!!」
と、山田健太と鈴木大介は、お互い睨みあい、いまにも取っ組み合いのケンカをはじめそうな雰囲気。
こんな時、二人の仲裁にはいるのが、三人の中では一番おとなしい、斉藤亮太だった。
「健太も大介もやめろよ・・・それより、ボールをとりに行ってこいよ・・・」
「ヤダ!!俺は絶対ヤダからな!!」
「俺だって!!」
と、健太も大介も、自分から進んでは絶対にボールを取りに行こうとはしない。
それには理由があった。健太や大介たちだけではない。その空き地で遊んでいる誰もが、女子も含めて、球を取りに行った子が、その怒鳴り声の主からどのように叱られるのか知っていたのだった!!その声の持ち主は、特にその空き地でキャッチボールをする少年たちにとって、鬼のように怖い存在の人だったのだ。
そうしている間に、再び、塀の向こう側からは、
「コラァ〜〜〜〜〜!!!!ボールがここにあるぞ!!返してもらいたかったら、早く取りに来い!!!」
と、さっきよりも、さらに苛立った大声が響いてくる。
空き地にいる子供たち全員が、すでに真っ赤な顔の健太、大介、亮太の三人のことを黙って見守っていた。
やはり空き地で遊んでいた同じクラスで女子学級委員の伊藤さんが、
「あんたたち!早く行きなさいよ!!」
と、お姉さんぶって、三人に言う。
伊藤さんの呼びかけには、当然、無視する振りをしつつも、
「よし!!じゃんけんで決めようぜ!!」
と、ついに山田健太が提案する。
「よし!そうしよう!!」
と、鈴木大介が同意する。大介は、そう言いながらも、なにか重大な決意でもするかのようにゴクリと生唾をのみ、うなづく。それはまるでなにか演技でもしているかのようにわざとらしかった。
「えっ!また・・・」
と、困ったような顔になる斉藤亮太。亮太は、前回、前々回とジャンケンに負けて、一人、その塀の向こう側へボールを取りに行かされたのだった。そして塀の向こう側では・・・。
しかし、どんなにいやでも亮太には、健太と大介に異を唱えるガッツと勇気がまだなかった。それを知っている二人は、亮太の困ったような顔など無視するかのように、
「じゃあやろうぜ!!」
「男らしく正々堂々と勝負だ!!ジャン!!ケン!!ポン!!」
と、ジャンケン勝負を始めてしまう。
その空き地の子供たち全員が、ジャンケン勝負の成り行きを見守っていた。特に、亮太たちと同じクラスで学級委員の伊藤さんは心配そうな顔つきだった。
気が進まないながらも、生真面目な斉藤亮太は、後出しなどしたら二人になにをいわれるかわからんと、あわててそのジャンケン勝負に加わる。
ジャンケンポン!!!!
そして、結果は・・・健太がチョキ、大介がチョキ、亮太がパー。勝負は一発決まりで、亮太の負けだった。
「えっ・・・・またボクが行くの・・・・」
と、亮太の声は、もう半分泣いているかのように弱々しかった。
「亮太!!グズグズ言うなんて男らしくないぞ!!約束だろ!!」
「そうだよ!!ジャンケンに負けたんだから、おまえが行くの!!」
と、健太と大介は、亮太がとりつくしまもなかった。これでその日の犠牲者は決まったのだった・・・。
背後からは、
「えっ・・・また斉藤君が行くの・・・」
と、女子たちのヒソヒソ話も聞こえてくる。
「うるせえな!!」
と、健太と大介は、その女子たちを睨みつける。
亮太は、あきらめたように肩を落とし、
「じゃあ、行ってくるから・・・」
と、トボトボと、その恐ろしい怒鳴り声が聞こえてくる塀の方へ歩き始めるのだった。
その後ろ姿は哀れそのもの・・・無意識にだろうか、それとも意識的にだろうか、亮太は、自分のピッチリしたデニムの半ズボンのケツを右手でさすっているのだった・・・。
そんな亮太の後ろ姿を見送りながら、もう自分たちの声が聞こえないくらい亮太が離れたことを確認すると、健太と大介の二人は、
「あいつジャンケン弱いよな・・・」
「弱いっていうより・・・バカなんだよな・・・いつも最初はパー出すんだもん・・・」
と、友達らしからぬ、なにやら聞き捨てのならないことをヒソヒソと話しているのだった。
「またやられるのかなぁ・・・アイツ・・・」
「あぁ・・・この前のよりもひどいかも・・・」
と、健太と大介の二人も、なぜか、自分たちのジーンズのケツも右手でそこはかとなく撫でまわしているのだった。
2、ご近所の頑固爺さん
児玉大一郎は、紺の作務衣(さむえ)を着て縁側に座り、少年たちが自分たちの投げ込んてしまったボールを取りに来るのを待っていた。
「なんで早く来んのだ!!チッ!!また誰が取りに来るのかジャンケンでもして決めておるんだろう・・・ったく、それでも男か!!」
とブツブツいいながらも、両腕は胸の前で組んで、眼光鋭く前をジッとみつめて、少年たちがボールを取りに来るのを待っていた。
一分、二分、三分・・・・いつまでたっても誰も来ない・・・。短気な大一郎のいらいらが募る・・・。
「ええぃ!!この期(ご)に及んでなにをグズグズと!!こりゃ、もうひと押しせんといかんかな!!」
そうつぶやくように言うと、大一郎は、縁側からスクと立ち上がり、自分の家の裏庭の木塀の方、すなわち子供たちが遊んでいる空き地の方を向くと、大股開いて仁王立ちし、
「コラァ〜〜〜〜〜!!!!ボールはここにあると何度言わせれば気が済むんだ!!!早く取りに来い!!!」
とさらに大声を上げて、少年たちにボールを取りに来るように促すのであった。
児玉大一郎は、その年、還暦を迎えていた。若いころ海軍で鍛えられた猛者で、60才のわりには身のこなしが軽かった。そして、赤銅色に日焼けし、血色もよく、180cmの長身に加えガッシリとした体躯を持つ、大正生まれにしてはかなりの大男だった。海軍時代は、その体躯が上官の目にとまり、戦艦の甲板でよく行われた相撲大会の代表に選抜されたものだった。
大一郎が三度目の怒鳴り声を上げた直後、
「す、すいませ〜〜ん・・・ボ、ボールをとらせてくださぁ〜〜い・・・」
と、怯えたような弱々しい声で、一人の少年が裏木戸を遠慮がちに開けて、顔だけのぞかせているのだった。
その少年の顔には見覚えがあった・・・大一郎は、
「ほお・・・また先週の子か・・・たしかこれで三回目・・・うん・・・さいとう・りょうた君だったな・・・」
と思い、厳しい顔をつくりながらも、内心、うれしさを隠しきれないのだった。
以前は、大一郎の家にボールを投げ込んでしまいボールを取りに来る「常連」の、すなわち、顔見知りの少年たちが近所に何人もいたものだった。いや、近所のほとんどの少年たちが、大一郎と顔見知りだったと言っても過言ではない。
大一郎は、少年たちが家のガラスや盆栽の植木鉢を割ってしまった場合のみ、親に連絡して親に弁償させる代わりに、その少年たちを膝上にのせ、尻を平手で数回叩くことを主義にしていた。親にフォローさせるよりもその方が、少年たちは、他人に迷惑をかけた責任を痛感できるだろうと思ってのことだった。
少年たちは、大一郎から尻を叩かれたことを、恥ずかしさもあってか、そしてさらには、当時はそんなことが親に知れたら今度は親から叱られることもあってか、親たちにはほとんど話すことはなかった。
そして、親たちも、文句を言いに行ったところで大一郎から「あんたたちは子供に甘すぎる!!最近の親はなっとらん!!」と恫喝されるのが落ちとあきらめているのか、大一郎のところに苦情を言いに来る親もほとんどいなかったのであった。
もちろん、「よくぞうちのバカ息子を叱ってくれました!!次回はもっと厳しくお願いします!!」と菓子箱を持って礼を言いに来るつわものの親も、まだまだ決してめずらしくなかった時代であることは、いまさら述べるまでもない。
大一郎は、一回目の失敗はズボンの上から「尻5回」、二回目はズボンを下ろして「パンツの尻5回」、三回目以降はズボンもパンツも下ろして「むき出しの尻10回」と、少年たちへの仕置きをそう決めていた。
そう、近所には、大一郎の「顔見知り」だけでなく「ケツ見知り」の少年たちが多かったのである。それは、大一郎自身が、
「以前は銭湯へ行けば、毎回、尻(しり)あいの腕白坊主数人から挨拶されたもんじゃ!!ヤツらはわしに顔だけじゃなく、尻を憶えられてるもんだから、わしからは逃げられんのじゃ!!わしに尻を見られてるから尻(しり)あいなんじゃな・・・ガハハハ!!!」
とつまらないギャグを交えて豪語するほどだった。
しかし、ここ数年というもの、児玉大一郎宅の裏庭には、同じ少年が二度以上ボールを取りに来ることが、ほとんどなくなっていたのだった。 裏庭に一度でもボールを取りに行き、大一郎から「尻5回」を食らえば、どんな腕白少年でも、もう二度とあそこへはボールを取りにいきたくないと思うのももっともであった。
昭和50年代初めといえば、硬式野球部では、まだまだケツバットがさかんだった時代だ。
例えば、練習後、ボールが一球でも見つからなければ、一年生たちは、暗くなるまでそのボールを探さなければならす、それでも見つけられなければ、整列させられ、見つからなかったボールの数だけ先輩たちからケツバットを食らったものだった。
こうして、球児たちには物の大切さが叩き込まれたのだという。しかし、裏を返せば、これは、バットでケツをガツンと殴られその痛さとともに叩き込まれなければ物の大切さがわからないといった風潮がすでにここ日本には蔓延していたことを意味する。
すなわち、叱られて「尻5回」を食らうくらいなら、ボールの一球くらいいいやと、大一郎のところへボールを取りに来ないキャッチボール少年たちが年々多くなりつつあるのが現実だったのだ。
健太と大介にしてもそうだった。ジャンケンの弱い亮太がいるからこそ、「安心」してその空き地でキャッチボールが出来るのであった・・・。
泣きそうな顔をして自分の方へ恐る恐る近づいてくる亮太に、大一郎は、
「久々に常連の腕白坊主登場じゃな・・・こりゃ、しっかり叱ってやらんといかんかな・・・クゥクゥクゥ」
と、やけにうれしそうにデカくて逞しい両手のひらに予熱でももたせるかのように、しきりにスリスリ、スリスリと手のひらをすりあわせるのだった。
しかし、一方で、
「チッ!また一人で来おったか・・・」
と、ガッカリもするのだった・・・。
もとより、キャッチボールは一人ではできない。最低でも二人が必要だ。なのにボールを取りに来るのはいつも少年一人だけだった。
「最近の子供らには『連帯責任』という美徳意識がないのか・・・わしらが軍隊にいた頃は、班員の一人でも失敗をしでかしたならば、班員全員で上官のところへ出頭し、全員いさぎよくケツを出してぶん殴られたもんだ!!」
と思うのだった。
3、大一郎のおケツ撫で撫でお説教
大一郎は、自分の前に小刻みに震えて立つ亮太を、厳しい顔でにらみつける。大一郎は、口ひげをはやしており、厳しい顔をすると、鍾馗(しょうき)様のような形相となる。そんな怖い顔で睨みつけられた亮太は、もう本当に怖くて怖くて、大一郎の顔さえみることができなかった。
「ご、ごめんなさぁ〜〜い・・・ボ、ボールを・・・・」
と、蚊の鳴くような声で言う亮太に、大一郎は、
「ボールは君の後ろにある!!後ろをみなさい!!」
と、亮太の肩越しに、亮太の後ろの方、すなわち、大一郎の家の木塀の方を指さすのだった。
後ろを振り向いた亮太に、大一郎は、
「さあ、後ろになにが見えるか答えなさい!!」
と、厳しく尋ねる。
「ボ、ボールと・・・」
「ボールとなんだ?」
「ボールと、われた植木鉢・・・です・・・」
「うむ!そうだな・・・あの植木鉢はだれがこわしたんだ?」
「ボ、ボクです・・・ボクの投げたボールが・・・」
「それは本当か?」
「・・・・・」
大一郎にジッと目をみつめられ、怖さもあってか思わず目をそらしてしまう亮太。
大一郎は、亮太がウソをついていること見抜くのだった・・・。
「この坊主は、仲間をかばうためにウソをついているな・・・さて、どうしたものか・・・」
と、大一郎は 一瞬思案するが、その決断は早かった。これ以上、亮太を追求するのはやめようと思うのだった。大一郎も、海軍生活を通して、男というのは、時として、仲間のためにウソをつかねばならぬことを知っていた。その仲間がどんなクズ野郎であっても・・・。
「よし!!もうわかっているな!!ボールを返してやる前に、罰はしっかり受けてもらうぞ!!」
「は、はい・・・・ご、ごめんなさい・・・グスン・・・」
覚悟はしていたものの、「罰」と聞いて、前回のつらくて恥ずかしい思い出が、亮太の脳裏によみがえり、目がしらがカァ〜ッと熱くなるのだった。もちろん、親は助けにきてくれない。涙を必死でこらえる亮太だった。
「男だったら泣くな!!罰を受ける時も、堂々としているのが男だぞ!!さあ、こっちへきて屈み、ケツを出すんだ!!!」
と、大一郎は、縁側に座ったままで自分の作務衣の膝を指しながら、心を鬼にして、亮太に指示するのだった。
「可愛いヤツだ・・・。」
と大一郎は思った。大一郎も子の親で、亮太くらいの孫もいるのだった。大一郎には三人の息子がいるのだが、すでに三人とも独立していた。大一郎は、かつて息子たちを育てるにあたり、海軍式のスパルタ教育を、あまりにも厳格に息子たちに施しすぎていた。それもあってか、息子たちは、職に就き独立すると、すぐに家を出て、孫ができても近寄ろうとはしなかったのだ。
三回目の亮太は、躊躇しながらも、慣れた感じで、大一郎の作務衣の膝の上に屈んで、ピッチリ目のデニム半ズボンのケツを出すのだった。
大一郎は、大きく分厚い右手のひらで、亮太の半ズボンのケツを撫で始めるのだった。その手のひらの硬さが、半ズボンを通して、亮太のケツにも伝わってくる。思わずゾクッとして、身をすくめるようにする亮太だった。
亮太のケツをさすりながら、
「よし!!おまえはこれで三回目だから、いままで以上にしっかり反省してもらうため、ケツをめくって10回厳しく叩くことにする!!いいな!!」
と、生ケツ叩きの罰を宣言する。
「えっえぇ・・・・」
と、思わず声を上げる亮太。
首を後ろにまわして、なにかを懇願するように、ウルウルの目で大一郎の方を見る亮太。しかし、大一郎は、厳しく首を横に振り、
「ケツをめくって10回だ!!いいな!!」
と、亮太の無言の訴えを却下する。
そして、いままで、自分の息子を含めて半ズボン腕白坊主のケツを何度も教育のために叩いてきた大一郎は、慣れた手つきで、亮太の半ズボンの前のジッパーの上にあるボタンを外し、ジッパーを少し下ろすのだった。そして、半ズボンと白ブリーフパンツの腰の部分をグイとつかむと、それを一気に下ろそうとする!!
亮太は少し抵抗するように、
「あぁ・・・パ、パンツは・・・」
と言って、右手でそれを止めようとする。
しかし、大一郎は、亮太の右手をパチンと叩いて振り払うと、
「なんだ、男のくせに、ケツをめくられるのが恥ずかしいのか?」
と、亮太に聞くのだった。
「い、いいえ・・・で、でも・・・・」
「でも、なんだ?やっぱり恥ずかしいんだな?」
「・・・・」
亮太は無言のままコクリと頷き、顔を赤らめる。
「男だったらこのくらい恥ずかしくない!!堂々と、己のケツを、おてんとう様の方へむけて、高ぁ〜〜く高ぁ〜〜く挙上するんだ!!!」
と、大一郎は言い放つ。
「きょじょう?」
亮太は、大一郎の言う「挙上」の意味がわからなかった。大一郎は、そんな亮太の顔をのぞきこむようにして、人差指を立てて、「上だ!!上!」という動作をするのだった。
さらに、
「手を上げることを挙手(きょしゅ)と言う、それに対して、ケツを上げることを挙ケツとはいわん。挙上というのだ。男だったら、そんなことくらい憶えておけ!!!」
と、解説も加える。
しかし、それは、元海軍軍人・大一郎独特の誤解であった。
本来「挙上」とは、医学用語で、特に四肢などの患部を心臓よりも高い位置に持ってくることを言う。
昔、大一郎は、徴兵検査で、四つん這いとなりケツを検査される際、軍医から、
「バカもん!!それでは貴様の尻の穴が見えん!もっと尻を高く挙上せよ!!」
と命令され、ケツを平手で一発パチンとやられたことがいまでも脳裏に焼き付いているのだった。
確かに四つん這いになってケツを後ろへ高く上げればケツは心臓の位置よりも高くなるかもしれない。しかし、もちろん、その時の軍医は、医学用語をわざとつかって、自分の「権威」を高めようと演出したにすぎなかったのであろう。
やっと大一郎の言っている意味がわかった亮太は、くしくも医学用語の定義通りに、己のケツを心臓よりも高い位置に持っていくかのように、プリッとかわいらしく、上に突きたてるようにしてむき出しの裸のケツを上げるのだった。
「よし!それでこそ男だ!!」
と満足そうにうなづくと、大一郎は、亮太の生ケツを、ゴツくて硬い大きな右手のひらで、撫で撫でし始めるのだった。
亮太は今度は生ケツで、大一郎の右手のひらの、大きさ、硬さ、そして、温かさを感じるのだった。その温かさは、単にケツで感じる物理的温かさだけではなく、心にジンと感じる温かさであった。
大一郎は、亮太の生ケツを撫でながら、
「君は、おとうさんから尻を叩かれたことがあるか?」
と聞くのだった。
大一郎があまりにもまんべんなく亮太のケツを撫でるものだから、亮太はケツはかなり温かくなり、なんか大一郎の膝上で生ケツを出していることが心地よくなり始めていた。
これから、あの痛いケツ叩きを受けるなんて忘れたかのように、亮太の緊張はやや緩み、
「は、はい・・・時々・・・う、うそをついたりした時・・・です・・・」
と、答えるのだった。
「ウム!!ご両親にウソをついてはいかんぞ!!」
と諭す大一郎。
それに対して、亮太は、
「はい!」
と答えるのだった。
そして、大一郎のおケツ撫で撫でがピタリと止まる・・・しかし、大一郎の大きな手のひらが、己のケツのド真ん中に接触していることを、亮太は感じていた。
「あ〜来る・・・」
と思って、再び緊張し、気を引き締め、そして、ケツをキュッと引き締め、生ケツ叩きの罰に備える亮太。
亮太の期待は裏切られなかった。大一郎は、厳しい声で、
「よし!一発目いくぞ!!今日のはいつもよりちょっとキツいぞ!!」
と言い終わるが早いか、亮太の生ケツのど真ん中に照準をあわせていた右手のひらを頭の上までグッと上げると、ブン!!と一気に、亮太の生ケツめがけて、振り下ろすのだった!!
バッチィ〜〜〜〜〜ン!!!!!
それは、亮太の父親から食らった生ケツ叩きよりも、そして、前回、前々回と、半ズボンそしてパンツのケツに食らった平手よりも、何十倍も重くて衝撃のある平手打ちだった。ズゥ〜〜ンとケツから脳天まで、衝撃が一気に亮太の体を突き抜ける。そして、熱い痛みがジワジワジリジリと亮太のケツに襲いかかるのだった!!
「い、痛い!!!!!」
と思わず声をあげてしまう亮太。
「三回も同じ腕白をしでかしおって!!これじゃ、いくら植木鉢があっても足りん!!!痛くて当たり前だ!!しっかり歯を喰いしばって我慢せい!!」
と、厳しい大一郎。すぐさま二発目が炸裂だった!!
バッチィ〜〜〜〜〜ン!!!!!
今度は、中央よりやや下。太腿に近いあたりだった。ここも痛い!!
「い、痛い!!!!」
と、再び声をあげてしまう亮太。
その声は、木塀の向こう側で、固唾をのんで「音」に耳を傾けていた大介や健太、そして子供たちにも聞こえていた!!!
「い、いつもよりもすごい音だ・・・・」
と、みんな思うのだった。
バッチィ〜〜〜〜〜ン!!!!!
バッチィ〜〜〜〜〜ン!!!!!
バッチィ〜〜〜〜〜ン!!!!!
と、三発目、四発目、五発目のいつもとは少し違うケツ叩きの音が、塀の向こう側から聞こえてくる・・・。
いつもボールの投げ込んでなにかをこわした時の罰はケツ叩き5発だった。そのことを空き地で遊んでいた子供たちだれもが知っていた。
しかし、
「お、終わった・・・亮太・・・どんな顔して戻ってくるかな・・・」
と大介と健太が思った時だった。木塀の向こう側から、さらに、
バッチィ〜〜〜〜〜ン!!!!!
と六発目のケツ叩きの音が聞こえてきたのだった!!
空き地にいた子供たちは、みんな顔を見合わせてヒソヒソ話をするのだった。なかでも一番心配顔で事のなりゆきを見守っていた、亮太たちと同じクラスで女子学級委員の伊藤さんが、
「ちょっと、山田君も鈴木君も斉藤君と一緒にキャッチボールしてたんでしょう!!心配じゃないの?見てきなさいよ!!!」
と、言うのだった。
「うるせぇな!!」
と健太も大介も伊藤さんを睨みつけるが、それに負けじと二人を睨みつける伊藤さんの「女子の目」に、一瞬たじろぐ、二人なのであった。
山田健太は、プッと頬を膨らませて、
「わかったよ!!みてくればいいんだろ!!大介、一緒に行こうぜ!!」
と言うと、強引に大介と肩を組み合い、亮太のケツ叩きの音が聞こえる、大一郎の裏庭の木塀の方へ近づいていくのだった。
その木塀は古く一部朽ちている部分もあり、ところどころに小さな穴が開いていた。その穴に、恐る恐る目を近づけ、塀の向こうの、亮太の様子を覗こうとする健太と大介だった・・・。
ケツむき出しでの膝上尻叩きの罰も後半の佳境・・・七発目になろうとしていた。一発目、二発目の頃は、一発叩かれた後、温かみはケツに残っているものの痛みはスゥ〜と消えていた。しかし、七発目ともなると、いままで叩かれた累積の痛み効果が亮太の生ケツにジワジワときいてきていた。
六発目の痛みがまだジンジンと残るなか、
バッチィ〜〜〜〜〜ン!!!!!
と七発目のキツイ容赦のない平手打ち一発が、亮太のすでに真っ赤なケツのど真ん中めがけて遠慮会釈なく振り下ろされるのだった。
「いっ!!痛い!!!」
と、思わず大一郎の作務衣の太腿にしがみついてしまう亮太だった。むかし軍隊で鍛えた大一郎の太腿は、亮太の父親の太腿に較べると、鋼のように硬かった。
「まだまだ!!根を上げるのは早いぞ!!あと三発だ!!ほら、ケツが下がってきておる!!もっと、上だ!!男だったら、堂々とおてんとう様の方に向けてケツを突き上げろ!!!」
と、大一郎は亮太の甘えは許さず、亮太に向かって厳しく言うのだった。
一方、木塀の向こうの健太と大介は、亮太の真っ赤なケツ丸出しの姿に、思わず、驚きの声を上げてしまう。
「ケ、ケツ、ま、丸出しだ・・・・」
「す、すげぇ・・・ケツが真っ赤だ・・・」
その声に気がつき、塀の方をみつめる大一郎。塀の方をキッと睨みつけると、
「コイツの腕白仲間があそこに隠れておるな・・・よし、一つ、ゆさぶりをかけるか!!」
と、呟くように言う。そして、亮太のケツのド真ん中よりすこし右ケツに近いあたりに、八発目のキツイ仕置きを
バッチィ〜〜〜〜〜ン!!!!!
と食らわすと、膝上にいる亮太でさえも驚いてケツの痛みを忘れてしまうほどの大声で、
「コラァ〜〜〜!!!!そこに隠れておるのは誰だ!!!!用があるなら、正々堂々と入ってこい!!!!」
と、塀の向こうで目だけのぞかせている健太と大介の二人を怒鳴りつけるのだった!!
「や、やばい!!!」
「に、逃げろ!!!」
健太と大介は、その声に飛び上がるようにして驚くと、木塀には背を向け、空き地にいる子供たちの冷たい視線を浴びせかけられる中、空き地を一目散に抜けて逃げていくのだった・・・。
大一郎は、戦友に敵前逃亡され、独り寂しく惨めに取り残された敗残兵を憐れむような目つきで、自分の大きな平手モミジの赤スタンプがあちこちにベットリとついた亮太のケツを見るのだった・・・。
しかし、大一郎の亮太に対する同情もそこまで、いままでよりもさらに右手を高く上げたかと思うと、仕上げの平手打ち二発を
バッチィ〜〜〜〜〜ン!!!!!
バッチィ〜〜〜〜〜ン!!!!!
と、亮太のケツのド真ん中に食らわせるのだった。それにグッと歯を喰いしばって耐える亮太・・・。
それが終わると大一郎は、
「立ってよろしい!!さあ、パンツとズボンを上げて、ボールを持っていきなさい!!」
と亮太に言うと、亮太の背中を押さえつけていた左手を離すのだった。
亮太は、ケツのジンジンする熱い痛みに顔を歪ませながらも、恥ずかしそうにあわててパンツとズボンを上げると、割れた植木鉢のそばに転がっているボールをとって、
「ありがとうございました!」
と挨拶して、ケツをさすりさすり空き地の方へと戻っていくのだった。
空き地に再び、子供たちの遊び声が戻ってくる。そこにいる誰もが、亮太が木塀の向こうでケツを叩かれたことを知っていたが、あえて亮太のことを知らんぷり、ジロジロ見るようなことはしなかった。
亮太は、デニム半ズボンのケツを決まり悪そうにさすりながら、キャッチボールをする相手がいなくなった空き地を、独り寂しくトボトボと後にするのだった。
4、正義の放課後 〜担任の中山先生もお尻あいだった!!〜
翌日、月曜日。世田谷区立第八小学校・6年1組・中山学級。
6時間目終業のチャイムが鳴ると、担任の中山先生が、真剣な顔つきで、
「山田!鈴木!!斉藤!!!ちょっと職員室へ来い!!」
と命令するのだった。男子も女子も、クラス全員、顔を見合わせてヒソヒソ話を始めるのであった。
中山先生は、小麦色に日焼けして、なかなか精悍な顔つきの20代半ばの男先生だった。
中山先生は、女子には、「先生って、カッコいいし、面白い!!」と人気があり、男子にも、「先生、怒るとちょっと怖いけど、面白いし、一緒に野球をやってくれるから大好きさ!!」と、人気があった。
中山先生は、いつも、男子のことは全員、下の名前を呼び捨てにしていた。しかし、そんな中山先生が男子のことを苗字で呼び捨てするときは、その男子のことを叱る時と相場は決まっていた。
だから、6年1組の男子たちは全員、
「あいつら、なにやったんだぁ・・・」
とヒソヒソ話をしていた。
一足先に職員室へと向かった中山先生の後を追いかけて、職員室へと向かう山田健太、鈴木大介、斉藤亮太の三人。その三人がちょうど職員室前についた頃、職員室からジャージの上下姿の中山先生が出てきて、三人の姿を見ると、
「おっ!来たか!!」
と言って、ジャージのポケットからカギを出し、山田健太に渡すのだった。
体育の時間は元気いっぱい、いつも率先して先生の準備を手伝う腕白坊主の山田健太には、そのカギはおなじみのものだった。
「えっ!先生、俺たちと野球やってくれるのかな?」
と一瞬だけ思う山田健太。
しかし、中山先生の口調は、相変わらず真剣で、
「山田!!このカギで体育準備室に入り、先生が行くまで、三人で中で待ってろ!!!」
と言うのだった。
中山先生の思わぬ真剣な口調に、山田健太だけでなく、鈴木大介も斉藤亮太も、かなり不安になるのだった。
体育準備室は、体育館一階にあった。中に入ると、マットや跳び箱などが整然と置かれ、ちょっとカビ臭かった。
先生を待つ間、
「きのうのことでおこられるのかなぁ・・・」
と不安そうな鈴木大介。
山田健太は、斉藤亮太のことを睨みつけ、
「亮太、おまえ、先生にきのうのこと話したのか?」
と問いただす。
「話してないよ!!話すはずないでしょ!!」
と亮太。
「そうだよなぁ・・・仲間だもんな・・・」
「昨日は助けてやれなくてごめんな・・・」
と、大介と健太は、ちょっとふくれっ面をした亮太の肩にわざとらしく手をまわし肩を組もうとするのだった・・・。
その時、中山先生が入ってくる・・・右手には、細い竹の棒を持っていた。三人の視線が、その竹棒に一斉に注がれる。
そして、
「あっ!パート2だ!!」
と、山田。
「えっ!パート2?!」
と、鈴木の顔に不安がよぎる。
また、斉藤亮太も、思わず、
「あっ!」
と、声をあげそうになり息をのむ。
その竹棒は、6年1組の男子ならばもうおなじみの、中山先生オリジナルの男子専用「尻たた木 パート2」だった。その茶色く細長い竹棒は、教室にあまっていたハタキの柄でつくったものだった。
パート2があるからには、パート1がある。
パート1ともいえる「尻たた木」は、中山先生が、鎌倉遠足の時、お土産店で買ってきた薄っぺらい手のひらの形をした板で、6年1組では「尻たた木」と呼ばれていた。
男子限定ではあるが、中山先生は、いつも教室でその「尻たた木」を持っていて、男子がなにかやんちゃをしでかすと、その男子の半ズボンのケツを、その「尻たた木」でバチンとやった。
中山先生が、「山田!!尻たた木だ!!前に出てきてケツを出せ!!」と命令すれば、やんちゃ坊主の山田は、ニヤニヤ笑いながら、そして、わざとらしく半ズボンのケツを両手でさす
りながら、他の男子たちの声援を受けて前に出てくる。そして、黒板に両手をついて、両足を開き、半ズボンのケツを後ろにプリッと突き出す。
そして、中山先生は、その半ズボンのケツに、パチン!!パチン!!と、必要に応じて一・二発、「尻たた木」を食らわすのだ。教室からは笑いが漏れる。
「痛ってぇ〜〜〜!!」
と、それほど痛くはないのだが、みんなに笑われた照れ隠しもあってか、半ズボンの両ケツを両手のひらで大げさに押さえながら席に戻る。他の男子は、山田に声援を飛ばす。これが男子の誰かが「尻たた木」を食うときのいつもの教室の風景だった。
小6男子のピチピチ・デニム半ズボンのケツにバチンと炸裂する「尻たた木」の音は、隣の教室まで響き渡るほどの音で、なかなかなものなのだが、所詮は薄い木の板での尻たたき。そのバチンを本気で痛がるのは、せいぜい小1男子くらいまでだ。
小6男子の腕白なケツに、その「尻たた木」のやんちゃ抑止効果は、それほど望めないのだった。もちろん、抑止効果を高めるため、強く打ちおろしすぎれば、「尻たた木」は、すぐに折れてしまうほどのうすい板だった。
しかし、中山先生が、本当に本気で怒ったときは、その「尻たた木」は使わない。そんな時は、必ず、その男子を、
「あとでちょっと来い!!」
と、会議室か体育準備室へ呼び出してお仕置きをする。
そして、その時使われる、細いが「本気で痛い」方の棒を、中山先生、そして6年1組の男子たちは、当時流行った山口百恵のヒット曲「プレイバック PART2」になぞって、「尻たた木 パート2」、またはただ単に「パート2」と呼ぶようになったのだ。
もちろん、山口百恵の曲を当時の小学生が理解していたとは思えないが、「PART2」とつく曲名が「PART1」の存在を知らない世間では、当時、それほど話題になったものなのである。
中山先生は、連帯責任のケツ叩きをよく繰り出すので、「尻たた木」の方は、おとなしい斉藤亮太を含めて6年1組男子のほとんど全員が経験済みだった。しかし、「パート2」の方を経験した男子は、クラスの男子の半分にもならない。
「パート2って、本気で痛いんだぜ!!」
と、中山先生からの呼び出しを経験した男子たちは、ケツのかゆみもそろそろ治まる翌日に、ちょっと自慢げに自分の「武勇伝」を他の男子に話し、まだ「尻たた木 パート2」未経験の男子を思い切りビビらせていた・・・。
「あれでまた叩かれるのかなぁ・・・」
と思い、山田健太は、デニム半ズボンのケツを右手でさすり始める。山田のケツにとって、その竹棒は、もうおなじみの仕置きムチだった。そう、山田はすでに何度か、その竹ムチでビシッとケツをやられて痛い思いをしていたのだった。
一方、まだ「パート2」未経験の鈴木大介は、
「痛いのかなぁ・・・・」
と、すっかりブルってしまい、不安の色を隠せない。
そして、斉藤亮太は、
「やっぱり、叱られるんだ・・・」
と、また山田と鈴木に巻き込まれて、「連帯責任」のビシッをやられるのかと思い、胃が急に痛くなってきそうだった。
「山田!鈴木!斉藤!三人とも俺の前に並べ!!」
と、中山先生の声はいつになく真剣で厳しかった。そして、まるでウォーミングアップをするかのように、右手で握りしめたその「パート2」の仕置きムチを、左手のひらにあててピシッ、ピシッとならしているのだった・・・。
「パート2」のムチ先が、中山先生の左手のひらを打ちつける度に、三人は、思わず肩をすくめるようにし、そして、デニム半ズボンと白ブリーフに覆われたケツをキュキュと緊張させるのだった。
「はい!!」
「はい!!」
「はい!!」
と三人は返事をし、神妙な面持ちで中山先生の前に並ぶ。
中山先生は、
「おまえたち、オレになんで呼ばれたかはもうわかってるな!!!」
と、三人の顔を一人一人睨むようにして見つめてくるのだった。右手には、まだ「パート2」が握られていた。そして、
ピシッ!ピシッ!
と、その仕置きムチが、再び、先生の左手のひらの上で唸りをあげる。次は、山田たちのケツの上で唸りをあげる可能性が大きかった・・・。
三人は顔を見合わせる・・・そして、ほどなく、山田健太が、
「き、きのうのことですか・・・?」
と、中山先生の顔色をうかがうかのように、下から覗きこむようにして聞いてくるのだった。
先生は、依然、厳しい顔で、
「そうだ!!児玉さんの家の植木鉢を割ってしまったらしいな・・・」
と言うのだった。その時、三人は、空き地の裏にある家の主人の苗字が児玉だということを初めて知るのだった。
「やっぱり、亮太が先生にいいつけたんだな!!」
と、山田健太は、先生の前であるにもかかわらず、斉藤亮太につかみかかろうとする。
「ボ、ボク、なにも話してないって!!」
と、気の弱い亮太は泣きそうな顔をする。
先生は、
「コラァ!!山田!!いいかげんにしろ!!斉藤はなんにもしゃべってないぞ!!先生に昨日のことを話してくれたのは、空き地で遊んでいた他のクラスの子だ!!」
と言うのだった。
「あっ!!伊藤のヤツに違いない!!」
と、山田と鈴木、そして、斉藤亮太もそう思うのだった。もちろん、伊藤さんも亮太たちと同じ6年1組である。中山先生は「情報源の秘匿」のために他のクラスの子だと言ったに違いないと三人は思っていた。
中山先生は、三人を睨みつけると、
「誰が先生に話してくれたのかは問題じゃない!!昨日、児玉さんのおじいさんから叱られたのは誰だ?」
と聞いて来るのだった。
三人とも顔を見合わせる。亮太は、真っ赤な顔をして下を向いてしまう。山田と鈴木の手前、自分から自分が叱られたとは言いだせなかった。
「さあ、誰なんだ!!」
と、中山先生の語気はさらに厳しくなってくる。
そんな時、口火を切るのはやはり山田健太だった。
「斉藤君です・・・・」
そして、
「そうです・・・斉藤君です・・・」
と、鈴木大介も山田健太に続いて答えるのだった。
昨日、児玉大一郎の膝上でどう叱られたかを思い出し、斉藤亮太は、さらに耳まで真っ赤になって下を向いてしまう。
「じゃあ、斉藤が叱られているのをそのままにして逃げたのは山田と鈴木なんだな!!」
と、中山先生が問い詰める。
山田は、口をとがらせて、
「逃げたんじゃありません!!じゃんけんをして・・・それで・・・」
と、中山先生に抗しようとする。
しかし、中山先生は、
「でも、ボールを取りに行って叱られたのは、斉藤だけだったんだろう?」
と重ねて聞いてくる。
「は、はい・・・でも・・・・」
「でも・・・なんだ?」
「でも、逃げたんじゃありません!!」
と、山田健太は、中山先生から逃げたと言われたのがよほど悔しかったのか、急に、いまにも泣きそうな声になり、目もウルウルとさせているのだった。
「よし!!おまえたちは逃げたんじゃないかもしれん。しかし、斉藤だけおいて、先に帰ってきてしまったんだろう?」
「えっ・・・は、はい・・・で、でも・・・そ、それは・・・」
「それは、男として、卑怯なことだとは思わないか?仲間を一人置いて帰ってきてしまうなんて!!」
「えっ!!ボ、ボクたち、ぜ、絶対に、ひ、卑怯なんかじゃありません!!」
中山先生は、太く逞しい腕を胸のところで組んで、三人の目を一人一人かわるがわる見ている。
先生は、右手で「パート2」をギュッと握りしめたまま、そのムチ先は、準備万端とばか
りに上を鋭く指していた。しばらくの沈黙が流れる。三人は、先生と目をあわせることができなかった。
そして、中山先生が、ようやく口を開く。
「いや、先生はそれを、男として卑怯なことだと思う!!」
先生のその言葉に対して、山田が、すぐに、
「そ、そんなぁ・・・・ボ、ボクたち・・・あのおじいちゃんが大きな声だして怒鳴って、それでちょっと怖くなって・・・ただ、それだけです・・・卑怯だなんて・・・」
と言って、目に涙を浮かべて悔しそうな顔をするのだった。大好きな中山先生に「男として卑怯だ」と言われたことが特に悔しかった。
その顔を見て、中山先生は、
「山田!!悔しいのか?」
と聞いてくる。
山田は、すでに涙を流し、頬をつたう涙を必死に右腕でぬぐっている。
「・・・・・・」
山田は、声を出すことができず、コクリと頷くだけだった。
鈴木と斉藤は、真っ赤な顔でうつむいていた。
「よし!!山田、鈴木!これから、おまえたち二人に、男として名誉回復の機会を与える!!」
「えっ!」
「えっ!どうすればいいんですか?」
山田は、急に元気を取り戻したかのように、顔を上げて、先生をみつめる。
「それは、昨日の斉藤と同じ格好で同じ回数だけ、この竹棒でケツを叩かれることを我慢することだ!!どうだ?」
「えっ・・・その棒で・・・」
「えっ・・・ケツ叩き・・・」
山田と鈴木は、不安そうな顔になる。
「そうだ!!先生のこの竹棒は児玉さんのケツ叩きよりもちょっと痛いぞ!!どうだ?名誉回復のために我慢してみるか?」
「は、はい!!で、できます!!だって、ボク、絶対に、卑怯じゃないです!!」
と山田健太が返事をする。
それを横目でチラリとみて、鈴木大介も、
「は、はい!!ボ、ボクも!!」
と、ちょっと戸惑いながらも、返事をするのだった。
初めて中山先生の顔から笑みがこぼれる。先生は持っていた竹棒を左の手のひらに再び打ちつけでビシッ!ビシッ!と音をならす。
「よし!それでこそ男だ!!どっちが先に我慢する?お前たちが決めろ!!」
と言うのだった。
こんな時にもやはりジャンケンだった。
山田健太と鈴木大介は、先生の前でも遠慮なく「ジャンケンポン!!」のジャンケンの勝負を始める。そして、山田がチョキで、鈴木がグー。鈴木の勝ちだった。
「じゃ、じゃあ、ボクはあとでいいです・・・健太、さきにやってもらえ・・・」
と言って、鈴木は、山田に先を譲るのだった・・・。
「あとでいいのかぁ、鈴木?痛いことは先に終わってしまった方が楽じゃないのか?」
と中山先生はニヤニヤして鈴木に聞くのだった。ビシッ!ビシッ!と、再び、先生の左手のひらの中から、いかにも痛そうなムチ打音が響いてくる。
鈴木は、「痛いことは・・・」と聞いてちょっと不安そうな顔をするが、意を決したように、鈴木は、
「後でいいです!!」
と言うのだった。
「よし!!じゃあ、山田が先だな!!鈴木と斉藤は壁の方を向いていろ!!山田は、ズボンとパンツをおろして、そこの跳び箱のところに屈んでケツを出せ!!」
と命令するのだった。中山先生は、一度に複数の男子を叱る時も、ケツを出して叩かれてるヤツの男のプライドを守るため、ケツを叩かれている姿はお互いに見せないお仕置き方針だった。
「えっ!!ズボンとパンツ、両方とも・・・」
と山田。
「当たり前だ!!昨日、斉藤が叱られた時と同じ格好で同じ回数だけと言っただろう。」
「せ、先生・・・・どうしてそんなことまで・・・やっぱり亮太が先生に言いつけたのか!?」
そう、今回のことは、女子学級委員の伊藤さんが言いつけた可能性が大であったが、だとしたら、女子である伊藤さんが、塀の向こう側で、亮太がケツ丸出しで叩かれていたことまで知っているはずはないのであった。それは絶対に女子には漏れるはずのない男子たちだけの秘密だった。
「ボ、ボクはなにも言ってないって!!」
と、再び、亮太が言う。
「山田!!斉藤を疑うのもいいかげんにしろ!!斉藤は先生になにもいいつけてなんかいない!!先生はなんでも知ってるんだ!!お前たちが、児玉さんの家の裏庭でどうやって叱られたかだって知っているんだぞ!!」
中山先生は、そう言って山田をたしなめながら、いかにも威厳に満ちた顔をつくるのだった。しかし、それは先生と言うよりも、まるでガキ大将のような顔つきだった。そして、何を思
ったか、先生の頬はポッと紅潮するのだった。実のところ、中山先生は、心の中では舌をペロリと出して、
「一回目はズボンのケツを5回。二回目はパンツのケツを5回・・・あれってバンツが汚れてるとすごく恥ずかしいんだよなぁ・・・それで、三回目は、パンツもおろしてスッポンポンの
ケツに10回だったよな・・・痛てぇんだよな・・・あのオッサンのケツ叩き。バカ力出してケツぶっ叩くんだもんなぁ・・・俺もよくこいつらと同じ頃は、むき出しのケツをバチン、バチンとやられたもんだぜ・・・フフフ。」
と思うのだった。そうなのだ、地元出身の中山先生も、小学生の頃は、児玉家・裏庭にボールを取りに来る常連さんで、大一郎とはケツ見知りで「お尻あい」の仲だったのだ!!
中山学級の学級委員である伊藤さんでさえも、昨日、斉藤亮太が生ケツを叩かれたとは、中山先生に報告してはいなかった。
伊藤さんは、ただ、
「先週も、先々週も、それで昨日も、斉藤君がジャンケンに負けて、あの家にボールを取りにいったんです!!これってなにかおかしいと思います!!山田君と鈴木君はずるいと思います!!」
と中山先生にいいつけたのであった。
当然、中山先生は、昔、あの家の裏庭にボールを取りに行く「常連さん」だった。だからこそ、三回目にはなにが待っているのか、どう叱れるのか、先生自身のケツで実体験済みだったのだ!!
そしてまた、「ははぁ〜ん!!こいつは、山田と鈴木がジャンケンでズルしてるな・・・」と、山田や鈴木と同様にやんちゃだった昔の自分を思い出しながら、ピンときたのだった・・・。
自分も小学生の頃、ちょっと静かで気の弱いヤツとキャッチボールをしていたときは、あのオッサンにケツを叩かれるのがいやで、あの手この手を使って、その気の弱い「やさしくていいヤツ」にボールをとりにいかせたものだったのだ。
しかし、そんなズルい手を使えるのもせいぜい2回まで、3回目には大一郎に見抜かれて、特痛の生ケツ叩きを食らったものだった。中山先生の頃は、大一郎自身が、空き地まで悪ガキをとっつかまえに追いかけてきたものだった。
中山先生が、三人を放課後に呼びつけた本当の理由は、キャッチボールで児玉さんに迷惑をかけたからではない。斉藤亮太だけおいて逃げかえった山田と鈴木の性根、そして、ジャンケンでのズルを正すためだったのである。
ついに山田健太も観念したのか、ズボンとパンツを恥ずかしそうにおろして、ヨチヨチ歩きで跳び箱の方へと向かい、6段の跳び箱にピョンと乗ると、上に屈んでペロリと白いケツを出
すのだった・・・。山田健太は、跳び箱台の木のひんやりとした感触を、己のチンチンに感じ、思わずゾクッとするのだった。
山田健太は、体育の時間の跳び箱で、自分が両手をつく目標地点あたりに両手を伸ばすのだった。すると、後ろから、中山先生が、
「山田!!上履きを脱げ!!跳び箱の穴のところにつま先を入れるんだ!!そしたら、ケツを後ろへしっかり突き出せ!!」
と命令する。
「はい・・・」
と返事をして先生の命令に従う山田。山田の股がひろがり、山田はケツを後ろへプリッと突き出すのだった。
5、プリッと小ぶりの山田君
斉藤亮太と、次の順番を待つ鈴木大介が、壁の方を向いている中、山田健太の男としての「名誉回復」の儀式が始まる。
中山先生は、狙いが狂わないよう右手で竹棒をグッと握りしめ、その竹棒「尻たた木 パート2」のムチ先を、跳び箱に身をのせて屈んでいる山田のプリッとかわいいケツのほぼ中央に置く。
「うっ・・・来る・・・。」
生ケツで感じる先生の竹棒は、いつも半ズボンの上から感じる竹棒の感触よりも、何十倍も何百倍も硬くて痛そうに感じ、山田は思わずブルッと身震い、いや、武者震いし、身構えるのだった。
そう思っているうちに、
ビシッ!!
と、熱い焼けるような一発目のムチ入れを、山田は、己の生ケツに感じるのだった。
「ぎゃぁっ・・・い、痛い・・・・」
と、いままでに感じたことのない焼けつくような痛みをケツに感じて、山田は、思わず軽い悲鳴を上げてしまう。山田はこの「パート2」はすでに経験済みだったが、それは半ズボンの上からだった。生ケツに食らったのは初めてだった。
中山先生のケツムチ一発目は、狙いよりも少し上、山田のケツの中央よりもやや上の方に、うっすらとピンク色の一本の線をつくっていた・・・。
ちょっと心配そうに、跳び箱の向こう側の山田の顔を覗き込む、中山先生。山田は、グッと目をとじて、グッと唇をかみしめて、二発目への覚悟を決めている表情をしていた。その表情からは、少年ながらに、
「オレは卑怯者なんかじゃない!!次は絶対に痛いなんていわないぞ!!」
という決意がよみとれた。
「うん!!大丈夫!!コイツはなかなか根性がある・・・」
そう思うと、中山先生は、再び、「愛のムチ パート2」を右手でグッと握りしめ、山田のケツの一本入ったピンク色の線の少し下にムチ先の照準を合わせる!!
そして、その竹棒を少し高く上げたかと思うと、再び力を込めて、
ビシッ!!
と、山田のケツの上にそれを振り下ろすのだった。
「ううぅ・・・・」
となんともいえないつらそうなうめきごえを上げる山田。ケツには、ジリジリと焼けつくような熱い痛みが走っていた。そして、
「オレは卑怯者なんかじゃない!!絶対に痛いなんていわないぞ!!」
と思い、グッと奥歯を喰いしばるのだった。
ビシッ!!
ビシッ!!
三発、四発と、中山先生の竹棒のムチ「尻たた木 パート2」は、山田の生ケツに、厳しく着地していた。そして、そのたびに、山田のケツには、ピンク色の線が焼き付けられていた。そして、そのピンク色の線は、ほどなく、色鮮やかな赤い線へと変わっていくのであった。
ビシッ!!
ビシッ!!
五発、六発と、斉藤と鈴木は、壁に向かって、山田のケツに飛ぶ中山先生の竹棒の音を聞いている。
斉藤亮太は、ビシッという音がするたびに、思わずデニム半ズボンのケツをキュッとしめ、拳をギュッと握り、目もギュッと閉じるのだった・・・。
一方、、鈴木大介は、次は自分も山田のよう生ケツ丸出しの恥ずかしい格好で、跳び箱台に屈み、名誉回復のための竹棒ケツムチの痛い十発の「試練」に耐えなければならないことを自覚し、
「ヤベェよぉ〜こえぇよぉ〜」
と、思わず独り言をもらし、小刻みにブルブルと震えているのだった・・・。
鈴木大介は、山田にそそのかされたとはいえ、ジャンケンでズルして、隣の斉藤亮太を裏切ったことを、後悔するのだった。しかし、だからといって、竹棒ケツ叩きの試練から、逃れら
れるわけではない。中山先生のムチ先が、鈴木大介のケツに照準をあわせるのも、もう時間の問題だった。
そして、運命の七発目!!
ビシッ!!
「い、痛てぇ〜〜〜〜!!!」
そう叫んで、山田は、思わず、両足先は跳び箱側面の穴に入れたまま、上体のみ跳び箱台から起して、自分のももについた火を必死でもみ消すかのように、
「い、いてぇ・・・」
とつぶやきながら、右ももをモミモミ、モミモミしているのだった。
中山先生は、思わず苦笑いする・・・。そう、中山先生の「尻たた木 パート2」のそのムチ先が少し下にずれて、山田健太の腿に着地したのである・・・。
山田健太は首だけ後ろの方を向き、「先生・・・もういいでしょう・・・」と懇願するような、はたまた「先生!ちゃんとケツを狙ってくださいよ!!」とでも言いたげな恨めしそうな目で、中山先生の方を見つめるのだった。
そう「ももピシリ」は、「ケツピシリ」よりも何十倍も鬼痛なのだ!!
しかし、中山先生は、心をグッと鬼にして、無情にも首を横に振り、
「まだ終わってないぞ!!早く屈んでケツを出し直せ!」
と厳しい声で命令する。
それでも、先生にアピールするかのように腿を大げさにさすり続け、
「い、いてぇよ・・・ねらいがズレてる・・・」
などと、文句をブツブツ言う山田健太に、中山先生は、ややカチンときて、山田の前にまわり、山田を睨みつけると
「男だったらグズグズ言うな!!早くしろ!」
と厳しくたしなめ、右手に持つ「尻たた木 パート2」の竹棒で、山田がいまさっきまで上体をのせていた、跳び箱の台形のてっぺんを、
バチン!!
と思い切り打つのだった。
跳び箱の上からは、ボワァ〜ンとほこりがたち、山田は、思わずギクッとして、
「は、はい!!!」
とあわてて返事をし、再び、跳び箱に上体を倒し、ケツを後ろにプリッと突き出す。
中山先生によって断ち切られた山田の甘え。山田自身もそれにより男の「なにクソ魂」を刺激されたのか、両手で跳び箱台の両端を、さっきよりもギュッと強く持つように握ると、唇をギュッと結んで、試練の残り三発に立ち向かおうとする。
しかし、さきほどのももピン一発の焼けるような痛みを思いだすと、心臓ははち切れんばかりに鼓動を打つのだった。
もちろん、さきほどの七発目は、先生が狙いを誤ったわけではなく、より「お灸」効果を高めるためにももをわざとピシリと狙った、ケツムチお約束の「ももピン一発」なのである。
こ
れは、懲罰ムチ打ちにおいては「お灸効果」を一層高め、また今回の仕置きに即して書けば、「名誉回復の根性試し」の「試練効果」を一層高める。
当然、この仕置きを乗り切れば、山田は、翌日、6年1組の教室で、
「昨日はどうだった?」
と、腕白仲間の男子たちに囲まれ、
「これ見ろよ!!一日たっても消えないんだぜ!!モモにもピシッだぜ!!すげぇ〜いてぇんだぜ!!」
と、右ももについた赤い線を勲章とばかりにみせつけながら、彼らに体育準備室での「武勇伝」を披露するに決まっており、この「ももピン一発」は、その武勇伝に一層の華やかさを添えるのだ。
ビシッ!!
ビシッ!!
「うぅ・・・・」
八発、九発目の連打。山田は、ケツ全体が熱くなって腫れあがっているかのような感覚に襲われる。
「よし!!ラストだ!!」
と、中山先生。
中山先生も、そして、ケツを出している山田自身も、大きく深呼吸する。
ビシッ!!
「い、いてぇ〜!!」
最後の一発は、いままでの中では一番強烈に、山田のケツの中央に仕上げの赤い線を一本焼き付け描き上げる。
「よし!!立って、ズボンとパンツを上げていいぞ!」
と、中山先生からのお許しが出る。
山田は、
「はい・・・」
と返事をすると、滑稽なくらいにすばしこく、跳び箱台から降りると、そぉ〜とパンツと半ズボンを上げて、ケツをスリスリといたわるようにさするのだった。
中山先生は、山田に、
「山田!!斉藤の隣で、後ろを向いて立ってろ!!」
と命令すると、間をおくことなく、
「よし!!次!!鈴木!!こっちへ来い!!」
と、ケツ叩き順番待ちの鈴木を厳しい声で呼びだす。
鈴木と入れ替わりで、斉藤の隣に立つ山田。山田は斉藤に小声で、
「ごめんな・・・」
とささやくのだった。
6、太めでガッチリ鈴木君
一方、山田の「尻たた木 パート2」によるケツ叩きの音を聞いて完全にブルってしまった鈴木は、小6にしては大きな図体を小刻みに震わせながら、すでに目には涙が浮かんでいた。
「ごめんなさぁ〜い・・・グスン・・・」
と小声で言いながら、中山先生に、「ボクのお尻ぶたないでぇ〜」とでも許しを乞うかのような目線をなげかけてくる。
しかし、中山先生は、首を横に振り。
「鈴木!!男だったら泣くな!!あやまるのは、この竹棒でケツ十発を我慢してからだ!!」
と言い、右手に握った「尻たた木 パート2」をブン!!ブン!!と振りながら、それを鈴木に見せつけるのだった。
「ごめんなさぁ〜い・・・グスン・・・」
と、鈴木は、まだ甘えていた。しかし、中山先生は、
「先生にあやまってどうする!!おまえがあやまらなきゃならんのは、斉藤にだろう!!さあ、グズグズしてないでケツを出すんだ!!」
と言って、鈴木を厳しく突き放すのだった。
観念したのか、鈴木は、
「はい・・・」
と、つぶやくように返事をすると、うつむいたまま、半ズボンをおろす。
鈴木の半ズボンは、山田のものよりもかなりムッチリピッチリとしていた。これは、鈴木の成長のスピードに、半
ズボンの大きさが間に合わないためだ。来年はもう中学生。半ズボンとはおさらばのお兄さんになる。なので、親もあえて、ちいさめの半ズボンで、息子に我慢してもらっているのだった。
鈴木は、山田よりもかなり色白で、クラスの男子では一番背が高く、また一番、ガッチリした体型だった。そのガタイのよさは、地元の神社で行われる「奉納 小学生わんぱく相撲」に
毎年駆り出されるほどだった。しかし、そのガッチリとした図体とはうらはらに、性格はやさしく、山田がいなければやんちゃなことなど何一つできない、気の小さな男子だった。
「鈴木!!パンツもだ!!下ろせ!!」
と、中山先生は、パンツおろしをためらっている鈴木のケツの方を「尻たた木 パート2」で指して、厳しくパンツ下ろしの命令をする。
「は、はい・・・」
と、やっとのことでパンツを下ろす鈴木大介だった。
鈴木のデッカイ色白のケツをみながら、
「でっけぇケツしてやがんな・・・コイツ・・・本当に小6かよ・・・」
と、中山先生は思う。山田のプリッと締まった小ぶりの腕白ケツとは好対照だった。
いよいよ鈴木が、跳び箱台に屈み、ケツを出す。山田と違って、鈴木は6段の跳び箱に屈んでも十分足が床につけるほど成長していた。そんな鈴木に、中山先生は、
「跳び箱の角のところにつま先を合わせるようにして足を開け!!」
と命令する。そして、鈴木が股を開いたのをみると、
「よし!次はケツだ!!ケツをしっかり後ろに突き出せ!!」
と厳しく命令する。
「いくぞ!!」
と、後ろから、先生の鬼のように怖い声が聞こえる。
鈴木は、もう心臓がはちきればかりにドキドキしながら、先生の言われた通りにケツを後ろにデンと突き出す。そして、鈴木が心の準備をしようとしたその時だった!!
ピシッ!!!
と後ろで鋭い音がしたかと思うと、ケツにものすごく熱い痛みを感じるのだった。
鈴木は、
「いたっ!!」
と思わず叫び、上体を跳び箱から起こすと、ケツを両手でおさえながら、ピョンピョン飛び跳ねるのだった。
「まだ一発目だぞ!!だれが立っていいと言った!?ケツを出し直せ!!」
と、中山先生は、キツイ一喝。
「はい・・・」
と、うなだれて跳び箱に屈み再びケツを後ろへ突き出す・・・。
ピシッ!!
「いたいィィィィ!!」
と、再び叫んでおきあがり、ケツを必死でおさえるようにさする鈴木。
鈴木の「名誉回復」のための儀式は、山田の場合と違い、にぎやかで騒がしいものだった。ストイックに我慢した山田の態度とは、程遠いものだった。
ピシッ!!ピシッ!!ピシッ!!
と生ケツを打たれる度に、鈴木は、毎回、
「痛い!!」
と叫んでは起き上がり、ケツをおさえてピョンピョン飛び跳ねる。
四発目を超える頃には、「尻たた木 パート2」がピシリと厳しく鈴木の色白のケツに赤い線を一本増やすごとに、
「もう我慢できません・・・」
と言わんばかりに、中山先生の方を見て、許しを乞うような目つきをする。
ピシッ!!ピシッ!!
そして、その目は、6発目に、涙でウルウルになるのだった。
鈴木に見つめられる度に、中山先生は、ついつい折れそうになる自分の中の「鬼心」を奮い立たせて、
「まだだ!!ケツを出し直せ!!」
と、「尻たた木 パート2」のムチ先で、鈴木を指しては、戻ってケツを出すように指示するのだった。
ピシッ!!ピシッ!!
「ぎゃぁ〜〜〜!!痛い!!!!!」
もちろん、そんなチョイ情けない鈴木のケツにも、中山先生は、お約束の「ももピン一発」を八発目にお見舞いする!!
鈴木は、飛び上がるように跳び箱台から起き上がると、右ももを必死でさすりながら、上体をのけ反らせるようにして、いままでよりも高くピョンピョンと飛び跳ねるのだった。
鈴木のその痛がり方に、中山先生は思わず苦笑しながらも、
「さあ、あと2発の我慢だ!!男らしく戻ってケツを出せ!!」
と、命令を下す。
鈴木は思わず、
「ごめんなさぁ〜い・・・もうジャンケンでズルしたりしませ〜〜ん。」
と、聞かれてもいないことを勝手に白状してしまうのだった。鈴木は、どうして自分がケツを叩かれなくてはいけないのか、きちんと悟っている頭のよい子だった。
中山先生もそれには苦笑い。後ろを向いてそれを聞いていた山田は、
「あっ・・・そ、それを言っちゃダメだってば!!」
と思わずつぶやき、なんともいえない気まずそうな顔をする。
となりに並んでいた斉藤が、
「えっ!!」
と思わず声を上げ、ギロリと山田を睨むのだった。
山田は、思わず、斉藤に、
「ご、ごめんな・・・悪かった・・・」
と、謝るのだった。斉藤は、それにプッとふくれっ面をして横を向いてしまう。
中山先生は、鈴木に、
「まだ謝るのは早い!!最後の二発が終わってからだ!!」
と、厳しく宣言し、「尻たた木 パート2」で打たれた赤い線が並ぶ、鈴木のケツの、まだムチが着していない白い場所を選んで、そのムチ先の狙いを定める。
ピシッ!!ピシッ!!
九発、十発と、いままでよりもきつめの連打が、鈴木のケツを熱く熱く強襲する。
「い、いてぇ・・・・」
と声を出して、やはり鈴木は、上体を起こすと、ケツを両手でモミモミ、モミモミと撫でるのだった。
そして、中山先生は、「仕方のないヤツだ・・・」といった表情を顔に浮かべながら、
「よし!!鈴木!!!パンツとズボンをあげていいぞ!!」
と、鈴木に着衣の許しを出すのだった。
こうして、山田健太と鈴木大介の、「尻たた木 パート2」によるケツムチ10発の名誉回復の儀式が行われたのだった。
7、名誉回復の証
痛そうに顔を歪めながら、鈴木がパンツと半ズボンをゆっくりと上げる。後ろになにか熱い餅でもはりついたかのようにケツが火照っていた。特に、鈴木には小さめになってしまったキツキツの半ズボン
にケツをねじり込むようにして、半ズボンをあげる時、鈴木は特につらそうな顔をするのだった。
中山先生は、鈴木が半ズボンを上げたことを確認すると、
「さあ、山田!!鈴木!!二人とも斉藤の前に並ぶんだ!!!」
と、命令する。
そして、山田と鈴木が、斉藤の前に並ぶと、
「さあ、斉藤に頭を下げて謝れ!!もう理由はわかっているな!!」
と指示を出す。
山田と鈴木は、ケツがジンジン熱くて痛いなか、神妙な面持ちで、
「ごめんなさい・・・」
と言って、頭を下げるのだった。
頬をやや紅潮させて、斉藤は、戸惑ったような表情をしている。
「よし!!斉藤、山田と鈴木の二人を許してやるか?」
と、中山先生が聞いてくる。
斉藤亮太は、もちろん、
「はい・・・」
と答えるのだった。
「よし!!それならば、二人と握手しろ!!」
と、中山先生。
斉藤は、ちょっと照れくさそうに、山田と鈴木の方へ向かって右手を差し出し、順番に握手するのだった。
「よし!!次だ!!山田と鈴木は、回れ右!!」
と、中山先生は号令を出す。
二人は不安そうな顔をしながらも、体育の時間のように、中山先生の号令に従って、まわれ右をするのだった。後ろには、中山先生が、いま自分たちのケツに飛ん
できたばかりの「尻たた木 パート2」をまだ右手に握ったままで、いつもより厳しい顔をして立っていた。
「よし!山田、鈴木!!男なら正直に答えろよ!!きのう、お前たちは、斉藤のケツを見たのか?」
と、その竹棒を再び、ピシピシと左手のひらで鳴らしながら、中山先生は、山田と鈴木に聞くのだった。
その音に、山田と鈴木のジリジリと燃え上がるように熱いケツはピクッピクッと反応する。ウソをついたら、またあの「尻たた木 パート2」が、自分のケツにブンと唸りをあげて飛んできそうな気がした。
山田は、
「は、はい・・・真っ赤でした・・・」
と正直に答える。斉藤亮太は、再び、真っ赤な顔をして恥ずかしそうにうつむいてしまう。
「鈴木どうだったんだ?斉藤のケツを見たのか?」
と、中山先生は、鈴木にも、念を押すように聞いてくる。
「は、はい・・・見ました。」
と、鈴木も正直に答えるしかなかった。
「よし!!それならば、斉藤には、山田と鈴木のケツを見る権利がある!!山田!!鈴木!!二人ともパンツとズボンを、もう一度下ろして、斉藤におまえたちのケツをよくみせるんだ!!」
と、中山先生は、二人に厳しく命令するのだった。
「えっ!また・・・・」
と、山田が、ちょっと不満げにつぶやく。
しかし、中山先生は、山田をギロリとにらみつけ、「尻たた木 パート2」をみせつけるようにしながら、
「ズボンとパンツを下ろして、斉藤におまえたちのケツを見せろ!!」
と、厳しく言いつける。
「はい・・・」
「はい・・・」
と返事をし、頬をポッと赤らめながら、ちょっと恥ずかしげにズボンとパンツを下ろす山田と鈴木。
斉藤は、自分の目の前にベロ〜ンと出された山田と鈴木のケツを見て、思わず、息を飲む。
山田と鈴木のケツにはピッシリと等間隔に九本の赤い線が焼き付けられていた・・・そして、二人の右ももにも、うっすらと赤い線が一本ついていた。
斉藤は、目をこらして、それらの
線を見るのだった。それらの赤い線を、ここで「制裁の烙印」と呼ぶのはあえてやめよう。それは、山田と鈴木が卑怯者の汚名から「名誉回復」したことを証明する「男の勲章」なのだから。
「よし!!斉藤に聞く!!山田と鈴木は、もう卑怯者じゃないな?」
と、中山先生が、斉藤亮太に聞くのだった。
斉藤は、顔を上げて、先生の方をみて、
「は、はい!!山田君も鈴木君も卑怯者じゃありません!!」
とハキハキと答えるのだった。
その斉藤の返答に、ホッと肩をなでおろす山田と鈴木。
中山先生は、大きくうなずくと、
「よし!!健太も大介も、パンツとズボンをあげていいぞ!!」
と、許しを出す。健太も大介も、中山先生が、再び、下の名前を呼んでくれたことに、思わず、にっこりして、
「はい!!ありがとうございました!!」
「はい!!ありがとうございました!!」
と、返事をして、ズボンとパンツを上げるのだった。
「よし!!三人とも早く教室に戻って帰る準備をしなさい!!」
と、中山先生は、三人に「名誉回復の儀式」の解散を宣言するのだった。
三人は、
「行こうぜ!!」
と、肩を組んで、体育準備室を出る。
山田と鈴木は、斉藤亮太の首のところに手をまわし、亮太を真ん中に入れてやるのだった。山田と鈴木に強引に挟まれるようにして歩いていく斉藤亮太の後ろ姿をみて、中山先生は、思わず苦笑いし、明日も、肩を組むときは、斉藤亮太が真ん中であることを願わずにはいられなかった。
教室へ帰る途中。廊下で、学級委員の伊藤さんが、三人を待ち構えていたように、近寄ってくる。
「なんだよ!!」
「なんだよ!!」
と言う、山田と鈴木は無視するように、伊藤さんは、
「斉藤君!よかったね!!」
とまるでお姉さんのような口ぶりで言ってくるのだった。
「えっ!」
「えっ!」
「えっ!」
健太、大介、そして亮太の三人は、自分たちの予想があたっていたことを悟るのだった。そう、中山先生に、昨日のことをいいつけたのは、他のクラスの子ではなく、斉藤のことを心配した伊藤さんであったことを・・・。
山田が伊藤さんをにらみつけ、伊藤さんに何かを言おうとしたその時だった。山田と鈴木がビックリするほどの大きな声で、斉藤亮太が、
「女は余計なことするな!!!」
と、伊藤さんに向かって言うと、
「さあ、行こうぜ!!!」
と、斉藤亮太は、左右両方で自分を挟むようにしていた山田と鈴木の首に、今度は自分から両手をまわし、二人を強引に引っ張るようにして、その場を立ち去ろうとするのだった。
山田と鈴木は、
「亮太!!ナイス!!」
と、斉藤亮太に声をかける。亮太は、やっとうれしそうな顔をして、その二人の声かけに、うれしそうにうなづくのだった。
あとに残された伊藤さんは、三人の男子の後ろ姿をみて、
「もう男子ったら!!知らない!!面倒みきれないわ!!」
と、小6女子らしく、ちょっとおませに、プッと頬をふくらませるのだった。
8、後日談
それから数週間後。世田谷区役所の玄関を緊張の面持ちで庁舎に入っていく中山先生がいた。
その日は、月に一度の教育委員会、PTA、学校関係者による三者定例懇談会。
中山先生は、
「今回は君が校長先生のお伴をして、懇談会に出席し、勉強して来てください。」
と、教頭先生から校務命令を受け、出張で出席できない教頭先生に代わり、校長先生とともに、懇談会に出席するためにそこにいたのだった。いつも上下ジャージ姿の中山先生も、その日ばかりは、ピシッとスーツに身をかためていた。
玄関入口では、バッタリ、区立第七小の岡田校長と、区内の小学校の若手男先生の間ではちょっと評判の美人マドンナの森先生にばったり会う。
「いやぁ、岡田先生!!今日はまた若い美人の先生がお伴ですかな・・・ワハハハ!!」
と、中山先生の上司でもある、区立第八小の山本先生が、声をかけるのだった。
「おお、お久しぶりです。山本先生も、今日は教頭先生がご一緒ではないのですか?」
「いや、教頭が出張中なもので・・・あ、こっちは、我が八小のホープ、6年1組担任の中山先生です。」
「よ、よろしくお願いします!」
と、中山先生は、チラチラ、森先生の方を気にしながら、ペコリと頭を下げる。
「そうですか、私のところもそうなんです。こっちは・・・まあ、紹介するまでもありませんかな・・・フフフ・・・」
中山先生が真っ赤な顔になっているのを、七小の岡田校長は、あざとく見てとり、ニヤニヤしている。
「おお、もしかして、こちらの先生が美人と誉れの高いマドンナ先生の森先生ですかな?」
と、山本校長も、ニヤニヤしている。
「そうです。七小のマドンナ、4年2組担任の森先生です。」
「まあ、先生ったら・・・嫌ですわ・・・。」
と、森先生は、真っ赤な顔になってうつむくのだった。
中山先生は、心の中でガッツポーズをし、
「よっしゃ!!懇談会では、若手らしく、バリバリ元気に発言して、森先生にいいとこみせるぞ!!」
と、区立小学校の若手・独身の男先生たちにさきがけて、マドンナ森先生の気を引こうと、張りきるのだった。
しかし、会議室の中から聞こえてくるあの人の声を聞きつけ、中山先生は、急に不安になるのだった。
「そうなんですよ!!!最近の子供たちは、まったくけしからん限りです!!!ガハハハ!!!」
「えっ・・・まさか、あのじいさんが・・・・」
中山先生のその予想は、見事的中。なんと会議室には、あの児玉大一郎が、羽織はかまの正装姿で座っていたのだった!!そう、児玉大一郎は、地元の名士の一人として、教育委員会か
ら依頼され、この三者懇談会の特別顧問の一人に名をつらねていたのだった。
そして、児玉特別顧問は、山本校長の後ろを遠慮がちに入ってくる中山先生の姿をあざとく見つけると、
「やあ!!中山君!!元気だったかね!?」
と声をかけてくるのだった。
「ゲェっ・・・あのじいさん、オレの名前、おぼえてやがる・・・」
と思う、中山先生。
しかし、中山先生以上に驚いたのは、一緒にいた山本校長だった。
「えっ!中山君、君は、児玉特別顧問とお知りあいなんですか?」
「えっえぇ・・・まあ・・・」
と、言葉を濁す中山先生を無視するかのように、児玉大一郎は、会議室内いっぱいに響き渡る大声で、
「ガハハハハ!!!!お知り合いも、お知り合い、お尻あいですよ!!!そうですよね!!中山先生!!君も偉くなったもんだ!!ガハハハハ!!!」
と豪快にしゃべり始める。
そして、あろうことか、中山先生の小学生の頃のやんちゃぶりを、児玉宅の裏庭での恥ずかしい出来事とともに、微に入り細に入り、山本校長に話しはじめるのだった。
そして、いつし
か、会議室のあちこちで挨拶や名刺交換をしていたその日の懇談会出席者全員が、児玉大一郎の話に、興味深く、耳をかたむけているのだった!!
森先生も、大一郎のユーモアあふれる豪快な話しっぷりに、時々、クスクスと可憐に笑いながら、耳を傾けているのだった。
中山先生は、もう恥ずかしくて、耳まで真っ赤になり、ハンカチでこぼれおちる冷や汗を、必死でフキフキ、フキフキするしかなかった・・・。
「あ〜〜〜、森先生・・・・このオッサンの言うことなんて信じないでください・・・なんでも大げさなんですから・・・ボクがこのオッサンの膝上でむき出しのケツ叩かれたことは本当だけど、ボ、ボクのこと嫌いにならないでくださぁ〜〜い!!」
と願うことしかできなかったのである。
懇談会前のその恥ずかしい暴露話のために、中山先生は、一時間半の懇談会の最中、もう下を向いて、ただただ耐えるしかなかったのである。
しかし、懇談会が終わると・・・・児玉大一郎が、真剣な顔をして、
「中山先生、ちょっと相談したことがあるんだがね・・・ちょっと時間もらえるかね?」
と言って、中山先生のところに近寄ってくるのだった。
最初はなんのことかと思った中山先生も、大一郎が、
「いや、うちの裏の空き地でね・・・最近、キャッチボールでよく遊んでいる子たちの中に、さいとうりょうたって子供がおるんだが、ちょっと気になってね・・・もしや、中山君の学校の子供かね・・・いや、わしの勘なんだが、その子は、遊び仲間からいじめられている気がしてならんのだよ・・・」
と、真剣な面持ちで、まるで、自分の孫を心配するかのような口ぶりで、中山先生に相談してくるのだった。
もちろん、中山先生は、大一郎に、その子は自分の担任の子であること、そして、体育準備室の一件も話し、心配はいらないと言うのだった。
大一郎は、安心したように、
「そうかね・・・君もなかなかやるじゃないか!!いや、これで安心した・・・本当に安心だ・・・」
と、しみじみ言って、帰っていくのだった。そして、その後ろ姿を、深々と礼をして見送る中山先生だった。
後で山本校長の話でわかったのだが、あの空き地は、児玉大一郎の名義の土地で、本来は、息子夫婦の家を建てるための土地だったらしい。しかし、大一郎が、道路上でキャッチボール
をしていて交通事故に遭う子供たちが、近年、世田谷区内で急増していることを知り、
「子供らが安心してキャッチボールできる土地が一つくらい近くになくてどうする!!」
と、家も建てることなく、自費で空き地として整備し、そのままにしてある土地だったのである。
昭和50年代初め、マンガ・サザエさんの舞台にもなった世田谷区のとある住宅街。そんな住宅街には、大一郎のような、ちょっと口うるさくてお節介焼きのご近所さんが、一人や二人いたものなのである。
おわり