父子ラグビー物語 by 太朗 

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第二章 封印されたオヤジの思い出

一、華々しい経歴

 日本を代表する大手総合商社・紅華商事のエリート・サラリーマンである高野健一は、日本を代表する私学の名門、東和大付属久我山学園の幼稚舎から、中等部・高等部へと進み、東和大・経済学部へと進学した根っからの「東和ボーイ」だった。

 東和大学建学の父・花沢万吉の教育精神を引き継ぐ東和大付属久我山学園は、高等部までは男子校で、自由・闊達な校風で知られ、ラグビーがさかんなことでも有名であった。幼稚舎も高学年(小学四年)になると、運動神経のよさそうな児童には、課外活動等を通して、自然とラグビーに興味を持たせ、ラグビーを始めさせるような環境が整っていた。

 特に、東和大ラ式蹴球部(ラグビー部)から、部員・選手が、幼稚舎にまでコーチとして後輩の指導に来るのが東和の特長だった。

 高野健一は、その天性の運動神経の良さから、幼稚舎の課外活動では、当然、ラグビー・クラブに入ることを推薦され、東和大からやって来る「やさしい」おにいさんたちから、ラグビーの楽しさを教わり、中等部・高等部へと進学しても、迷わずラグビー部に所属した。

 コーチとしてやってくる大学生の「やさしい」おにいさんたちも、高等部に入ると、いきなり鬼コーチへと豹変し、監督の指導の下、健一たちラグビー部員を徹底的にシゴキ倒した。そして、幼稚舎から一緒にラグビーをやってきた仲間が、ひとり、またひとりと、ラグビー部を去って行く中、残った幼稚舎からの仲間十数人と、高等部からの途中入学組みの同級生部員数人で、高野健一たちは、高校三年生の最終シーズンを迎えた。

 もちろん、高野健一は、その冷静な判断力と持ち前のリーダーシップを発揮し、ラグビー部の主将としての重責を全うした。そして、京都・桃園ラグビー場で行われた全国高校ラグビー選手権大会でみごと優勝し、まるでラグビー野郎のケツを模ったのではないかと思わせる桃をその頂上に配した金色に輝くピーチ杯を、戦後初、まさに、47年ぶりに母校・東和大付属久我山学園にもたらしたのだった。

 その後、東和大・経済学部へと進学した健一には、当然、体育会ラ式蹴球部(ラグビー部)へ入部することが期待されていた。もちろん、付属校内部進学者ではあるが、スポーツ推薦ではない健一にとって、ラグビー部に入部する義務などないのではあるが、高等部でラグビー部・主将まで務めた男が、大学でラグビー部入部を拒否・辞退するなど、東和の伝統から絶対に許されないことであった。そのため、東和大付属久我山高校ラグビー部の出身者の中には、わざと内部進学の道は選ばず、他大学に進学を希望する生徒もいるほどであった。

「ケンは当然ラグビー部だよな!」

と、仲間からも、勧誘にくる他の部の先輩たちからも同じ事を何度も言われ、そんなプレッシャーを感じながら、健一は、自由な校風の高等部までとは全く違い、上下関係が厳しいことで有名な東和のラグビー部の入部届けに、覚悟を決めて判を押した。

 もちろん、すでに「おじさん」になってしまっていたが、監督・コーチ陣は全員幼稚舎から健一とは顔見知りのあの「やさしい」おにいさんたちだった。

 そして、健一は、一年生ながらWTBとしてレギュラー入りを果たし、東京の丹沢の宮ラグビー場で行われる全国大学ラグビー選手権大会では、その天才的なラグビーの才能を遺憾なく発揮し、母校の丹沢杯獲得に多いに貢献した。

 特に、健一が入学した年は、東和大と明和大ラグビーの黄金時代で、正月に行われる選手権大会の決勝は、7年連続で、東明戦(明和大側からは、明東戦)となっていた。

 そんな健一の将来には、東和大ラグビー部主将、大学選手権四連覇、社会人ラグビー入り、全日本入り、世界遠征、そして、あの「桜のジャージ」を着てのワールドカップ出場と、華麗なるラグビー人生が約束されているはずだった。

 しかし、それほど人生は甘くはなかった。健一は、新三年生の春合宿で膝に怪我を負い、結局、その年の春シーズンを丸々棒に振ってしまったのだった。そして、夏前の新チームメンバー候補発表で健一を待っていたのは、レギュラー候補者集団である一軍から二軍への異動が命じられるという厳しい現実であった。



ニ、東和大体育会ラ式蹴球部二子玉川寮

 東和大体育会ラ式蹴球部は、東京・世田谷・二子玉川に専用の寮を持ち、部員は全員、一年生からその寮に入寮し、寝食を共にしていた。

 「東和大体育会ラ式蹴球部二子玉川寮」、ラグビー部員たちからは、自分たちの股間に重くぶら下がるものにも通じるものがあるのだろうか、ニコタマ寮と親しみを込めて呼ばれていた。

 その寮は、鉄筋コンクリートの地上五階建て、一階は、食堂や大風呂・シャワー室、2〜4階は、レギュラー・準レギュラー候補者である一軍・部員、約30人のための個室とVIPルームと呼ばれる一軍部員のみが利用できる娯楽室があった。もちろん、個室には、冷暖房・ユニットバス完備で、ホテル並みの設備が整っていた。その他、2階には、監督室・コーチ室・主務事務室・予備の宿泊設備等があった。

 そして、5階には、廊下に部員たちのロッカーが並べられ、柔道場を思わせる約100畳の大部屋と便所があるだけだった。「二軍部員」と呼ばれる、レギュラー・準レギュラー候補者に入れなかった残りのラグビー部員は、全員、その大部屋で生活するのであった。

 四月に入部してくる新入生部員も、夏休み前の新チーム・レギュラー・準レギュラー候補者決定までは、全員、二軍部員として大部屋で生活する。
 
 その間、、東和大ラグビー部の厳しい練習や上下関係に嫌気がさし、新入生部員の約半数は退部していくので、ピーク時は約70名、そして、部員数が落ち着いた後は、40名〜50名の野郎たちが、その大部屋に、布団を並べて雑魚寝をし、生活を共にする。
 
 隣の野郎との間を仕切る衝立もなく、机もなにもない、ただ布団を敷いて寝るだけのスペースが大部屋にはあるだけだった。もちろん、5階の大部屋には、冷暖房などなく、夏は蒸し風呂のように蒸し暑く、冬は、凍えるほどに寒かったのだ。



三、二つの上下関係

 大学・体育会には、二つの上下関係があると言われる。一つは、入学年度、すなわち学年による先輩・後輩関係、そして、もう一つは、学年・年齢とは全く無関係な、スポーツの技量の差による上下関係だ。

 東和大ラグビー部の場合、前者よりも、後者の方にやや力点がおかれる伝統があった。すなわち、一軍に入った一年生は、二軍のままで留まっている四年生よりも、待遇は上なのである。

 一軍と二軍部員の待遇の差は歴然であり、一軍部員には一年生といえども、ユニットバス付きの個室が与えられ、二軍部員には、四年生といえども、寮内のプライバシーは、廊下にあるロッカー1区画分だけであり、そして、大部屋に半ば万年床と化している煎餅布団の上だけが、自分の占有スペースといえば、スペースだった。

 設備面での待遇の差だけではない、一軍部員には、一年生といえども、いつ何時でも、二軍のヤツらを鍛えることを目的に、「大部屋練」を召集できる権利が与えられていた。

 さらに、ボール磨き、トンボでのグランド整備、練習試合の日程調整等の雑用は、二軍部員が一手に引き受けていた。そこで、些細なミスでもあり、一軍部員の機嫌を損ねれば、連帯責任の「罰練」が待っていた。

 大部屋の入り口で、

「二軍全員、速やかにグランドに集合!」

の怒鳴り声が聞こえれば、

「はいッ!」

の返事よろしく、例えそれがレギュラーの一年生部員からの「罰練」召集であったとしても、四年生以下二軍部員全員が、即座にグランドに集合しなければならなかったのである。
 「大部屋練」「罰練」とも、基礎体力を中心としたトレーニングだったが、東和のくだらない伝統として、トレーニング中、「トレーナー」の一軍部員が、二軍部員にクイズを出し、答えられないとメニューが追加されるのだった。後輩が「トレーナー」だと、それは特に屈辱的である。言葉では先輩と呼びかけてくれるが、

「先輩、本能寺の変はいつッスか?」

「・・・・、わからん・・・」

「三年なのに、そんなのも知らないんスかぁ??腹筋、三セット、追加ッスね!」

と来る。

 もちろん、先輩であっても、自分を鍛えてくれる一軍部員に礼を言わなければならなかった。

「腹筋、三セット追加!ありがとうございました!」

と・・・。

 特に一年生レギュラーがトレーナーだと、クイズとして受験勉強の知識を尋ねてくることが多く厄介で、三・四年生の大部屋部員には辛かった。

 このように一軍と二軍部員の間に、徹底的に待遇の差をつけ、部員間のライバル意識、ラグビーの実力向上へのモチベーションを高める、それが東和大ラグビー部のやり方だったのだ。

 同じく、一軍夏合宿は、爽やかな信州・菅平高原で行われ、二軍は、ニコタマ寮に隣接する猛暑の多摩川グランドでの強化練習であった。

 特に、夏休み前は、レギュラー・準レギュラー候補者として一軍に選ばれ個室を与えられるものもいれば、一軍落ちし、大部屋での生活が始まるものいた。まさに悲喜交々の時期であった。

 もちろん、一軍に選ばれても、安心はできない。菅平合宿中に、実力をアピールできないと、早々、二軍落ちをするものもいれば、多摩川グランドで実力を認められ、菅平に送り込まれるものもいる。新シーズンの最終体制が固まるまでは、約一月に一回、一軍・二軍間でメンバーの入れ替えがあるのだ。


 
四、嗚呼、二軍落ち

 膝の怪我に泣き春シーズンを棒に振った高野健一は、春から夏にかけての多摩川での練習にもほとんど参加できなかった。春シーズンの活躍度と夏までの練習でいかに監督・コーチにアピールできるかで、夏前の一軍入りか否かが決まる。健一の二軍落ちは、誰の目からも順当だった。

 確かに健一は、東和大ラグビー部にとって重要な選手だ。しかし、選手層の厚い東和大ラグビー部だ。高野の代わりになる選手なら、何十人でもいたのであった。二軍部員といえども、他大学へ行けば、レギュラーを張れるやつらばかりだったからだ。

「ケン、わかってるな・・・明日からしばらくの間、二軍で調整してもらう!いいな!」

 次の日の新一軍のメンバー発表を前に、監督室へ呼ばれ、青山監督から直に二軍へ落ちることの宣告を受ける高野健一だった。
 
 覚悟はしていたが、さすがにガックリと落胆の表情を見せる健一だった。

「はい・・・」

 蚊の泣くような声で返事をする健一だった。185cmと大柄でゴツイ体型の健一が、肩を落として背を丸め、まるで子供のように小さく見えた。
 
「そうがっかりするな・・・お前だったら、来シーズンは、必ずまたレギュラー入りできるよ・・・」

 青山が健一にラグビーを初めて教えたのは、小学四年生の時だった。健一のラグビーの素質を見抜いた青山は、健一に特に目をかけ、ラグビーの指導に当たってきた。そして、健一の東和大入学とともに、弱冠31歳で、東和大ラグビーを率いることとなった青山である。それだけに、健一を一軍から落とすことは、自分の手足を引き裂かれるような思いで、非常に辛かった。どうにか健一を励まそうとする青山だった。

 青山の励ましにも、

「はい・・・」

と、生気なく答える健一。

 かわいそうだが、健一だけ特別扱いはできなかった。最後に、青山は、厳しいが健一が甘んじて受け入れなければならない現実を健一にわからせるように付け加えた。

「よし、部屋の整理をしておけ!かわいそうだが、お前だけ特別扱いはできんからな・・・明日のメンバー発表後すぐに、大部屋に移れるように荷物をまとめておけ!」

「は、はい・・・失礼します・・・」

 健一はわかってはいたが、大部屋への引越しという厳しい現実を突きつけられ、泣きそうな顔で監督室を後にした。

「そんな情けない顔するな!がんばれよ!」

 監督は、185cmと大柄な健一の後姿を眺めながら、今一度、健一に励ましの言葉をかけてやった。

 一軍から二軍、すなわち、大部屋行きとなった部員に、大部屋で、どんな試練が待ち受けているのか。東和大ラグビー部出身の青山には、充分すぎるほどわかっていた。
 
 ピッチリしたラグパンに包まれ、ほとんどハミケツ状態の、鍛えられた健一のケツを眺めながら、青山は、思わず、ジャージの中の自分の両ケツをキュッと引き締めてしまった・・・

 いつも懲罰で二軍へ落ちる一軍・部員には、ニタっと笑い、

「ケツを大事にせいよ・・・」

と、キツイ冗談を言うのだが、今回は、怪我、すなわち、故障が理由での一軍落ちだ。ガキの頃から知っているカワイイ健一には、あまりにもかわいそうで、冗談をいうことさえできなかった。

・・・・・・・・・

 翌日、健一と同様、やはり怪我に泣いて二軍へ落ちる同輩の久住伸照とともに、健一は、荷物をまとめ、三階の個室から、夏前で蒸し風呂のような五階・大部屋へ移動した。五階の廊下のロッカーに納まりきれない荷物は、実家に送り返すしかなかった・・・。

 一軍の三年生部員であるケンこと高野健一と、ノブこと久住伸照のレギュラー落ちは、残った一軍部員たちの間では、ちょっとしたショックをもって受け止められていた。

 久住は、大柄の高野よりも小柄の175cmで、まさに、桃園では、大分県立津田見高校の主将として、決勝戦で、高野たちとピーチ杯を争った選手だった。

 まさに、高校ラグビーのかつての花形スターたちのレギュラー落ちに、いつもなら「怪我をするのも実力がない証拠!」と割り切って考える一軍部員たちも、東和ラグビーの厳しさを実感し、「明日はわが身」とならないよう、一軍に残れても、決して安心することなく、しっかりと精進に励むことを心に誓うのであった。

・・・・・・・

 一軍選手のみが使えるVIPルームと呼ばれる娯楽室のソファーの上でくつろぎながら、高野の高校時代のチームメートたちが、高野と久住の噂をしていた。

 高野の高校時代のチームメートで東和大に入学したヤツは、全員、ラグビー部に入り、そして、一軍入りを果たしていた。

「あぁ〜あ・・・ノブとケンは、今晩、大部屋でケツ殴られんのか・・・・」

「ああ、哀れだよな・・・三年にもなって・・・」

「知ってるか?上級生用の『挨拶板』は、新歓の「板」より、二倍位デカくて重いんだぜ!」

「ウッそぉ!!新歓の時、食らったときも、俺、死ぬかと思ったよ・・・やられた後は、ケツが痛くて、一週間くらい、まともに椅子に座れなかったんぜ・・・本当に、あれ以上なのか?」

 三年生になってやっと一軍に上がってきた森本剛志は、得意そうに、

「当たり前だろ!一年の時からレギュラーのお前らと違って、俺は、一軍落ちした先輩の『歓迎式』を何度も見てきたからな・・・悲惨だぜ・・・高野と久住も、今夜は、上を向いて寝れんだろうな!ケツも腫れ上がって、ラグパンもはけないんじゃないか。」

と、面白そうに声を弾ませてしゃべっていた。レギュラーの一・二年生が大部屋での尻叩きの儀式を覗くことは、部員たちの間の不文律で禁止されていた。

「マジ!?」

「マジかよ・・!?」

 VIPルームにいた三年生たちが、森本たちの周りに集まってきた。大部屋での話を、もっと聞きたいという風だった。 

「北本先輩のこと覚えてるだろ?」

「ああ、俺たちが一年の時、俺たちと入れ替わりで二軍に落ちた、ロック(LO)の先輩だろ?」

「ああ、あの190cm、117kgの巨漢が、泣いたんだぜ!『歓迎式』で『挨拶板』食らったあと、大部屋の一番端の一年の俺の隣に寝ててさぁ、消灯後、枕に顔を埋めて・・・必死で、泣き声を押し殺すようにな・・・俺、笑いを堪えるのに必死だったぜ!」

「・・・・・」

「・・・・・」

 そこで普通、先輩のこと笑うか?と、森本の話を聴いていた高野の高校時代のチームメートたちは、なんとも複雑な表情を浮かべた。

 森本剛志のポジションは、SH。東和大付属久我山高校時代は、高野と主将の座を争ったと勝手に思いこみ、なにかにつけて高野をライバル視する、ちょっと、ひねたヤツだった。

 スクラムハーフというポジションから、自分が当然主将に指名されると思っていたところ、意外にも、WTBの高野が主将に選ばれ、そのことをいまでも悔しい、順当ではない、監督の贔屓だと根に持っている森本だった。

 しかも、高野たちの入学時には、東和大ラグビー部では、ポジション的にSHの選手層が特に厚かった。そんな中、森本は、高校時代のポジションであるSHにこだわリ過ぎて、超・高校級といわれ、次々と一軍・レギュラー入りを果たす、高野の高校時代のチームメート中で、ひとり取り残され、一・二年生と、二年間も二軍・大部屋部員として苦労したのだった。

 森本は、高野が落ちて、自分が一軍に上がったことが、痛快で仕方なかったのだった。今度は、高校時代のチームメートのなかで、高野がひとり二軍に取り残されたことが、楽しくて仕方なかった。

「これから『儀式』をみんなで見に行こうぜ!大部屋によぉ!」

「行こうぜ!行こうぜ!」

「高校の花形スター二人が、四つん這いになってケツ殴られるなんて、こりゃ見ものだぜ!」

と口々に言う、高野と同期の三年生の一軍・部員たち。

 その時、

「やめろ!そんなくだらんこと!俺たちの仲間だったヤツが大部屋で苦労するのを見るのがそんなに楽しいのかよ!お前らそれでも、アイツらの仲間かよ!」

と、怒鳴った部員がいた。

 高野、森本らと同じく、東和大付属久我山高校の出身。ポジションは、SO。高野の親友であり、高校時代は、副将として、高野とともに、チームを引っ張ってきた相沢誠之だった。

 相沢も、超・高校級の実力を持っているとマスコミで騒がれた高野の高校時代のチームメートの中では、二年生になってからの一軍入りで、遅咲きだった。それだけに、森本同様、一軍から落ちてきた先輩の悲惨さを充分に知っていた。

 まさか、ラグビーに関しては天才的才能を持つ親友の高野が怪我で一軍落ちするとは・・・

「アイツなら絶対にすぐに一軍に戻ってくる」

と信じてはいても、その厳しい現実から顔を背けたいと思う相沢だった。

「いいよ、マサがいかないなら、俺たちだけで見にいくから・・・」

 少し白けた雰囲気の森本と何人かの三年生部員が、その『儀式』を見物に、VIPルームを出ていこうとしていた。

 森本は、VIPルームの入り口近くで、遠慮がちにくつろいでいた二年生の一軍部員二人に、

「お前らもいくか?」

と、ニヤリと意地悪そうな笑いを浮かべ尋ねた。

 もちろん、先輩の尻叩きには、興味津々のその後輩たちは、

「え!いいんスか・・・先輩!」

と、目をギラギラさせ、声を弾ませ、森本に聞いてきた。

「剛志、二年生連れて行くのは、ヤバイんじゃねぇ〜?」

と、三年生の一人が、心配そうに言った。

「そんな、堅い事いうなよ!お前らだってみたいよな!」

「は、はい・・・」

と、 遠慮がちに答える二人の後輩。

「知らねぇ〜ぞ・・・四年の先輩にみつかっても・・・」

  四年の先輩とは、もちろん、一軍の四年の先輩のことだ。

「俺が責任とるから、大丈夫だってば!さあ、行こうぜ!さあ、お前たちも行くぞ!」

「はい!」「はい!」

と、ワイワイ・ガヤガヤ騒ぎながら、五階の大部屋へと、高野と久住の恥辱の尻叩きを見物に行く森本たちだった。

「ったく・・・アイツらッたら・・・それでも仲間かよ・・・」

と、チームメートたちの健一に対する無神経な行動にガッカリした表情で独りVIPルームに残る相沢だった。



五、手荒い歓迎式

 大部屋に「入居」する東和大ラグビー部員が、かならず経験しなければならない試練があった。

 それは、「挨拶板・ケツ叩き」といわれる、決して自慢などできない、東和大ラグビー部の恥部ともいうべき因習であった。その因習を「暴力だ!」「リンチだ!」といい、部を辞めていった者も、決して少なくはなかった。

 現役時代を懐かしむ東和大ラグビー部OBでさえ、まるでそんな悪習はなかったかのように、同窓会等で「挨拶板」のことを話題にする者はほとんどいなかった。

 東和大ラグビー部ニコタマ寮で、「挨拶板」の打音が聞かれるのは、新入生が始めて入寮する時、そして、一軍部員が二軍へ落ち大部屋に戻ってくる時だ。

 新入生が始めて入寮する時は、だれも「挨拶板」から逃げることはできなかった。四月の新入生歓迎コンパで、自己紹介時、先輩全員から「挨拶板」で、ケツに手荒い歓迎の印を受けるのである。

 一方、部員の一軍落ちがあった時は、主に、二つの場合があった。一つは、今回の高野や久住のように故障等でレギュラーの座を維持できない場合。そして、もう一つは、一軍選手に懲罰として、一定期間、二軍行きが命じられる場合だった。

 後者の場合は、一軍選手が、寮の内外で不祥事を起こした時と(特に、女性、飲酒に絡む事件など)、定期試験でD(不可)をもらった時(成績不良)だった。いずれも、監督の判断で、一定期間、二軍での謹慎が命じられた。一軍部員たちの間では「懲罰二軍」と呼ばれ恐れられていた。

 東和大では、Dをもらって追試となることを「ドラを食らう」と呼ぶ。「ドラを食らう」ことは、一般学生にとっては「追試」を意味するが、一軍ラグビー部員にとっては、「追試」の他に、もう一つ、特別の意味があった。「懲罰二軍」である。すなわち、レギュラー落ちの上、大部屋での「挨拶板」によるケツ叩きが「ドラを食らった」一軍選手には待っていたのだった。

 文武両道を謳う東和大ラグビー部ならではといえば、ならではだった。一軍部員は、定期試験が終わり、次学期始めに教務課から成績表が交付されると、その成績表を、監督にみせなければならない。そして、「D」の評価が一つでもあれば、追試で合格するまで一定期間、「懲罰二軍」が申し渡されるのであった。

 ラグビー野郎なら、誰でも、ラグビ−以外の理由で二軍に落とされ、ケツを嫌というほど殴られたくはないはずだ。東和のラグビー部員は、一軍・レギュラー部員ほど、試験勉強を必死になってやるのだった。まさに、一軍・レギュラー部員にとって、定期試験とは、ケツ叩きが懸かった、スリルあるイベントだったのである。
 
 東和大体育会ラ式蹴球部・部史的には、昭和二十年代後半、ラグビー部員の大量カンニング事件をきっかけに、文武両道を掲げるラグビー部の伝統を守り、ラグビー部員に学業をおろそかにさせないことを目的に、成績不振者に対する懲罰として、ビンタを張る儀式が学生の間で始まったことが「挨拶板」の儀式の起源だとされている。

 時には、拳によるパンチも出る迫力ある儀式だったらしいが、けが人が続出したため、いつの頃からか、現在のケツを叩くやり方に代わったと言われている。

 そして、成績不振者に対する懲罰だけだった儀式が、時代を経るにつれ、新歓コンパで新入部員・全員にも行われ、レギュラー落ちして大部屋に戻ってくるすべての元一軍部員にも行われるようになり、現在に至っていた。
もちろん、これは、「東和大体育会ラ式蹴球部100年史」などの正史を記した書物には、絶対に載る事のない裏の歴史である。
 
 このような、決して外部には漏らしたくない悪習でも、ひとつだけ、役に立っていると現役部員からは信じられ、「尻叩き」のもっともな言い訳としてよく使われる理由があった。

 それは、劣悪な環境で「いつかは自分も一軍に!」と果たせぬ夢をもってがんばっている万年・大部屋・二軍部員たちの、一軍部員に対する嫉妬のはけ口になっているということだった。

 すなわち、いままで、一軍で威張り散らしていたレギュラー部員がレギュラー落ちし、大部屋に戻ってきても、二軍部員たちが陰でリンチすることのないよう、日頃の恨みや妬みを解消させてやるための儀式が、「挨拶板・尻叩き」の儀式だというのである。

 いくら人が好い野郎であっても、就寝中に一年生から叩き起こされ、強制的にトレーニングに駆り出されれば、一軍部員に対して不満の一つも持つだろう。さらに、一軍は個室、二軍は通年平均60人の大部屋住まいと、これだけの待遇の差をつけられれば、なおさらのことだ。

 まさに、

「挨拶板で一発ケツを殴って、あとは、男らしく、さっぱり恨みっこなし!」

ということである。そして、「挨拶板」の儀式がすめば、いままで威張っていた一軍部員といえども、一緒にレギュラーをめざし苦労を共にする二軍の仲間として「温かく」迎え入れられるということだった。

「どこかの体育会・寮でやってるみたいな、深夜に毛布を被せて集団で殴る蹴るのリンチよりはマシでしょう・・・」

と言い訳をする四年生・大部屋部員もいた。「挨拶板・尻叩き」は、まさに必要悪なのだろうか・・・これには反論する読者の方も多いであろう。

 もちろん、大部屋に限らず、寮内でのいじめ・リンチ等は、厳に禁止され、発覚した場合は、いじめに関わった当事者には、伝統ある東和大体育会ラ式蹴球部では最も重い公式懲戒処分である、即日・除名追放退部処分が申し渡されることを、付け加えておきたい。

・・・・・・・・・・・・

「布団をたたんで、速やかに集合しろ!」

「はいッ!」「はいッ!」

と、大部屋の四年生の命令で、それぞれ布団の上で、くつろいでいた大部屋・二軍部員たち、約50名が、一斉に布団を畳み始めた。

 年に二回程度の虫干し時以外は、ほとんど掃除もせず、布団を敷きっぱなしの大部屋だった。あたりに男臭い埃が巻き上がった。

 大部屋の連中は、寮内でも、全員、汚れて臭う二軍用の「白」のラグビージャージに、「白」のピチピチラグパン(ラグパンは一・二軍共通)だった。もちろん、「大部屋練」「罰練」の突然の召集に備えるためだった。

 当時は強い大学のラグビー部ほど、ラグパンが小さく短く・ピチピチであるといわれた。大学同士でラグパン・ピチピチ度、そして、限界まで短くし、「あわやハミケツ・ハミチンかぁ!!」の危険度を競っている時代でもあった。

 九年連続の決勝戦進出、三年連続の大学日本一を目指す、その年の東和のラグパンは、これ以上短く小さくしたら、競パンかTバックかぁ?と思わせるほど、ラグビー猛者どもの鍛えられたムッチリ・ガッシリケツを包むには、超ピチピチの小ささだった。特に、練習用ラグパンのピチピチ度は半端なく、惜しげもくハミケツをまわりに晒している部員も多かったのである。

 大部屋の窓側には、カーテンレールに沿って、物干し紐が垂れており、そこには、汗臭いユニフォームやケツ割れサポーター、そして、洗濯された休日用・白ブリーフなどが、干されていた。健太の父親、健一が学生のころは、大学生男子の下着は、いわゆる猿股・ズボン下が衰退し、スタンダードタイプの白ブリーフが主流、トランクスはまだ一般的ではない時代だった。

 因みに、ユニフォームは、上はラグビージャージに、下はケツ割れサポーターの上にラグパンが主流の時代だった。

 一斉に起きだした大部屋部員は、部屋の窓側、そして、廊下側に、布団を畳んで寄せ、廊下側、窓側にそれぞれ、二列ずつになって正座した。蒸し暑い大部屋では、上半身・裸のヤツも多かった。

 壁に、校旗とラグビー部旗のかかる大部屋正面には、二軍の「幹部」である、二軍・主将、二軍・副将、そして、主務、副務の四年生たちが、横に並び、正座した。

「よし、これから、俺たちとこの大部屋で生活を共にして、レギュラー入りを目指す、三年の高野と久住を君たちに紹介する。君たちも、一人ずつ、自己紹介してくれ。」

と、大部屋長であり、マネジャーの役割を果たしている主務の四年生・松本が立ち上がり、正座している二軍部員たちに宣言した。

 窓側、廊下側に二列に正座している二軍・部員たちは、

「はいッ!」

と、一斉に、大声で応えた。腹に響く、ラグビー野郎たちの雄たけびだった。

 大部屋幹部が正座しているちょうど正面、大部屋の「下座」では、用具管理掛長の四年生・佳川が、ニヤニヤ笑いながら立っていた。

 佳川は、一メートルほどの長さのあるその「板」のブレードの部分を下にして大部屋の畳の上に置き、細くなった握りの部分の先端に両手を置き、その「板」を自分の体の前に立てるようにして持っていた。

 その板は、大きなへらのような形をしており、ブレード、すなわち、高野たちのケツを強襲する部分は、幅15cmで、長さは60cm、そして厚さ3cmほどだった。そして、握りの部分は、長さ40cm程で、直径3cmほどの円形に削られていた。
 
 もともと肌色の硬質オーク材と思われるその板は、何人の一軍落ち部員たちのケツを泣かせてきたのだろうか、全体的に黒光りしていた。

 特に、ブレードには、墨黒々と「大歓迎」と書かれ、その裏側は、ラグビー野郎の生ケツの脂がこびり付いているのだろうか、まるで、ケツ拓でもとったように大きな黒い楕円形の二つの大きな染みが周囲より一際黒く目立っていた。

 まさに、その部分に、一軍落ち野郎のケツの双丘が、あてがわれたのであろう。まるで、板の上に、尻餅でもつくように、ドッスゥ〜〜〜ン、ドッシィ〜〜〜ンと・・・そして、グリップの部分は、大部屋・部員たちの掌の脂がこびりつき、やはり黒くなっていた。

 大部屋の入り口のところで、まだ部屋に入ることが許されず、直立不動の姿勢で立たされている高野と久住は、入部以来始めてみるそのレギュラー落ち部員の臀部痛打用「挨拶板」の迫力に、大臀筋を思わず引き締めていた。

「マジかよ・・・あれで、ケツ殴られんのか・・・」

「マジか・・・あんな分厚い板があったなんて・・・」

 高野も久住も、一年生の夏休み前に、一軍に合流したため、上級生用「挨拶板」を見たことがなかったのであった。それは、一年生の時みた「挨拶板」とは違っていた。新歓用の「挨拶板」はもっと薄く、毎年数本新しいものが用意され、多いときは、四十人近くになるときもある新入部員たちのケツを殴るために使われる。毎年、ほとんどすべてが折れて使い物にならないのだった。

 しかし、その、いわば、上級生のケツ用「挨拶板」は、使われても年に数回、しかも硬質オーク材で作られているため頑丈で、代々、大部屋部員たちによって、管理され、受け継がれてきていた。

 何十年にもわたり不運なレギュラー落ち部員や、学業の振るわない「怠惰」な部員たちのケツを痛打し、泣かせてきた板であった。ラグビー野郎たちのケツの涙、いや、脂汗が黒く染み付いた、まさに年輪を感じさせる、荘厳な威圧感のある「挨拶板」だったのだ。

 昨日まで自慢げに着ていた、レギュラー部員の練習用ユニフォームである部のエンブレムが胸に入った水色のジャージを着用することは、すでに二軍部員の高野と久住には、もう許されなかった。 
 
 二人は、すでに二軍部員のユニフォームである新しい純白のラグビージャージに、一・二軍共通の、白の超・ピチピチラグパンだった。ジャージの胸と背中、そして、ラグパンの腰のところには、黒のマジックで、それぞれの名前が記入されていた。

 洗濯することもなく灰色に汚れた穿き古した「白」のピチラグに対して、真新しい白のジャージがまぶしかった。もちろん、ラグパンの下は、汗で汚れた酸っぱい臭いのケツ割れ一丁であることは述べるまでのない。ラグビー野郎たちは、一シーズン数回ほどしか、ケツ割れもラグパンもユニフォームも洗濯しないのであった。臭いのが当たり前だった。

 因みに、二軍部員にも、ユニフォームが支給される点、まだ、東和大のラグビー部は、当時としては、恵まれている方だった。

「よし、高野!久住!こっちへ入ってきて、そこに正座してくれ!」

と、大部屋長・松本が、高野と久住に命令した。

「はいッ!失礼します!」

「はいッ!失礼します!」

と大声で返事をし、緊張した面持ちで、二人は、大部屋に足を踏み入れた。

 高野と久住の二人は、大部屋・幹部の四年生たちが正座しているまさに正面・向かい側の下座の壁の前に、正面を向いて、正座した。ちょうど、左右両側にそれぞれ二列に並んで正座している大部屋部員たち、そして、正面の幹部たちに、コの字型囲まれて正座をする高野と久住だった。

 二人は正座して、正面を見つめながらも、自分たちの左やや後方で挨拶板を持った用具管理掛長の佳川が持つ「挨拶板」を、チラチラと気にしていた。

 二人は、「挨拶板」の「視線」を左ケツにピリピリと感じていた。まるで二人の尻をギロリと睨みつけ、二人のラグパンに包まれたケツにガツゥ〜〜〜ンと、気合を注入するのを、今は遅しと待ち構えているように、高野と久住は感じたに違いなった。

 二軍の四年生たちは、「久住と高野、ビビってやがる・・・」と、内心、思っていた。

 二軍・三年生たちは、同期だけに、遠慮はなく、ニヤニヤ笑いながら、

「一年の時から、レギュラーで威張ってやがった高野と久住のケツを叩けんのか・・・思い切りやらせてもらうぜ・・・」

と、指をポキポキならしたり、中には、掌を、パチィ〜〜〜ン!、パチィ〜〜〜ン!と、打ち鳴らしているものもいた。

 二軍・二年生たちは、いままで威張っていた二人の先輩のケツを遠慮なしにシコタマ殴れるのが楽しみな反面、一歳上で高校ラグビーの花形スター、まさに憧れの的だった高野と久住の悲惨な一軍落ちに、「東和ラグビー」の厳しい現実を思い知らされていた。

 そして、二軍部員の約半分25名を占める、一年生たちは、全員、つい三ヶ月前、「挨拶板」を味わっただけに、ケツがムズムズする思いだった。しかも、新歓の時とは、全く違う、黒光りしてド迫力のケツ叩き板に、ゾッとする思いだった。

 月間雑誌「高校ラグビー」の表紙を何度も飾った高野と久住である。一年生・二年生の中には、彼らにとってまさにアイドル的存在だった彼ら二人に憧れて東和大を受験し、ラグビー部に入部してきた部員も多かった。繰り返しになるが、もちろん、彼らのほとんどは、他大学ラグビー部ならば、確実に下級生にしてレギュラー入りできる実力を持つ選手も多かったのである。

 また、高野・久住の高校時代の後輩部員も多く、そういった部員は、「やりにくい・・・」と思い、気まずく複雑な思いだったろう。高校で、三年生の尻を、一・二年生が殴るなど、考えられないことであった。

 一方、真っ赤な顔で、大部屋の下座に正座している高野と久住も、二軍・部員の中に、顔見知りの「後輩」が多いことに気がつき、改めて屈辱感を噛みしめていた。 

 大部屋の窓は、すべて開け放たれ、廊下側の窓からは、森本たち野次馬の一軍部員たちもニヤニヤ笑いながら、儀式が始まるのを、今は遅しと待ち構えていた。

 いよいよ、「儀式」の始まりだった。

 大部屋長、松本が、

「では、高野、久住から、まず、自己紹介してくれ!」

 大部屋での自己紹介は、正座して、両手を畳みに上について行う。

 高野と久住は、順番に大声を張り上げ、自己紹介した。

「こんちわッス!経済学部、三年、高野健一!ポジションはウィングです。今日からみなさんとここで生活することになりました。よろしくお願いします!」

 WTBは、高校時代からの健一のポジションだ。高校三年生では、その冷静な判断力を評価され、WTBからは異例の主将抜擢となり、桃園では、ピーチ杯を母校にもたらした。

 大部屋部員たちの割れんばかりの「歓迎」の拍手が自己紹介に続いた。

「こんちわッス!教育学部、三年、久住伸照!ポジションはスクラム・ハーフです。今日からみなさんとここで生活することになりました。よろしくお願いします!」

 キャプテンシーをとる選手の典型的なポジションであるSH。久住は、そのリーダーシップを遺憾なく発揮し、桃園では、最強といわれた東和大付属久我山学園を最後まで苦しめた。しかし、もう、その栄光も過去のものだ。今は、単なる二軍の雑魚だった。

 再び、大部屋部員たちの拍手。

 その音は、すべての窓と扉が開け放たれた五階の大部屋から寮内へ響き渡っていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・

 寮内にいた四年生・一軍部員は、

「始まったな・・・いつものヤツが・・・」

「高野と久住か・・・かわいそうになぁ・・・・」

と、口々につぶやき、囁きあっていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・

 高野健一の幼稚舎からの親友・相沢は、VIPルームから自室へ独りもどり、大部屋の一階下、四階の自室で机に向かっていた。

「あぁ・・・いよいよか・・・ケン、負けんなよ・・・絶対また一軍に這い上がって来いよ・・・また、お前といっしょに、ラグビーがやりたいよ、楕円球を追っかけたいよ・・・俺は・・・」

 自己紹介の拍手の後、しばらくすると「あの音」が聞こえてくるのだった。親友・高野のケツと「挨拶板」が接触する音だ。

 相沢は、その音だけは聞きたくなかった。高野の親友は、自室の窓をしめ、エアコンのスイッチをオンにした。そして、ラジカセのテープの音量をMAXにした・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・

「高野!久住!位置につけ!お前ら二人が、これから俺たちと二軍・大部屋暮らしを始めるのを祝し、これから、俺たちからの歓迎の印を受けてもらう!覚悟はいいな!」

「はいッ!覚悟はできてます!ありがたく頂戴させていただきます!」

「はいッ!望むところです!ありがたく頂戴させていただきます!」

「よし、さすが一年からレギュラー張ってきただけのことはあるな・・・二人ともいい根性だ!さあ、速やかに位置につけ!」

「はいッ!失礼しますッ!」

「はいッ!失礼しますッ!」

 その位置を説明してもらう必要はなかった。高野と久住は、立ち上がると、二軍部員たちがコの字型に囲んだほぼ中央に、横に並び、正面に顔を向け、四つん這いになった。

 大部屋の百敷きの畳。それらはすべて茶色く変色した畳だった。二軍部員たちの汗と涙が染み付いてる男臭い畳だった。虫干ししても消えない野郎たちの体臭がそこに染み付いていた。

 その百畳のうち、部屋の中央の二畳だけには、ひときわ濃く、ほとんど黒色に変色している脂汗染みがついていた。その染みは、一畳につき四つ。上から見るとそれらは、まさに、ラグビー野郎の手形と足型だった。

 高野と久住は、その「手形と足型」にあわせて、大部屋の上座である正面を向いて、並んで四つん這いとなり、ケツを後ろに突き出していた。

 大部屋部員たちに取り囲まれ、その手形と足型にあわせて、四つん這いなるのが、伝統の「挨拶板」をケツにありがたく頂戴するときの体勢だった。

 その体勢をとることが、まさに、「位置につく」ことであり、東和大体育会ラ式蹴球部に入部した新入りが、まず最初に歓迎会で先輩から指導をうける、部員のたしなみのひとつであった。

 さっそく、大部屋長の松本からは、再び、

「高野!久住!二人とも、しっかり、ケツを上に挙げィ!」

と、一年生の時と同様の指導が飛んだ!

 ほぼ、二年ぶりのこの屈辱的な尻叩きの体勢をとる、二人の三年生だった。

 松本の指導を受け、寮中に響き渡る大声で、

「はいッ!失礼します!」

「はいッ!失礼します!」

と、返事をすると、両膝をしっかりとピシッと伸ばし、

「よし!いつでも、来いや!!」

とばかりに、ピッチリした白ラグパンに包まれた、鍛えられた堅い大臀筋がムッチリついたケツを、しかっりと、まるで、天井に向かって、突き出すように、後ろに挙上した。

 上げ方が足りないのか、それとも、高野と久住に徹底的に屈辱的な姿勢をとらせる伝統のイジメなのか、松本は、なかなか「よし」とはいわなかった。

「もっとケツをしっかり上げィ!」

「ケツの突き出しかたが足りん!もっと気合をいれて、突き出さんか!」

「もっと、ケツを高く高くだ!高く後ろに突き挙げィ!」

と、何度も何度も、松本の注文が飛んだ。

 その度に、大声で、

「はいッ!失礼します!」

「はいッ!失礼します!」

を繰り返し、両足をさらにピシッと気合を入れて伸ばしたり、頭をさらに下げたり、腕を屈めたりして、なんとか松本が気に入るケツ突き出しの体勢をとろうとした。

 高野も久住も、四つん這いになりながらも、両掌はしっかり開いて畳の上の手形にあわせてつき、そして、両足は約四十五度に開き、膝はしっかりとピシッと伸ばし、ケツを天井に向けてプリッと突き出す姿勢をとっていた。

 高野も久住も、大部屋長の気に入る「ラグビー野郎がペナルティーを受ける時の、凛として、気合が入っった、そして、潔い、ケツ突き出しの姿勢」をやっととることができたらしかった。

「よし、それでは、一年生からひとりずつ、高野と久住に、自己紹介して、『挨拶』してくれ!それでは、阿部からだ!始め!」 

 松本の命令を受けて、大部屋・窓側の一番端の前列に正座していた一年生・二軍部員の阿部耕一は、高野と久住が四つん這いでケツを突き出している後ろにまわり、再び正座すると、畳に両手をついて、なんと、二人のケツに向かって、

「こんちわッ!経済学部一年、阿部耕一、ポジションはフルバックです。よろしくお願いします!」

と、大声で叫んだ。そして、立ち上がると、佳川から、「挨拶板」を受け取った。

 そして、挨拶板を両手で握り、

「失礼しますッ!」

と、久住に挨拶すると、挨拶板を振り上げ、それを思い切り、久住のケツめがけて、振り下ろした。

パチィ〜〜〜〜〜〜〜ン!

と、高く響く音が、大部屋そして寮中に響き渡った。東和大ラグビー部に入ってくる猛者だ、一年の二軍部員といえども、ズッシリ・ガチムチ体型で、ケツ叩きの威力も、並大抵ではなかった。

 久住は、思わず目を閉じると、畳を掴むように掌に力を入れた。

「熱ちぃ・・・・うぅ・・・・痛てぇ・・・」

 久住が隣で小声で叫んだのが、高野には聞こえた。ケツの衝撃が、久住の脳天を直撃し、焼けるような痛みが、久住のケツに拡がっていた。しかし、四つん這いの久住は、ケツをさすることもできず、また、いつまでも痛がっていることも許されなかった。

 「挨拶板」での尻叩きは、あくまで挨拶だ。感謝する必要はない。しかし、叩かれた方は、同じように挨拶で応えなければならなかった。

「こちらこそ!よろしくお願いしまァッすッ!!」

 頭を上げて、正面に向けて顔をキッとあげ、大部屋・二軍・幹部たちを睨みつけるように、「後ろで立っている」後輩の阿部に、大声で挨拶を返す久住だった。しかし、その声は、絞り出すように苦しそうな声だった。

 隣を向いたわけではなかったが、上級生用「挨拶板」の威力は、想像以上であることが、となりの久住の息づかいでわかった。そして、次は自分の番と、ケツ筋をキュッとしっかり引き締め、ケツを再びしっかりと後ろへ突き出す高野健一だった。

「いよいよか・・・阿部にケツを殴られるとはな・・・情けねぇよ・・・」

 もちろん、阿部耕一は、高校時代の高野の二年下の後輩だった。高野の紅い顔が、耳まで紅潮してきた。一方、高校時代は、高野に主将としていろいろ世話になった阿部もやりにくそうだった。

 戸惑いの表情を浮かべれば、松本からの、厳しい「教育的指導」が入ることは、明白だった。一年生の阿部にとっては、松本に怒鳴られることもまた恐ろしいことだった。

 東和ラグビー部の掟だ。やらなければならなかった。いま持っている「挨拶板」で、高野先輩のケツを情け容赦なく打ちのめさなければならなかった。

 阿部は、自分の前に四つん這いになり、ケツを突き出している哀れな格好の先輩の後ろへ立ち、両足を少し開いて、挨拶板を構え、高野のケツの中央に狙いを定めた。

「すいません!高野先輩!」

と、心の中では叫んでいた。しかし、幼稚舎からの生え抜き「東和ボーイ」である阿部には、東和の掟を破る勇気はなかった。

「失礼しますッ!」

と、まるでヤケになったように、叫ぶと、高野先輩のケツに、思い切り「挨拶板」を炸裂させた。

パチィ〜〜〜〜〜〜〜ン!

 久住の場合と同じ着打音が、全寮内に響き渡った。

 高野は、自分の後ろで、自分のケツが音を発てるのを聞いたと同時に、焼けるような痛みをケツに感じた。思わず叫びたくなるような痛みだった。まるでケツに焼きゴテでも押し付けられた様だった。すぐにでも、立ち上がって、両手で、その「火」を消したい衝動に駆られた。しかし、そんな無様なことは許されなかった。
 
 久住同様、

「こちらこそ!よろしくお願いしますゥッ!!」

と、叫ぶように挨拶して、阿部の挨拶に応えた。

 辛そうな顔で、阿部は、佳川に、「挨拶板」を返すと、元の自分の位置に戻り正座した。

 ジリジリと、ケツの痛みが、久住と高野を苦しめていた。あと、49人分の「挨拶」を受けなければならなかった。しかし、久住のケツにも高野のケツにも、休憩は与えられなかった。

「よし!次!飯島!」

と、松本は、次の一年生を指名した。

 阿部と全く同様、

「ちわッス!法学部一年、飯島義巳、ポジションはプロップです。よろしくお願いします!」 

と、声での挨拶。

 そして、立ち上がり、思いっきり腰を入れての「挨拶板」による挨拶だった。

「失礼しますッ!」

バチィ〜〜〜〜〜〜〜ン!

「こちらこそ!よろしくお願いしますゥッ!!」

「失礼しますッ!」

べチィ〜〜〜〜〜〜〜ン!

「こちらこそ!よろしくお願いしますゥッ!!」

の、痛打音と久住と高野の挨拶がそれに続いていた。

・・・・・・・・・・・・・・・

 森本は、五階の廊下で、一年生から、高野と久住がケツを打たれるのを、目をギラギラさせながら、眺めていた。

「面白れぇ〜〜〜!最高だよ!やっと、高野に勝ったぜ!」

 ライバルが情けない格好を大部屋で晒し、ケツを打たれている姿は、まさに、この二年間、大部屋での苦労を舐めさせられてきた森本にとっては、夢のような光景だった。

 一方、森本の周りの三年生たちは、「儀式」を初めて見て、下の階で五階から洩れてくる音を聞いただけでは想像もできないほどの、そして、新歓の時とは全く違うそのド迫力に、圧倒されたようだった。そして、レギュラー落ちだけは、絶対に避けたい!絶対に一軍に残ってやる!と、心に誓うのだった。

 そして、高校時代からのチームメートのあまりに情けない姿を、覗き見たことに、

「もう十分だ・・・悪かった、高野・・・」

「あんなの面白がって見るもんじゃねぇ〜!」

と、後悔した。高野の惨めな姿を覗こうとした自分たちが恥ずかしかった。ひとり、また、ひとりと、三年生の一軍部員たちは、やりきれない気持ちで、自分たちの個室やVIPルームへと戻っていった。

 森本の「責任」で「見学」について来た二人の二年生たちも、自分たちのふざけて奢った気持ちを恥じた。

「高野先輩・・・すいませんでした・・・」

と。しかし、その後悔は、その二人の二年生たちには、少し、遅かったようだ。

 五階から階段を下りてくると、四階と五階の間の踊り場で、四年生で主将の島岡が待ち構えていた。

「園田!三橋!お前たち!五階で何をしていた!」

「はいッ!」

「はいッ!」
 
と、返事をしたきり、直立不動の姿勢で立つと、島岡に睨みつけられ、かすかに震えながら、何も答えることができない、二年生の二人だった。

 もちろん、森本先輩の「責任」を話せば、許してもらえたかもしれなかった。しかし、いい気になって森本先輩について行ったのは、自分たちの自己責任だった。東和のラグビー野郎に、先輩だけに責任を押し付けて、自分だけ責任逃れをしようとする卑怯な男はいなかった。少なくとも、森本を除いては・・・

「このことは、監督に報告しておく!明日、午後練が終わったら、監督室へ出頭せい!さあ、早く部屋に戻るんだ!」

「はいッ!失礼します!」

「はいッ!失礼します!」

 逃げるように、下の階へと戻っていく二人の二年生たちだった。

「あとは、森本か・・・しょうがねぇ〜〜ヤツだな、アイツは・・・スマン、高野・・・久住・・・お前たちの大部屋での屈辱的な姿を面白半分で覗こうとするヤツは俺が許さん!」 
 
 他の連中は、全員、その場から立ち去ったことも気づかずに、高野の尻叩きを、勝ち誇ったような表情で、ニヤニヤ笑いながら眺める森本だった。

「痛てぇ!!」

 その時、誰かが、森本の左耳を引っぱた。

「誰だよ?痛てぇじゃんか!あ!主将・・・」

「満足したか!お前の『ライバル』が四つん這いでケツ殴られてるのを見届けて!」

「いえ、あの、その・・・」

「さあ、もう十分だろ・・・下に戻るぞ!それとも、そんなに大部屋が懐かしいか?なんなら、監督に頼んで、高野と交代してもらってもいいんだぜ!」

「はいッ!い、いえ・・・それだけは、遠慮しておきます・・・」

と言って、あわてて先輩の命令に従う森本だったが、階段を下りていく途中、島岡主将には、聞こえないような声で、

「チェッ!相沢のヤツ・・・チクリやがって・・・」

と、呟いていた。 

 最後まで残っていた野次馬・森本を五階の廊下から追い払うと、大部屋での儀式からは顔を背ける様にして、主将の島岡は、自分の部屋へと戻って行った。

「耐えろ!・・・久住、高野・・・早く、一軍にもどって、またチームに貢献してくれ・・・・」

と、高野と久住の実力を信じる主将・島岡は、心の中でそう叫んでいた。

 後日談ではあるが、森本は、翌朝の一軍恒例・朝練紅白戦で、巨漢の四年生の先輩から、徹底的にタックル攻めにあいシゴキ倒され、「責任」を取らされた。しかし、反省はイマイチで、さっそく、昼には、キャンパスで、チアーリーディング部の深町美香をナンパしていた。深町美香は、少なくとも昨日までは、高野の彼女だった・・・

 一方、掟破りの覗き見をした、二年生の園田と三橋には、ちょっとキツイお灸が待っていた。翌日、監督室で、コッテリ説教を食らった挙句、一週間の期間限定で、プチ「懲罰二軍」を言い渡され、個室の鍵を没収されてしまった。

 監督室から出てくる園田と三橋は、もう半べそ状態であった。しかし、大部屋で、園田と三橋を待っていた儀式は、半べそでは済まされなかった。

 青山監督から、

「園田と三橋には、しっかり挨拶して『しぼって』やってくれ」

と、指示が出ていたため、期間はプチでも、「挨拶板」はプチではなかったのだ。

 園田と三橋は、ケツ割れ一丁で四つん這いにさせられ、その生ケツには容赦なく52発の「挨拶板」が唸りをあげた。挨拶板のケツ打音と、涙声での園田と三橋の挨拶が、寮内に響いていた・・・大部屋は、二日連続の「儀式」で、熱気に溢れていたのだった。


六、個室から洩れる切なく哀しいよがり声
 
 さて、再び、話を高野と久住の儀式に戻したい。

・・・・・・・・・・・・

「失礼させていだきますッ!」

バチィ〜〜〜〜〜〜〜ン!

「こちらこそ!よろしくお願いしまぁッすッ!!」

「失礼させていだきますッ!」

べチィ〜〜〜〜〜〜〜ン!

「こちらこそ!よろしくお願いしまぁッすッ!!」

 2〜4階でそれぞれくつろぐ一軍部員には、挨拶板と高野・久住のケツが奏でるペナルティーの音楽が耳に入ってきていた。
 
 テレビ・ラジオの音量を上げるもの、耳栓をするもの、森本以外の一軍部員は、もう耐えられなかった。隣接の練習場に出て、トレーニングを始める者もいたが、その音は、寮の外まで洩れてきていた。

「ああ!もう耐えられん!早く終わってくれ!」

 高野・久住も辛かったが、森本を除き、残った一軍部員たちも辛かったのだ。

・・・・・・・・・・・・・・

 そんな中、三階のある一軍部員・秋吉の個室からは、なにやらゴソゴソと怪しげな音が洩れてきていた。

「あッあぁ〜〜〜、高野には悪いが、あの音、タマンネェ〜よ・・・」

 挨拶とケツ打音が規則正しく繰り返され、それは、レギュラー部員たちの個室にも響いていた。

 鉄筋コンクリートと言っても、かなり古い、防音設備などない時代の建物だ。締め切っても、その音は、寮内どの部屋からも、聞くことができた。

 三階に個室を持つその四年生部員・秋吉は、高野の高校時代からの先輩でもある、東和の「生え抜き」部員の一人だった。もちろん、一年生の時からレギュラーだった。

 この約三年と三月の間、いつも、レギュラー落ちの悪夢にうなされてきた。新メンバー発表の前日は眠れなった。「懲罰二軍」も恐かった。試験の成績が発表されるまでは、練習に集中することもままならなかったのだ。

 レギュラー落ちは絶対に嫌だ。しかし、そんなプレッシャーから来るストレスから自分を解放してくれるのは、自分がレギュラーに落ちたとき受けるその屈辱の尻叩きを個室で独り妄想し、右手でシコシコ自家発電をして寂しく果てることだった・・・

 一軍部員・秋吉は、机に座って、高野・久住の挨拶とケツ打音を聞きながら、ピチピチラグパンから、しっかり、横チンを決め込み、右手で、必死に励んでいた。

シコッ・・・シコッ・・・シコッ・・・シコッ・・・ズコッ・・・

 男子寮では、個室といえども、ひとりエッチには、最新の注意が必要だった。励んでいる最中に悪友 からの「襲撃」に遭い、「オナニーキング」の不名誉なあだ名をいただくことになってしまうからだ。

 秋吉も、しっかりすべてのドアと窓には鍵を締め、向こう三部屋、両隣は、VIPルームにいて、不在であることを確かめていた。

 右手の動きは、高野・久住のケツ打音と挨拶の絶叫にあわせるように、タイミングよくテクニカルであった。

「失礼させていだきますッ!」シコッ!

バチィ〜〜〜〜〜〜〜ン!シコッ!

「こちらこそ!よろしくお願いしますゥッ!!」シコッ!

「失礼させていだきますッ!」シコッ!

べチィ〜〜〜〜〜〜〜ン!シコッ!

ズコッ!(おぉ〜〜〜と、高野君!掟破りのタイミング外し!)

「おっと、高野・・・リズムを崩すなよ・・・しっかり挨拶せいよ・・・そろそろ、ケツの痛みが辛くなってきたようだな・・・アイツ・・・ケツなんか、ジンジン熱いんだろうな・・・あっあ〜〜想像しただけでタマンネェ〜ぜ!」

「・・・・・こちらこそ!よろしくお願いしますゥッ!!」シコッ!シコッ!

仕上げの一擦り、ズコッ!

「ウゥッ・・・イクゥ〜〜〜〜〜〜」

ドピュ!ドピュ!ドピュ!ドピュ!ドピュ!ドピュ!

 秋吉は、個室の床の上に、この儀式に合わせて二週間も禁マスし、股間に溜め込んできた特濃のクリーム色の粘液をベタッと自室の床に撒き散らし空しく果てたのであった。

「あ〜〜〜〜すっきりしたぜ・・・よし!明日の紅白戦、気合入れていくぜ!」

 その時だった。後ろのドアを荒くノックする音がした。間一髪だった。

ドン!ドン!ドン!

「秋吉先輩!いるんスかぁ!?そろそろ、『サインはW!』が始まりますよ!」

 「サインはW!」とは当時全盛になりつつあった臭いスポ根ドラマで、高校ラグビー部をテーマにしたものだった。「三位一体の攻撃」など、現実には絶対に不可能な、意表をつく、ラグビーの作戦が、当時のラグビー野郎たちにもギャグ受けしていた。

「おっと、危なかったぜ・・・・ああ、「起こしてくれて」サンキュ!わかった、今、行くから!今夜は、『消える魔球・奇跡のX作戦』だったな・・・フフフ、楽しみだぜ!」

「ったく・・・先輩が『サインはW!』を見逃して、グランドで正座食らうの俺なんスからね・・・」 

と、ブツブツ言いながら、秋吉の目覚まし時計役を言いつかっているその一軍の後輩は、VIPルームへと戻っていった。


七、男ならじっくり味わえ!「生」に限るぜ・・・挨拶板は試練の味

 その頃、大部屋では、一・二年生の後輩たちの「挨拶」が終わろうとしていた。高野と久住は、大部屋の中央に、四つん這いで、ケツを突き出していた。汗か涙か・・・高野も久住も顔からは、透明な液体が、ポタポタと畳の上に落ちて、溜まっていた。

 武士の情けか?今までの挨拶板のケツ叩きは、ラグパンをつけたままだった。薄いラグパンの生地からは、透けて、真っ赤な高野と久住のケツを観察できた。ケツ割れのケツ・ゴムストラップ・ラインもクッキリだった。

 一年生の新歓の時は、一年生全員、ケツ割れ一丁にされたはずだった。「挨拶板」は、ケツ割れ一丁で食らうのが部の伝統のはずだった。

 しかし、「怪我による無念の一軍落ち」という諸般の事情が特段に考慮され、後輩の前での、四つん這いでのケツ割れ一丁・生ケツ晒しだけは、高野にも久住にも猶予されたのだった。

 しかし、大部屋長・松本の武士の情けもそこまでであった。

「高野!久住!これから、三年生と俺たち四年生の挨拶だ!二人とも、速やかにラグパンを脱げ!これからは、俺たち上級生からの歓迎の挨拶板を、むき出しの尻で、じっくりと味わってもらう!」

 まさに、麦芽酒同様、「生」でじっくりと味わうのが挨拶板の正しい味わい方だった。さすがに、文学部の松本だけのことはある。なかなか文学的な表現だった。

 「とうとう来た・・・生ケツ晒しか・・・」と、ガックリとした表情の高野と久住だった。しかし、二軍に落ちた以上、大部屋長の松本の命令は絶対だった。

「はいッ!失礼しますッ!」

「はいッ!失礼しますッ!」

 と言って、立ち上がり、ラグパンを脱ごうとした。身体を少し動かしただけで、ケツに響いて辛かった。 
 ラグパンをそっと脱ぐ高野と久住。ラグパンの生地が、ケツと摩擦して、痛かった。そして、その脱いだラグパンを帽子のように頭に被るのが、屈辱的な部の伝統の一つだった。

 準備が終わり、再び、四つん這いになり、ケツ割れにフレーミングされた真っ赤なケツを、挨拶板に備えて、所定の位置につかせる高野と久住だった。ゴツイラグビー野郎・高野・久住の臀部の四つの双丘は、どことなくプリンとしていてベィビーフェイスだったが、今は、赤く染まって、哀愁が漂っていた。

 ケツを突き出すべき「所定の位置」は、寸分たりとも狂いがあってはならない。再び、大部屋長・松本の、ケツの突き出し方に対する懇切丁寧な指導がネチネチと始まった。

「もっとケツをしっかり上げィ!」

「ケツの突き出しかたが足りん!もっと気合をいれて、突き出さんか!」

「もっと、ケツを高く高くだ!高く後ろに突き挙げィ!」

 その度に、長いラグビージャージの裾から半分だけ顔を覗かせる、高野と久住の真っ赤に輝くケツは、上下に悩ましくフリフリ!を繰り返していた。

 二人の後ろに立っている佳川は、それをニヤニヤしながら眺めていた。ケツ割れの左右後方のゴムストラップは、二人のラグビー野郎の、ケツの谷間の一番恥ずかしい部分のちょうど下、股間に重くぶら下がる雄嚢の付け根のところで合流し、コットンの柔らか袋となって、高野と久住の股間前部をやさしく包んでいた。そのお陰で、二人とも、ダランと股間にぶら下がる玉袋晒しだけは免れていた、しかし、ケツの谷間は、後ろから見ると、丸晒し状態だった。

 松本から何度も何度も出される唯唯屈辱的で、意味のない理不尽な指示に、情けなさもこみ上げて、

「はいッ!失礼しますッ!グスン・・・」

「はいッ!グスッ・・・失礼しますッ!」

と、二人の気合の入った応答も次第に涙声になってきていた。

 松本は、

「そろそろ、泣きが入ったか・・・よし、この辺でゆるしたるか・・・」

と、思っていた。別に驚きではなかった。大部屋の歓迎儀式に臨む一軍落ち部員は、どんな猛者でも、儀式の途中で、男泣きに泣くのであった。

 四つん這いになっている高野・久住の顔を、汗で汚れた自分たちのラグパンは、鼻の辺りまですっぽりと覆っていた。ちょうど、ラグパンのケツの部分が、顔を覆っていた。

 汗の酸っぱい蒸れた臭いに思わずむせ返る二人だった。そして、情けなさに、堰を切ったように、二人のラグパン・ライダーの目からは、涙が溢れてきた。涙と汗が混ざり合い、高野と久住の両頬を伝って、口に入ってきた。ちょっとほろ苦くしょっぱい青春の味だった。

 遂に、松本の指示が出た。

「佳川!高野と久住のジャージの裾をあげてやれ!」

「オオ!」

と、返事をすると、ジャージに半分隠れた高野と久住のケツを、あたかも剥き出しにするように、長めのジャーの裾を巻いて、腰の方に上げてやる佳川だった。

「ありがとうございます!」

「ありがとうございます!」

と、感謝する久住と高野。二人の真っ赤に輝くケツが、完全にペロリと顔を出し、哀愁に満ちて、天井を向いていた。

「よし!三年生からだ!春山!高野と久住に挨拶しろ!」

「はいッ!」

とデカイ声で返事をすると、春山は、立ち上がり、高野たちの後ろへ回り、正座した。そして、畳の上に、両手をつくと、大声で、高野と久住に挨拶した。

「こんちわッ!商学部三年、春山大典!ポジションはプロップです。よろしくお願いします!」

 春山は、明和大付属中野学園の出身だった。自由闊達な東和大久我山学園に比べ、明和大中野学園は、竹棒ケツ叩きで、生徒をビシビシ鍛える、超・スパルタ男子校だった。

 しかし、明和大ラグビー部は、伝統と「血統」を重んじる東和に比べて、先輩・後輩の上下関係は厳しくなく「雑草魂・ノビノビラグビー」で知られていた。

 東和と明和、私立の名門、お互いにライバル校だったが、校風とラグビー部の部風に関しては、高校と大学で、その特徴は、逆転していた。

 厳しい男の世界に憧れる春山は、あえて、明和大へは進学せず、東和大の門を叩いた。もちろん、迷わず、ラグビー部の入部届けに判を押した。

 しかし、東和大ラグビー部内での現実は、「傍系」進学者の春山には、厳しいものだった。明和大に入れば、即戦力として、一年生からレギュラーを張れる実力はあったはずだが、東和ラグビーと明和ラグビーのラグビー風土の違いからか、いまだ頭角を現すことができず、三年になっても無念の大部屋暮らしだった。来年、レギュラーに上がれる見込みも薄かった。

 明和大で活躍する同期からは、

「お前ほどの実力の男が・・・お前は、馬鹿だ!ラグビー人生を見す見す棒に振りやがって!」

と、同窓会で会うたびに言われた。しかし、春山は、割り切っていた。

「ラグビーは、所詮、遊びだ!ラグビーが俺の人生のすべてではない!」

と。もちろん、だからと言って、練習の手を抜いていたわけではない、「遊びだからといって手は抜かない。いつも全力投球・真剣勝負!」が、春山のモットーだった。

 そんな春山にしてみれば、自分より数段恵まれた環境にいる高野に対して、思うところ大であった。もちろん、高野健一のラグビーの才能は十分に認めていた。

「ここ大部屋は、お前らがくるとこではないはずだ!怪我して一軍落ちなんて、甘えて油断していた証拠だ!」

と、そんな想いを「挨拶板」の一打に込め、高野にプレゼントしてやるつもりだった。

 挨拶が済み、佳川から「挨拶板」を受け取る春山大典。同輩の高野・久住に、「失礼します!」の挨拶は不要だった。挨拶板を握り締め、久住のケツに低めに狙いを定めると、自分に気合を入れるかのように、

「イクぜぇ〜〜〜〜〜〜〜ィ!」

と、大声を発する春山だった。それに応えるかのように、真っ赤なケツをさらにプリッと、上に向ける久住だった。腰を思い切り入れて、久住のケツを打ちのめす春山だった。

ベチィ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ン!

「うぅ・・・・」

 久住から思わず洩れるうめき声を、高野は聞いていた。「マジかよ・・・」と、思った。  

 強烈な一撃だった。プロップといえば、「つっかえ棒」の意味だ。春山も、185cm、110キロの巨漢だった。

 その巨漢の春山が、狙い撃ちした久住の両ケツの頬は、一瞬、サァ〜〜〜と血が引くように、白くなったかと思うと、少しずつ、ジワジワと紅潮してきた。脳天直撃の後、ジリジリと熱い、焼けるような、あの遅効性の激痛が、いま、久住を襲っているところだった。

 春山の一撃に、四つん這いなり両手を畳の上についているにも関わらず、まえにガツンと押され、倒れこみそうになるのを必死で堪える久住だった。

「こちらこそ!よろしくお願いしまぁッすッ!!」

 久住の絞り出すような返答だった。

 高野は、気配を感じていた。いよいよ自分の番だと。

「ウォ〜〜〜〜!イクぜぇ〜〜〜〜〜〜〜ィ!」

と、再び、雄たけびを上げる春山。目を閉じ、ケツをギュと引き締め、身構える高野。

ベチィ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ン!

 下から上に、打ち上げるような春山の腰を入れた重い一撃が、高野のむき出しの尻を直撃した。まるで、ケツだけどこかに吹き飛ばされてしまうような迫力を、高野は感じていた。

 もちろん、高野のケツから注入された春山の熱き青春のメッセージは、背中を伝って、高野の脳天に、火花を散らしていた。頭がクラクラする高野だった。

「痛ちぃ〜〜〜!」

 そして、声を腹から絞り出すように、

「こちらこそ!よろしくお願いしまぁッすッ!!」

と、大声で、春山に挨拶した。

 三・四年生の大部屋部員で残っているのは、十二名程度だった。上級生になり、大部屋暮らしのままの部員は、ひとり、またひとりと、退部していくのであった。

 残った三・四年生部員の人数は少なかったが、それぞれの想いは、春山の場合と、同様ひとりひとりに、熱く重かった。

 叩き方も、大声を上げるもの、声を出さずただ淡々と高野・久住の生尻を打ちのめすもの、部員それぞれだった。

「ツバが出なくなるまでお前たちのボールを磨いてやったのは俺たちなんだぞ!」

ラグビーボールは、ペッと生唾を吐き、生唾で磨くのが、東和の伝統だった。

ベチィ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ン!

「こちらこそ!よろしくお願いしまぁッすッ!!」

「よく、恥ずかしくもなく、大部屋に戻ってこれたな!」

ビチィ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ン!

「こちらこそ!よろしくお願いしまぁッすッ!!」

「朝四時起きで、お前らのために、トンボでグランド整備したのは俺たちなんだからな!」

 二軍部員たちは、一軍部員よりも早く起きて、レギュラー陣の朝練が始まる前にグランド整備しなければならなかった。小石一つでも落ちていれば、罰練召集の厳しさだった。

「こちらこそ!よろしくお願いしまぁッすゥッ!!」

「人が寝ている時に、大部屋練の召集かけやがって!」

 深夜に、レギュラー部員の特権である、「大部屋練」の召集を何度も掛けて、先輩たちをもたたき起こした、「天狗」の高野と久住は、今まさに、痛たぁ〜い報いを、ビシビシとケツに受けていた。

「こちらこそ!よろしくお願いしまぁッすゥ!!」

 高野・久住もラグパンを頭から被り、ラグパンの中で泣いていた。しかし、挨拶だけは、涙でかすれることのないよう、意地で、腹から声を振り絞って怒鳴っていた。

・・・・・・・・・・・・・・

 その絞り出すような高野と久住の雄たけびと、情け容赦なく、挨拶板がケツを打つ音は、次第に大きくなり、一軍部員用個室を締め切っている、幼稚舎から高野一家と家族ぐるみの付き合いをしている、高野の親友・相沢の耳にも届いていた。

 テープの音量をMAXにしても無駄だった。二軍・大部屋部員の挨拶を一発・一発ケツに受け止める親友・高野の声が、次第に、苦しい叫びになっていくのも、相沢には、聞き取れていた。

 思わず、耳を両手でふさぐ相沢だった。ケンとの楽しかった高校時代や、ケンに追いつき、ともに一軍・レギュラーで活躍できた大学二年生の時の楽しい思い出が、脳裏に浮かんできた。

「やめてくれぇ〜〜!」

と、叫び、大部屋に行き、今すぐにでも儀式を取りやめさせ高野を助けてやりたい気分だった。しかし、それはできなかった。ついには、耐えられず、ラジカセの音量をMAXにしたまま、ヘッドホンをつける相沢だった。

 相沢は、親友・高野の辛さを思うと、目から涙が自然と溢れてきていた。東和のラグビー部は、厳しい野郎たちの実力社会、親友といえども、同情は禁物のはずだ。高野もそれを喜ぶはずはない。自分でも自分のことが、「女の腐ったような」野郎だと、情けなかった。しかし、涙はとめどなく目から溢れ、頬を伝って、机の上に落ちていた。遂には、机の上に枕を置き、そこに顔を埋め、必死で泣き声を押し殺そうとする相沢だった。

「耐えろ!耐えてくれ、高野!お前だったら、また、レギュラーに上がれる・・・それまでの辛抱だ!」

と、心の中で叫んでいた。

・・・・・・・・・・・

 高野と久住の尻が、ピンクからオレンジ、そして、深紅、そして、赤紫に染まっていくのを、大部屋部員たちは、見届けていた。

 あまりのケツの痛みに、何度、ギブアップの詫び入れをしようと思ったことか。しかし、それもどうにか乗り越え、最後の数発は、もうケツの感覚もなく、なにか押される圧力を感じるだけだった。ケツは、カァ〜〜ッと熱かった。

 用具管理掛長・佳川の迫力のラストの痛打が、高野のケツに、着地するところだった。

バチィ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ン!

「こちらこそ!よろしくお願いしまぁッすゥッ!!」

 力が抜けたのか、赤紫色のケツを天井に向けたまま、バッタリと倒れこむ、高野と久住だった。二人ともどうにか、50発の挨拶板の手荒い歓迎に耐え抜いたのだった。

パチ!パチ!パチ!

 大部屋の四年生部員から、パラパラと拍手が起こった。最初は、まばらだった拍手の音も、次第に大きくなっていき、大部屋全体からの大拍手が起こっていた。

「よし!高野!久住!ふたりとも、よくがんばって耐えた!その根性は認めてやる!これでお前たちも、俺たちの仲間だ!」

 ウォ〜〜〜〜〜という図太い歓声と、さらなる大拍手が、大部屋を包み込んだ。それにかき消されていたが、ラグパンを被ったままで、倒れこんでいた高野と久住は、大声でワンワン泣いていた。もう「仲間」の前で遠慮する必要はなった。ゴツイラグビー野郎の豪快な男泣きだった。

「よし!春山、佳川、二人に手を貸して起こしてやってくれ!」 

 佳川は、久住に、春山は、高野に、

「大丈夫か・・・ほら、俺に掴まるんだ!遠慮はすんな!」

と、やさしく声をかけ、腕を貸してやった。

 いままで、自分たちが、ラグビー部のクズ、吹き溜まりと、見下してきた二軍・部員のあたたかさに触れ、ますます涙が止まらなくなる高野と久住だった。

 もう涙を隠すことはできなかった。春山と佳川によって、顔を覆っていたラグパンがとられた。二人は、鼻をグズグズ鳴らしながら、ワンワン、子供のように泣いていた。

 ラグパンを受け取った右腕で、涙を拭いて必死で押さえようとする高野と久住。しかし、無駄だった。もう、恥も外聞もなく、自分のケツ割れ一丁の姿、そして、生のままの自分の実像を大部屋の仲間にさらけ出すしかなかった。

 そして、歓迎の儀式の締めに、

「チワッス!」

「よろしくッス!」

の挨拶よろしく、並んだ大部屋・二軍・部員、一人一人と握手を交わしていく、高野と久住だった。

 泣いて顔がグチャグチャの二人に、特に、三年・四年からは、肩や背中をポンと叩き、

「大丈夫か・・・」

「もう泣くなよ・・・」

と、励ましの声が二人にかかっていた。

 そのたびに、

「はいっ!グスン・・・」

「ありがとうございます!グス、グス、ズルッ・・・」

と鼻声の挨拶をしていく高野と久住。

 左手にラグパンを持ち替え、右手で、五十人の二軍部員と握手を交わしていく二人に、後ろで赤紫に腫れあがるケツをナゼナゼする暇はなかった。

 ケツ割れ一丁でフレーミングされ、なにか熱いモチでも張り付いたような火照って麻痺した感覚の残る赤紫に染まったケツが、高野たちの後ろで、ユラユラ哀しく揺れていた。高野・久住ののケツの皮も、これで、数層厚くなったことであろう。

 すべての儀式は終わった。やっと、というか、とうとう、高野も久住も、正式な大部屋・二軍部員として迎え入れられた。

 「生」で味わう挨拶板の味は、男を鍛える試練の味だったのか・・・それとも、挨拶板をむき出しの生ケツでじっくりと味わった高野と久住が感じたものは、自分の口に入ってきてしまう、汗と涙が混じったしょっぱい味覚と、ケツのジリジリする焼けるような痛みだけであったのだろうか?

 どちらにしても、大人の男として少しは成長した高野と久住だった。これからは、自分より実力が下の人間を、見下したりは、決してしないであろう。

 50発ものケツ叩きを食らって、ケツが火照るように熱かった。森本がVIPルームで語ったことは、大げさな誇張ではなかった。高野と久住のケツは、赤紫に腫れ上がり、ラグパンを再び穿くこともできなかったし、上を向いて眠ることもできなかった。挨拶板を食らったその晩は、うつ伏せになり、ケツ割れにフレーミングされたケツを大部屋中に晒して、寝るしかなかった。

 大部屋の一番下座、入り口近くの出入りが激しく、落ち着かないところが、高野と久住の布団の場所だった。

 並んで、うつ伏せになり、顔を枕に埋めて、やはり再び、男泣きにむせび泣く、高野と久住。

「畜生・・・悔しいぜ!シーズンまでには、絶対に、またレギュラーにあがってやる・・・」

 二軍の連中に殴られたことが悔しいのではなかった。今度は、自分自身に対しての悔しみが沸いてくるのだった。二軍の連中は、いいヤツらばかりだが、それに甘えることは、ふたりの男としてのプライドが許さなかった。

 やがて、ガキのように泣き疲れ、眠りの落ちる二人のラグビー野郎。しかし、寝返りを打つたびに、ケツの痛みで、ハッと目が覚める二人の猛者たちだった。上級生になっての大部屋で最初の夜は、高野と久住にとって、夢を見る暇もない、そんな落ち着かない短い夜だった。


八、大部屋の朝

 翌朝、高野ケツは、まだ、紫色に腫れていた。朝練が済んで、一軍部員が使った用具の整備を済ませ、大部屋に戻ってくる健一だった。ラグパンの締め付けられるような感覚に耐えられず、大部屋に戻ると、ラグパンを脱ぎ捨て、ジャージに下は、ケツ割れ一丁だった。昨日、泣きはらしたせいか、両目はまだ赤く充血していた。

 大部屋部員たちの視線を、ケツに感じながら、便所の大便を待つ長い列に並ぶ高野だった。朝練が終わったあとの大部屋は、あわただしい。朝飯を終えた大部屋部員たちは、一気に、寮五階の大部屋部員専用の便所へと向かう。50人の大部屋・部員に大部屋部員専用の個室トイレは、たった、三室だった。

 二十分は待たされただろうか。やっと健一の番だった。昨日の、「挨拶板」での歓迎の後遺症で、トイレでしゃがむのも辛かった。慣れない和式トイレでウンティング・スタイルをとり、正面の壁を眺める健一の目に、ほとんど忘れかけていた、あのラクガキが飛び込んできた。じっと、そのラクガキを見つめる健一。

「ああ・・・、このラクガキ、まだあったのか・・・・」

 きっとそれは、文学部所属だった部員の落書きだろう。それは、「平家物語」の冒頭部のように、健一にとっては、ただただ、儚げであった。

挨拶板の打擲の音、
レギュラー無常の響きあり。

赤紫のケツの色、
一軍落ちの理をあらはす。

奢れるレギュラーも久しからず、
唯、一シーズンの夢の如し。

猛者も故障で遂には落ちぬ、
偏に大部屋の雑魚と同じ。

 まさに、健一のことをそのラクガキは詠っていた。感傷にひたり、涙がこぼれそうになる健一。しかし、うしろから響く「ノック」の音に、ハッと我に返る健一だった。

ドン!ドン!ドン!

「まだかよ!早く出ろ!後がつかえてんだぞ!」

 大部屋の四年生・二軍部員の催促だった。排泄に関してまで、一軍と二軍の間にこれだけの待遇の差があ ることを、改めて身にしみて感じる健一だった。レギュラーの時のように、個室のトイレで、スポーツ新聞を読みながら、優雅にゆっくりとウンティング・ブレイクとはいかなかった。

 健一にとっては、一からの出直しだった。幸い、十分に休養を取ったため、膝の具合も万全だと思われた。あとは、これから始まる大部屋部員に対する夏の多摩川強化練習で、コーチに自分の存在を再びアピールするしかなかった。

「お前だったら、すぐにまた戻ってこられる!」

 そんな青山監督の言葉を思い出しながら、大部屋部員のたしなみの一つである早グソを心がけ、排泄に集中する健一だった。



九、哀愁のホットドック売り

 都内のキャンパスから寮に戻っても、以前のように、ラグビーのことだけを考えていればいい恵まれた環境は、もう高野には用意されていなかった。

 寮一階の掲示板の「仕事割り当て表」にあるバイト先へ出向かなければならなかった。それは、部費調達のための出稼ぎバイトで、二軍・大部屋部員全員に割り当てられるノルマの一つだった。

 部費を稼ぐためのバイトは、当時の体育会系の部・クラブには、必ずあった慣わしだった。東和大ラグビー部の場合、二軍・大部屋部員には、一年生から四年生まで、公平に割り当てられていた。

 肉体派大学生のバイトの定番、深夜の道路工事の土方のバイトなどをさせられる部もあるなか、ラグビー部は、頭脳派大学生のバイトの定番、ジュクコウ(学習塾講師)やカテキョー(家庭教師)はさすがに用意されてはいなかったが、比較的恵まれていた方で、東京の大神宮球場で売店を運営する「株式会社 帝都スタジアムフードサービス」のホットドック・ジュース等の売り子のバイトと、武蔵野の面影を色濃く残す埼玉県の名門ゴルフ場「ヘトロの森カンツリークラブ」でのキャディーのバイトなどが中心であった。ともに、東和大ラグビー部OBが経営する会社でのバイトだった。
  
「ああ、ホットドック売りか・・・」

 割り当て表を見て、ラグビー部員としての初めての「公式」バイトに、二軍に落ちたことをさらに実感する健一だった。一年生の時、バイトの順番が回ってくる前に一軍入りした高野は、部での強制出稼ぎバイトの経験がないのであった。

 健一に与えられた最初の仕事は、大神宮球場で行われるナイターで、観客席にホットドックを売って回る売り子の仕事だった。

 大神宮球場をホームとするプロ野球・東日本リーグのミルトン・ダクサンズ球団のマスコット、ダックスフンドのダックス君のかわいいイラスト入り赤のポロシャツ、赤の短パン、赤エプロンと赤のサンバイザーを着込み、

「ホットドック、いかがッスかぁ〜〜〜〜!」

の叫び声よろしく、部から割り当てられた大神宮球場でのバイトをこなす健一だった。背が高くごついガタイの健一には、いかにも似合わないコスチュームだった。

「ちょっと、ホットドック6個!こっちにお願い!」

 聞き覚えのなるその声に振り向くと、高野の同期で、チアーリーディン部三年の深町美香だった。美香の隣には、ニヤニヤ笑って、高野に手を振る、いまだ懲りない森本がいた。その年の学祭で、「ミス東和」に選ばれることが確実なチアーリーディング部の美香は、昨日までは、高野の彼女だった。

「やあ、ケン!お前、今夜ここでバイトだったのか!!いやぁ〜ご苦労、ご苦労!」

と嘲りの口調でわざとらしく高野に話しかける森本だった。

 チアーリーディング部員は、ラグビー部でも一軍部員だけをボーイフレンドとして相手するのが、伝統だった。高野一軍落ちのことを森本から聞き、深町美香は、さっそく、高野から森本に乗り換えたのだ。

「お前・・・野球には全然興味なかったよな??なんで、今晩に限ってプロ野球観戦なんだぁ??」

と、内心、不審に思う高野だった。 

 森本の「取り巻き」の四人の一・二年生の後輩・一軍部員たちも、なぜ森本先輩が自分たちをナイター観戦に誘ったのか、やっとわかり、高野に気まずそうな顔で、

「コンチワッス・・・・高野先輩・・・」「ちわッス・・・先輩・・・」

と、すまなそうに高野に挨拶をした。

「よぉ・・・元気にやってるか・・・」

と、やはり、気まずそうに「後輩」たちに応える高野だった。

 真っ赤な顔で、動揺の色を隠せない高野だった。さらに、売り子のバイトに慣れていない健一は、6本ものホットドックの注文に手間取り、

「ほら!そこのスットコ・ドッコイ!いつまでそこにオッ立ってちゃ、試合がみえねぇ〜ンだよ!トットと引っ込みやがれ!」

と、他の観客からまくしたてられ、かっこ悪いところを「かつての」チームメートと元カノに晒してしまうのだった。

「ありがとうございました!」

と、やっと森本たちの注文を処理し、そこを離れようとする高野に、森本は、高野のケツがまだ充分に回復していないことを承知で、

「おい高野、がんばれよ!」

と、健一のケツをその分厚い平手で思い切り意地悪く叩くのであった。

「い、痛てぇ・・・・」

と、空いた片手で尻を押さえて、思わず飛び上がりそうになる健一。昨日まで、健一の彼女だった美香や、昨日まで、健一のチームメートだった後輩の一軍・部員たちは、笑いを堪えるのに必死のようだった。

 高野は、「商売」を終えると、少し早足で、その場を離れた。一刻も早くこの屈辱的な状況から逃げたかったのだ。

「高野君って、案外、ダサいわね・・・」

と、高野の後ろから聞こえてきた、そんな深町美香の呟きが、高野の「背中」にグサっと刺さっていた。

 一度一軍に上がった者が、レギュラー落ちするということは、東和大体育会ラ式蹴球部においては、男としてのプライドをズタズタに引き裂かれる、かくも惨めで、情けないことだったのだ。

「なんで俺だけ・・・」と、涙をグッと堪えながらも、

「ホットドック、いかがッスかぁ〜〜〜〜!」

「ホットドック、いかがッスかぁ〜〜〜〜!」

とホットドックを売るための健一の叫び声が、大神宮球場の観客席に哀しく響いていた。 

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