父子ラグビー物語 番外編 下田と米原の初恋☆ケツ竹刀☆物語 by 太朗

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一、スポーツ第一部の名物 〜巌内デスクの竹刀〜

 東京・新橋にある「スポーツ帝都」本社ビル5階のスポーツ第一部の編集室。時間は深夜二時を回っていた。しかし、室内は、煌々と明かりが灯り、タバコの煙が充満していた。

 24時間不夜城の新聞社なら特にめずらしい光景ではなかった。しかし、その深夜の編集室から洩れてくる音は、他の新聞社では絶対に聞けない、いや、「スポーツ帝都」社内でもスポーツ第一部ここだけという、ユニークな音だった。

「デスク!自分は眠くてたまりません!眠気覚ましに、竹刀で自分に気合を入れてください!お願いします!」

 25歳、入社3年目の若手記者、竹内義人が、スポーツ第一部を束ねる鬼・編集長・巌内源一郎の机の前に行き、叫ぶのだった!

「よし!竹内!眠くてたまらんか!まだまだ宵の口だぞ!若いのに気合が入ってない証拠だ!俺の竹刀で、スカッと一発、目を覚ましてやる!準備せい!」

「はい!お願いします!」

 そう言うと、竹内は、なんとその場で、スーツの上下を脱ぐと、ワイシャツと下はパンツ一丁になった。そして、ネクタイを豪快に右肩から背中の方へと放り出すようにしてめくりあげ、ワイシャツの裾を捲り挙げる。

 パンツは、当時、2、30代の若手サラリーマンのスタンダードパンツであったBVDの白ブリーフだ。それよりも年上の世代が、猿股にステテコパンツであったことを考えると、まさに白ブリーフは「新人類」のパンツだった。

 シャツの裾を巻くりあげ、ブリーフ一丁に包まれたケツを丸出しにすると、竹内は、巌内デスクの机の前に、足を肩幅よりやや広げて立ち、その机に両手をつき、上体を45度ほど前傾させ、ケツを後ろへ突き出す。

 下半身は、サラリーマン・スーツ生活のため日焼けはしていなかったが、白ブリーフの足穴からは、竹内の鍛えた太い両足がヌッと出ていた。すでに革靴は脱ぎ捨て、黒の靴下のまま足を広げていた。

 すね毛が濃く、蟹股の、お世辞にも美脚とはいえない竹内の野郎らしい両足の上で、高校時代は野球で鍛えたムッチリとしたデカケツが、巌内デスクの気合入れを待っていた。

「よろしくお願いします!」

 再び、大声で叫ぶ、竹内。

 編集長の巌内は、部屋の角にある掃除用具入れの中から、少し古びた竹刀を取り出す。そして、自分の机の上に両手をつき、ケツを突き出している竹内の後ろに立って、竹刀を構えた。

「よし!いくぞ!奥歯をしかっり食い縛っとれ!」

「はい!」 

 巌内は、自分の体重を思い切りかけるように、両手に握った竹刀を、竹内のケツの一番肉厚の部分めがけて、振り下ろした。

パァ〜〜〜〜ン!

 スポーツ第一部の部屋中に、そして、開け放たれた窓と扉を通して、同じ階の隣にあるスポーツ第二部のフロアにも、あの竹刀独特の甲高い音が響き渡っていた。

 隣の部屋に残って仕事をしていた記者たちは、

「巌内さんのところ、また『儀式』がはじまったぜ・・・」

と、ニヤニヤしていた。

「ちょっと、見に行くか・・・」

と、廊下から隣の部屋を覗くため、仕事の手を休め、見物に行く者もいた。

「ひとつ!ありがとうございました。」

 竹内が叫んだ。いつも通り、ケツに堪えるキツイ一発だった。ケツがジリジリと燃えるように熱く、ジワジワとケツに痛みを感じはじめていた。

パァ〜〜〜〜ン!

「ふたつ!ありがとうございました。」

パァ〜〜〜〜ン!

「みっつ!ありがとうございました。」

パァ〜〜〜〜ン!

「よぉっつ!ありがとうございました。」

 一発ごとに竹内のケツの痛みは重なり合うように増してくる。一発目の痛みが頂点に達した時に、二発目が飛んでくる。次第にケツは焼けるように痛くなり、そのジリジリとした痛みは耐え難いものとなっていく。しかし、竹内は、そんなことはおくびに出すこともなく、グッと忍の一文字。大声で、回数を数え、巌内デスクの気合入れ「目覚ましケツ竹刀」に感謝するのだった。

パァ〜〜〜〜ン!

「・・・・・!」

 さすが、その日の「目覚ましケツ竹刀」の痛みも最高点に達したのであろうか、竹内は、ギュッと目をつむり、苦しそうに首をひねった。

「どした!聞こえんぞ!この程度でへこたれてるようじゃ、情けないぞ、竹内!」

と、巌内の厳しい怒鳴り声が竹内に浴びせかけられる。

「は、はい!この位、屁でもありません・・・・ご、じゃなかった、い、いつつ!あ、ありがとうございました!」

「よし!目は覚めたか、竹内!」

「はい!気合が入り、スカッとしました!ありがとうございました!」

 そういうと、竹内は、スーツの上下を再び着て、革靴をはいて自分の席に戻って行く。

 スーツの尻をさする竹内は、まだ、どことなく眠そうだった。しかし、自分の席につこうとした時、

「ぎゃぁ!痛てぇーー!」

と、席に敷いてあったミニ座布団とスーツのケツが接触した瞬間、叫び声をあげ、思わず飛び上がるように立ち上がるのだった。

 室内、そして、廊下で男たちの豪快な笑い声が起こる。

 「イってぇ〜〜!デスクの気合入れは、何度食らっても、痛てぇ〜や・・・」

 そぉっとケツに両手をあてる竹内。今度は、そっとゆっくり席に腰をおろし、やっと座ることができた竹内は、少し恥ずかしそうに、真っ赤な顔で苦笑いし、頭をポリポリと掻いていた。

 しかし、すぐさまワイシャツを腕まくりすると、自分に気合を入れるように、

「よし、これでスカッとした!明日は俺の初めての特集記事の締め切りだからな!もうひと踏ん張りがんばるぞ!」

と、仕事に取り掛かるのだった。デスクの「目覚ましケツ竹刀」の覚醒作用は、タバコのニコチンや缶コーヒーのカフェインよりも効果的だった。

 竹内の「目覚ましケツ竹刀」で一時ざわついた室内は、再び、静かになった。

 

二、菅原友之パパのご愛嬌・息子とお揃いイラスト付きブリーフ披露!

 そんな中、29歳のもう中堅と呼んでもいい年齢の記者である菅原友之が、思い切って席から立ち上がる。

「やっぱ、今しかない・・・デスクから叱られるなら、明日より、今夜だ・・・」

 そう心に決めて、デスクの机の方へ進み、デスクの机の前に直立不動で立った。心臓が口から出そうになるほどドキドキしていた。

 巌内デスクは、菅原を睨んで、

「なんだ・・・菅原・・・お前も眠いのか?」

「い、いえ・・・」

 なんて説明すればいいのだろうか、自分が犯した大失態を・・・掌は汗で湿っていた。デスクのカミナリは、入社6年目の菅原にも恐ろしかった。180cm、90kgの大男の菅原の体が、かすかに震えていた。

「なんだ!はっきり言え!」

「はい!申し訳ありません!!お、遅れをとりました!」

「なんだと!なんの遅れをとったんだ!」

「ミルトン・ダクサンズの飯島監督の引退特別インタビュー、浪速スポーツの矢田に一日遅れをとりました!」

「バカもん!!!地元東京の新聞が、大阪の、しかも、浪速スポーツごときに遅れをとってどうする!お前、昼寝でもしっとたのか!!この大バカ者めが!!!」

「はい!申し訳ありません!」

 両手を脇にピシッとつけ、鬼の巌内デスクの前で深々と頭を下げる菅原だった。巌内が口を開く前に、菅原が言った。

「浪速スポーツに先を越されるとは、気合が足りませんでした。気合入れのケツ竹刀!お願いします!」

「よし、いい覚悟だ・・・何本が相当か言ってみろ!」

「は、はい!20本が相当だと思います。」

「よし!準備せい!」

「はい!」

 さすが、学生時代は、剣道で鍛え、一時は警官になることも夢見た菅原である。キビキビとした大声で返事をし、すばやく、スーツの上下を脱ぎ、ケツ竹刀の準備をする菅原だった。

 なぜか、室内からは、クスクス笑いが起こった。

 今さっき竹内の尻に気合を入れ終わり壁に立てかけてあった竹刀を、巌内は、再び握りなおした。そして、菅原の後ろに回って、竹刀を構える巌内だった。

 菅原は、巌内の机の上に両手をつき、BVDブリーフ一丁のケツを潔く後ろへ突き出していた。

 巌内デスクは、菅原のケツに少し垂れていたワイシャツの裾を竹刀で捲り上げ、

「いくぞ!」

 と、再び構え直した。

 その時、菅原のBVDブリーフのケツに、なにかプリントされているのが巌内の目に入った。

「・・・はぁ・・・お前、なに穿いてんだ!オレのこと、バカにしとるのか!?」

と、巌内は、呆れた顔をした。

 菅原の穿いていたブリーフは、なんと、BVDはBVDでも、ミルトンダンクサンズのマスコット、ダックスフンドのダックス君のロゴがケツにプリントされた、当時ちびっ子たちに「超、かっちょいい!」と大人気の、ミルトンBVDブリーフだったのだ。子供用には、ミルトン・グンゼブリーフ、同グンゼYGブリーフも用意されていた。

「はァッ!保育園の息子とおそろいのパンツであります!玲子、いえ、女房が穿けとうるさいので・・・」

 真っ赤な顔でそう答える菅原だった。室内の記者たちのクスクス笑いが、ドッと大爆笑に変わる。

 菅原の180cm、90kgのデカイ体とデカイケツにはまったく似合わない、ハミケツ必至の、可愛い犬のイラストが入った少し小さめのブリーフを同僚に晒しながら、机に両手をつき、前傾姿勢のまま、ケツを突き出す菅原だった。

 巌内は、ニヤっと笑い、

「友輔君、元気か?」

と、いきなり菅原に尋ねるのだった。

 部下に子供ができると、「ようがんばった!これでお前も一人前の男だ!」といって、祝いの金一封を惜しげもなく渡すデスク・巌内。それだけではない、部下の子供の名前と誕生日はすべて覚えていて、誕生日には「早よう、帰ってやれ、友輔君の誕生日だろう!」と、自分が残業してでも、部下を仕事場から解放してやる、巌内は、そんな意外な一面を持つ上司だった。

「はぁッ!お蔭様で、元気な腕白坊主に育ってます!」

と、巌内に答える菅原。

 そして、「いよいよ来る」と、背後に竹刀の気配を感じ、竹内よりもかなり大股に開いていた両足にグッと力を入れ、ケツをグッと後ろへさらに突き出す。ケツを覆うのは、ダックス君のかわいいイラスト入りのブリーフの薄い綿生地だけだ。ケツにすぅ〜〜っとした冷たさを感じ、思わず鳥肌が立つようだった。

「そうか、友輔君のためにも、もっと仕事に身を入れんといかんぞ!」

と言ったかと思うと、巌内は、構えていた竹刀を両手でグッと握り直した。

「はい!お願いします!」

と、菅原の返事が終わるか終わらないかのうちに、巌内の炎の竹刀が、菅原のケツをめがけて一気に振り下ろされた。

パァ〜〜〜〜ン!

 背骨を軸として、腰をグッと回し、巌内の全身の力が竹刀を通して菅原のケツに伝わる手加減なしの打擲だった。

「ひィ・・あ、熱ちぃ・・・!ひとつ!ありがとうございましたぁ〜!」 

 竹内の時の「目覚ましケツ竹刀」よりは、数倍重くて迫力のある衝撃が、菅原のケツから脳天へ貫いていく。まさにケツにズシリと響く叩きだった。

ああ、一本目から地獄だ・・・久々の20本はツレぇ〜なぁ・・・ギブしたら、後輩の前で、立場ねぇ〜し・・・」

と、自業自得とはいえ、一発目から内心くじけそうになる菅原だった。

「よし!二本目!」

パァ〜〜〜〜ン!

「・・・・ふ、ふたつ!ありがとうございました!」

 ズシっとケツに堪える竹刀の味に、両手は机についたまま、両足とケツをモジモジさせる菅原。靴下とブリーフだけのゴツイ下半身を女のようにクネクネくねらす菅原。お世辞にも、カッコいいとはいえなかった。火のついたような尻をさすりたくて仕方がなかった。しかし、仕置きの最中、デスクの前で、それは許されなかった。

 思い切り腰を入れたケツ竹刀を20本。ケツのアザはそう簡単には消えない。週末には、風呂場で息子から、「パパ!お尻の青い線どうしたの?」と、また聞かれるてしまう。今度はなんて言い訳しようか・・・。息子にしてみれば、まだなんの跡かわからないだろうが、ケツを殴られた跡を、可愛い息子に風呂場で晒すのは、どことなく恥ずかしかった。女房の玲子には、なおさらだった。

 菅原は、ジリジリと自分を苦しめるケツの痛みを振り払うかのように、必死で長男の友輔のかわいい笑顔、女房の玲子の明るい笑いを思い浮かべている。つれぇー仕事に耐える男を支えるのは、いつも温かい家庭なのである。

「友輔!パパは、お前とママのためにがんばってるぞ!こうしてパンツ一丁でケツを突き出してな!絶対に負けなから、友輔もパパを応援してくれ!」

と、菅原は、心の中で必死に叫んでいた。

「パパ!がんばって!」

と、菅原の耳には、息子の励ましの声が聞こえるようだった。

「どした!菅原!もうギブアップか!竹内の方がよほど根性あるのォ〜!」

 背後から聞こえてきた巌内のその言葉に、ハッとなり、

「なにィ!」

と、思わず熱くなる菅原だった。後輩と比べられたことが悔しかった。菅原は、再び、ひざをピシッと伸ばし、さあ、デスク!叩いて下さい!もっと、自分を鍛えてください!と言わんばかりに、ケツをプリッと後ろへ突き出す。

 そして、

「お願いしますッ!!!」

と怒鳴るのだった。

 ニヤリと笑った巌内は、

「よし!その根性だ!菅原、三本目だ!いくぞ!」 

 腰を思い切り入れて、巌内は竹刀を振る。ブゥン!と空を切る鈍い音がした次の瞬間、

パァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ン!

と、甲高い音をあたりに響き、その竹刀は、菅原のブリーフ一丁のケツに食い込むようにして着地する。仕事をミスったヤツに手加減はない。まさに、巌内渾身の容赦なしのケツ竹刀だ。

 思わず顔を歪める菅原。しかし、すぐさま目をキッとみ開くと、

「みぃっつ!ありがとうございました!」

と、気合充分、挨拶する。

 深夜の新聞社に、竹刀が若手記者のケツを打つ音と、威勢のよい感謝の雄たけびが響いていた。



三、鉄は熱いうちに打て---カミナリ親父・巌内源一郎の教育方針

 巌内が、スポーツ帝都・スポーツ第一部の編集長に就任したのは、9年前、巌内が40歳の時だった。

 巌内は、高校時代は、野球部のエースだったが、肘を痛め、野球への道は諦めざるを得なかった。しかし、なんらかの形でスポーツ、そして、野球と関わった人生を送りたいと、高校卒業後、すぐにスポーツ帝都に記者見習いとして入社した。その後、たたき上げの記者として、先輩の指導の下、さらに独学でも猛勉強し、40歳の若さで編集長に就任した時には、下手な大学出の記者が舌を巻くほどの「名記事」を書くまでの文章力を持つベテラン記者・編集者になっていた。

 編集長になった巌内の鬼編集長ぶりは、当時、売り上げ部数が低迷していた「スポーツ帝都」の、本来ならば花形部署であるはずのスポーツ第一部に、再び緊張感と活気をもたらしたのだった。

 特に巌内が重視したのは、新人教育だった。「鉄は熱いうちに打て」の言葉通り、将来の「スポーツ帝都」を背負って立つ新人を若いうちから徹底的に鍛えることが重要だと考えた。

 上層部に直訴し、新人ローテーション研修で、記者志望の新人は全員、将来の希望部署にかかわらず、まず、巌内のスポーツ第一部に配属され鍛えられるシステムをつくった。そして、研修で配属されてくる新米たちに対しては、竹刀での体罰も辞さない、超スパルタ教育が実施されることになったのである。研修中の新米でも少しのヘマやミスを犯せば、ケツ竹刀、そして、一分刈りの坊主頭が待っていた。

 高校時代・野球一筋だった巌内源一郎。厳しい監督からは、毎日のようにケツバットを食らっていた。最初は、監督の「暴力」に反抗した巌内だった。しかし、その監督の、怒るときもなにするときも、一切手抜きをしないその真剣な態度に、次第に心を動かされるようになり、監督からバットでケツをガツゥ〜〜〜ンとやられると、反感よりも、むしろ、気合が入りやる気が湧いてくるようになった巌内だったのだ。

 その時の経験から、巌内は、若者には真剣に怒ってやる「大人」が必要であり、野郎の場合、ネチネチ説教をするよりも、むしろビシッと、ケツの一発や二発叩いてやった方が、やる気を起こさせるにはいいと信じていた。当時、記者の世界は、完全に男だけの世界だったのだ。

 巌内の方針に否定的な者は、「あんな乱暴なことしたら、一日で新人全員が辞めちまうぞ。」と、陰口を叩いていた。確かに、その教育方針は、当時既に「甘やかされた戦後世代」と大人たちから言われていた新米の若者たちにとってはカルチャーショックだったらしい。しかし、怒る時も、褒める時も、竹刀でケツを叩くときも・・・いつでも真剣な巌内の態度が、若者たちに伝わったのか、研修では、不思議と一人の脱落者もでなかった。そればかりか、その年の新人記者の全員が、研修終了後、巌内のスポーツ第一部に配属を希望するという異常事態が起こったのだった。

「巌内デスクのもとで、もっと、腕を磨きたい!」

「カミナリ・オヤジにもっと自分を鍛えてもらいたい!」

 真剣に自分と向かい合ってくれる「大人」に飢えていたのか、すべての新人記者がそう思ったのだった。

 そして、自分がヘマをした時は、自ら進んでそれを申告し、

「自分をもっと鍛えて下さい!」

と、巌内の前へ行き、スーツを脱ぎ捨て、ケツを突き出す新人記者たちになっていたのだ。

 

四、「巌内塾」第一期生・下田勇実34歳

 そんな「巌内塾」の第一期生の一人が、巌内のスポーツ第一部編集長就任と同時に「スポーツ帝都」に入社してきた下田勇実だった。

 高校時代は、柔道一筋だった下田も、高校卒業後は目標を見失い、二浪・一留の末、25歳を前に、やっと都内の三流私立大学を卒業した。もちろん、一流企業からはお呼びなどかからず、「帝都政経新聞社」の子会社「スポーツ帝都」からやっと内定を得て就職したのだった。 

 巌内の教育は、下田にとって衝撃的だった。まさか、25歳にして、竹刀でケツを殴られるなんて・・・
 
 高校時代・柔道部で竹刀で殴られることなど慣れっこだったはずの下田も、先輩全員が仕事をしている中で、そして、自分より年下の「同期」のやつらの前で、怒鳴られ、スーツを脱がされ、ワイシャツとパンツだけの姿になり、竹刀でケツを殴られるとは・・・会社回りをしていた時は、夢にも思わない展開だった。

 新人たちには、仕事のやり方から、先輩への挨拶、果ては、宴会での立ち居振る舞いまで、事細かに、巌内のチェックが入った。そして、少しでも失態を晒せば、ケツ竹刀と坊主頭だった。

 下田が、巌内から初めてケツを殴られたのも、毎年恒例の上野公園での花見宴会の場所取りで、ライバルのスポーツ新聞社「大日本スポーツ」の新人たちに遅れをとり、花見の「一等席」をとり逃した時だった。
 
 下田が寝坊をし、始発の山手線電車で上野駅につけなかったのが原因だった。もちろん、花見の場所取りは、新入りの重要な仕事であり、ヘマは許されなった。

「ばかもん!これが特ダネだったらどうする!すぐに、新聞の売り上げに影響するんだぞ!」

と、怒鳴られ、ケツ竹刀20本を受け、

「あすまでに坊主頭にして来い!」

と怒鳴られ、痛むケツをさすりながら、泣く泣く床屋にいったものだった。
 
 しかし、「ばかもん!ケツを出せ!明日までに坊主だ!」の決まり文句のカミナリを落とせば、後は、カラっとしたもので、ネチネチと説教したり嫌味を言ったりしないのが、巌内のいいところだった。この意外にサッパリとした性分の巌内に、下田も好感を持てた。そして、編集長の仕事の腕にはもちろんのこと、自分を真剣に叱ってくれるこの上司の人となりに、男として心底ほれ込んでしまった下田だったのだ。

 新人研修を終えた下田は、半分諦めていた「スポーツ第一部」に配属された。下田ら「スポーツ第一部」に配属された巌内の「愛弟子」たちは、研修後も、巌内に竹刀でビシビシ鍛えられたのであった。下田たちも、自ら進んで潔くケツを突き出した。巌内のケツ竹刀を食らった後は、不思議と気持ちがピシっと引き締まり、やる気がでて、仕事に打ち込めたのだった。
 
 もちろん最初は誰でも、社会人になって竹刀で殴られ、屈辱を感じない者はいない。しかし、巌内の「親心」がわかってくると、竹刀で打たれた悔しさは、自分自身に向けられるようになる。ほとんどの新人が、竹刀で打たれたあと、見て見ぬ振りをしてくれている先輩や同輩たちの「視線」を逆に痛いほど感じ、屈辱感を噛みしめながら、

「畜生!今度こそ、デスクに褒められる仕事をして、みんなを見返してやる!」

と心に誓い、ケツをさすり、涙を堪え、真っ赤な顔で下を向き、自分の席にもどる。スポーツ第一部では、若手は誰でもそんな経験をしながら一人前記者へと育っていくのだった。

 そのようなことが、巌内就任後、二年、三年と続き、巌内デスクのケツ竹刀が「スポーツ第一部」の伝統・名物儀式となったのだった。

 巌内の竹刀のお世話になるのは、主に20代の「若手」記者だったが、すでに竹刀制裁は卒業のはずの、30代中堅でも、希望すれば、気合を入れてもらえた。さらに驚くことに、巌内のリーダーシップのなせるわざであろうか、巌内の「門下生」ではない、40代、50代のベテラン記者まで、自ら進んで、「気合をいれてくれ!」と、巌内の前でケツを突き出すこともあったのだ。

 眠気を覚ます「目覚ましケツ竹刀」は5本、些細なミスでは10本、締め切りに遅れたり、特ダネを逃したり、仕事に穴を開けるなど、より重大な失態には、20本が相場だった。もちろん、巌内の判断で、そこに「一分刈り坊主頭」が追加されることもあった。

 現在、下田の後輩は全員、新人研修時から竹刀でビシビシ鍛えられ、まさに、「巌内イズム」が骨の髄まで染み込んだ猛者たちだったのだ。



五、痛恨!米原の犯したミス

 「スポーツ帝都」の親会社である「帝都政経新聞社」。「スポーツ帝都」とは少々事情は異なり、全国から一流大学出身のエリートたちが集まる名門新聞社だ。

 そんな帝都政経新聞社の新米記者、いや記者の卵といった方がよい、米原忍・23歳は、新人ローテーション研修で、「スポーツ帝都」のスポーツ第一部へ、子会社出向の形で、配属されてきていた。お堅い「帝都政経新聞社」には、なぜか、スポーツ部と芸能部はなかったためである。

 ケツ竹刀の儀式や、いつも大声で元気のいい自分と同年代の新人記者など、米原にとっては、カルチャーショックの連続だった。米原の「帝都政経新聞社」がおっとり・まったり・お公家様集団ならば、「スポーツ帝都」は、まさに雑草魂・野武士集団だった。

 特に、米原にとって、ケツ竹刀の儀式は強烈だった。ケツ竹刀の時は、なぜか、股間がかぁッと熱くなり、グンゼYGの白ブリーフに包まれた股間がいつもビンビンになってしまう米原だったのである。

 自分と同じ20代の記者、しかし、自分より数百倍も逞しく大人に見える、そんな若手記者たちが、巌内デスクの前で、怒鳴られ、パンツ一丁のケツを突き出し、大声でケツ竹刀に感謝する。そして、時には、翌日、丸坊主で出社してくる。そんな記者たちが、米原には、頼もしく見え、羨ましくて仕方なかった。仲間に入りたかった。先輩に坊主頭をなでられ、からかわれ、照れくさそうにしながらも、なんか楽しそうに仕事をしている。そんな「スポーツ帝都」の若手記者のように、自分もなれればと思ったのだ。

 自分もあの記者たちのようにデスクからケツ竹刀を受ければ、仲間に入れてもらえるかもしれない・・・研修中、そんなことばかり考えている米原だった。しかし、さすがに、わざとミスを犯す勇気は米原にはなかった。しかし、深夜残業の時は、何度となく、巌内のデスクの前に進み出て、「目覚ましケツ竹刀」の申告をしようかと思ったものだ。

「よし!今夜こそは、ボクもデスクの机の前に行って、大声でお願いするぞ!」

と心に誓いながらも、そうする勇気を振り絞ってデスクの前に立つことは、研修中、ついに米原にはできなかった。自分のグンゼYGを見られるのもとても恥ずかしかった。

 実際、親会社からの出向者の米原は、いつも特別扱いだった。巌内は、米原を特にキツク叱ることもなかった。将来自分の上司になるかもしれない親会社からの大切な「お客様」である米原を、「無傷」で送り返すことに専心していたのかもしれなかった。一方、米原の憧れである、同世代の逞しい若手たちは、米原に挨拶はするものの、態度はどこか米原に対してよそよそしかった。

 そんな中、コンビを組まされた下田だけは、米原に乱暴な口調でズケズケとものを言い、時には、怒鳴ることもあった。そんな11歳年上の34歳の下田先輩に、米原は、日に日に惹かれるようになり、淡い恋心さえ抱くようになっていった。

 出向研修最終週、米原はいつにも増して仕事に打ち込めなかった。日曜日に聞いた東和大野球部と応援団の「闘魂棒尻叩き」のことが、頭から離れなかったのだ。

「どんな風にケツを叩かれるだろう・・・」

「闘魂棒って、どんな棒なんだろう・・・」

「痛いのかなぁ・・・」

「あんな強そうな人たちでも、泣くのかなぁ・・・」

 そんなことばかり考えていた。

 出向研修最終日、その日は、金曜日だった。

「おはようございまぁーーす!」

と、いつものように、天然ボケのおっとりした挨拶をしながら、スポーツ第一部・編集室に入った米原に、いきなり下田の怒鳴り声が飛んだ!

「米原!ちょっとこっちへ来い!」

「は、はい・・・な、なんスか・・・先輩・・・」

 下田のいつにない真剣な怒鳴り声に、少し不安になる米原だった。

 

六、六尺は下田の決めパンツ!

 スポーツ帝都・スポーツ第一部の編集室の一番奥ある小さな部屋は、記者たちのロッカーと取材のための機材類が置いてある部屋だった。その部屋で完全フリチン、スッポンポンのポォ〜〜ン!で仁王立ちになる下田勇実だった。
 
 まずは、肩に掛けた純白の晒し木綿で股間を覆い、一方の端を後ろに廻す。その時、チンチンは上向きに仕舞い込む!中学の時オヤジに教わって以来の方法で自らの股間へ六尺褌の締め込みを開始する下田だった。

「菅原!悪いが手伝ってくれ!」

と、いつの頃からか、後輩の菅原が六尺締め込みのアシスタントを勤めるようになっていた。

「はい!」

と、下田と菅原が二人で仲良くロッカー室へ行けば、下田がフンドシを締める時であり、それは、下田が重要な取材に取り掛かるか、または、巌内から仕置きを受ける時と相場は決まっていた。

 下田は、普段はBVDのブリーフだったが、ここぞという重要な仕事に臨む時や、巌内デスクから竹刀で気合を入れてもらうときは、このロッカー室で、いつもブリーフを脱ぎ捨て、六尺姿になるのだった。晒し木綿は、いつでも締め込みができるように、下田のロッカーに常備されていた。そして、下田の親父の下田道場時代からのクセで、六尺を締めこむ時は、いつもスーツはもちろんのこと、シャツまで脱ぎ捨てての完全フリチンになるのだった。

 その姿を見て最初は面食らうスポーツ第一部の記者たちも、もともと運動部出身のヤツがほとんどのためか、「ロッカー室での野郎のフリチン姿」にはすぐに慣れ、

「お〜、気合ははいってるな下田!」

「ちわっス!下田先輩!」

と声をかける程度、特にジロジロみることもなく、挨拶を交わすだけだった。

グイグイ!ギュギュ!グイグイ!ギュギュ!

「もっとしっかり締めてくれ!なんだったら、褌の端をもって肩に担ぐようにしてもいいんだぜ!」

 男・下田・34歳、プリッと盛り上がった尻の双丘の谷間に、白の晒し木綿が、グイグイグィーンと食い込んでいく。

 下田は、165cm×70kgのガッチリ体型で、親父の剣道道場で、そして、高校柔道部で鍛えた筋肉の上に、やや脂肪が乗った感じだった。

 上半身はYシャツがはちきれんばかりにガッチリした体型、柔道で鍛えた体躯だけあり、下半身もガッチリしていて、スラックスを履くと尻から太股にかけてパンパンにはちきれんばかりのボリュームだった。

 しかし、今はそのYシャツとスラックスは脱ぎ捨て、六尺一丁の姿になろうとしていた。

「ひぇーー今日は又一段と締めますねぇ〜、先輩。ケツの食いこみ、半端ないッスよ・・・。」

と、後輩の菅原。

「ああ、久しぶりのデスクの気合入れだからな・・・・六尺はこんくらいきつくしめとかねぇ〜と、泣きをいれることになるからな。」

と、下田。

グイグイ!ギュギュ!グイグイ!ギュギュ!

と、菅原は下田に言われた通り、下田のケツの谷間に食い込んだ晒し木綿の一端を力任せに引っ張っていた。下田は、頬をプゥ〜〜〜と膨らませて、下腹、そして、股間への圧迫感を我慢していた。

 「スポーツ帝都」スポーツ第一部の名物である、編集長・巌内による若手記者への竹刀制裁、竹刀気合入れ。若手記者は、スーツの上下を脱ぎ捨て、ワイシャツの裾を捲り上げ、編集長のデスクに両手を付き、BVD白ブリーフ一丁のケツを巌内の竹刀の先へ差し出すのが伝統だ。

 しかし、スポーツ第一部で若手記者を引っ張るリーダー的存在であり、スポーツ第一部「巌内塾」の第一期生として、巌内の竹刀で新聞記者としてのイロハから叩き込まれてきた、34歳・下田勇実は少し違っていた。

「どうせケツ竹刀食らうなら、巌内のオヤッサンの竹刀は、ブリーフ一丁より六尺一丁のケツに食らいたい!」

 それが、下田の男のこだわりだった。巌内の竹刀を剥き出しの生ケツに食らうことで、巌内の厳しくもありがたい教えの真髄をジックリと味わいたいと、下田は考えていた。

 あごに薄っすらと無精ひげを蓄え、スポーツ刈り風の短髪がよく似合う下田は、サラリーマンというよりは、下町商店街の青年会若頭といった風貌だった。

グイグイ!ギュギュ!グイグイ!ギュギュ!
 
 後輩・菅原のバカ力によって、下田の両ケツペタの谷間へと沈んでいく六尺褌の晒し木綿。剣道そして柔道で鍛えた下田のケツは、ムッチリ・色白の肉厚ケツで、かといって、30歳を過ぎても決して垂れることのない鍛えられた堅い筋肉がしっかりついたプリップリッの美ケツだった。

グイグイ!ギュギュ!グイグイ!ギュギュ!
 
 しっかりと締めこまれていく六尺褌の白の晒し木綿は、下田のケツの深い谷間にちょうど隠れるほどに締めこまれていった。

「今日は何発ッスかね・・・」

と、菅原が思わずつぶやくように口走る。

「・・・・・」

と、菅原のつぶやきが聞こえなかったのか、無言の下田に、菅原はあわてて、

「す、すいません・・・余計なことでした・・・」

と謝る。

「いや・・・いいんだ・・・あれだけの大失態をやらかしたんだ・・・20発だろうな・・・・」

と、後輩の問いかけを無視したとは後輩に対してやや大人げなかったと思い、下田は思いなおして取り繕うように言うのだった。

「20発はキツイっすね。」

と、菅原。

「ああ、覚悟はできてる。」

「でも、あれは米原の連絡ミスなんでしょう・・・米原はお構いなしだなんて、なんか割り切れねーな・・・」

「バカヤロ!もう言うな、そのことは・・・」

「は、はい・・・でも、みんなわかってますよ。あれは、先輩じゃなくて、アイツのミスなんだって。」

「ああ、わかってる。だから、もう言うな。今は、アイツが一番つれぇーんだと思うぜ。今頃、アイツ、編集室で針のむしろ状態なんじゃねぇーか・・・菅原!お前ももう新人じゃねぇんだ。俺のケツのことなんかより、米原に気をつかってやってくれ。お前も後輩たちに、きつく言い聞かせとけよ。今回のことでは、絶対に米原を責めるんじゃねぇって。」

「は、はい・・・・わかってます・・・」

「今回のことで、アイツを責めるようなことを言うヤツがいたら、この俺様が承知しねぇ〜からな!そいつのケツ、上を向いて寝られなくなるまで竹刀でぶん殴ってやる!わかったな!」

「は、はい・・・」

 「先輩はどうして米原のことそんなに庇うんスかぁ?」とでも言いたいようなちょっと不満げな顔をしながらも、黙って先輩のアシスタントを務める菅原。

グイグイ!ギュギュ!グイグイ!ギュギュ!

「先輩、しゃがんで下さい。」

「よし、しっかり端を持っていてくれ!」

 下田の股間に二重に廻し込まれた晒し木綿の端をギュッと握る菅原。そして、その晒しを股間に今一度しっかり食い込ませるように、しゃがみ込む下田。中学生の時からやっている六尺褌締め込みの仕上げだった。

 腰を下ろしながら、いつものあの感覚を、股間に奥のケツの穴あたりに感じ、ビシッと気合が入る下田だ。

「よし!これから、オヤッサンの仕置を受ける!後輩たちにしっかり手本をみせられるように振舞わねばならん!」

と、決意を固める下田だった。

「いいっスか?」

「ああ、サンキュ、仕上げの結びを頼む!」

 立ち上がると、晒し木綿がいっそうケツの谷間に食い込んでくる。初めて六尺を締めこんだものならば、本能的に、手をケツに持っていき、股間に食い込む晒し木綿をどうにか緩めようとする瞬間だ。

 六尺の食いこみ感覚に慣れている下田は、

「ヨッシャ!」

と、六尺が自分の股間にしっかり締めこまれていることを確認し、自分に気合を入れるようにつぶやいた。

 握っていた晒しの端と、後ろで仮留めしてあったもう一方の晒しの端を、横褌(よこみつ)に絡ませるようにして、しっかりと、最後の仕上げの結びをする菅原。そして、それが終わると、

「先輩、一丁上がりです。」

と言って、下田の右ケツを、軽くポンポンと叩く菅原だった。ケツを後ろからポンポンと叩いてやる。それが、六尺を締め終わったことを知らせる男同士の挨拶でなのである。



七、オヤッサンのケツ竹刀

「バカ野郎!30過ぎのいい面下げやがって、俺の竹刀をケツに食らわなゃならんとは、恥じを知れ!恥を!あんな初歩的な連絡ミスをしでかしやがって!お前なんて、新人以下だ!」

 六尺を締め込みスーツ姿に戻った下田は、「オヤッサン」こと編集長・巌内のデスクの前に直立不動の姿勢で立っていた。顔は耳まで真っ赤だった。

 その日の下田に対する巌内の叱責は、辛辣を極めるものだった。下田は、巌内から、仕事上のそして男として人間としての弱点をビシバシと指摘されていた。

 編集室で仕事をしている部下や下田の後輩たちは、仕事をしている振りをしているだけで、仕事には全く手がつかなかった・・・。

「ひぇ・・・あそこまで普通言うか?」

「あんなこと言われたら、俺なんか、明日から出社できねぇぜ・・・」

と、口には出さねど、下田の後輩たちは皆そう思っていた。

 後輩たちの前で、オヤッサンから怒鳴りつけられ、叱り飛ばされることに慣れっこの下田も、さすがに凹み始めていた。だんだん喉がカラカラになってくる・・・。ゴクンとなんども生唾を呑まずにはいられなかった。

「そこまで言わなくたっていいじゃん・・・・」

と、下田自身もついつい言いたくなるような厳しい説教だった。

 説教が始まって15分、巌内もそろそろ潮時と思ったのか、

「よし!ケツ竹刀何本が相当か、自己申告せい!」

と、下田に命令した。

 下田は、カラカラの喉を潤すかのように、再びゴクリと生唾を呑み込むと、

「はい!二十本が相当だと思います!」

と、申告した。

「ひぇ・・・でたぁーーー!ケツ竹刀マックスの二十本だ!」

と、後輩の記者たちは、顔を上げて、思わず巌内と下田の方を見つめる。

 しかし、巌内は、下田のその申告を一蹴する!

「バカモン!プロ野球機構・最高コミッショナーの守口善之助・桜テレビー会長の独占取材に穴を開けやがって!二十で足りると思ってんのか!!」

 下田と組む新人研修生・米原のついうっかりの連絡ミスで、下田は、野球界の重鎮である守口善之助・桜テレビ会長への独占インタビューをすっぽかしてしまったのだった。

 この大失態に、スポーツ帝都の社長は激怒し、巌内と下田は、社長室に呼ばれ、社長から直々にタップリと絞られた後だった。もちろん、巌内も下田も「首を洗って」社長からの処分待ちの状態だった。

 最初、下田も、米原のミスであることを巌内に訴えたが、巌内からは、

「すぐに部下のせいにするな!おまえ自身も確認を取るべきだったろうが!」

と一蹴された。巌内の「米原」ではなく「部下」という言葉にハッとした下田だった。

「そうか・・・俺ももうそういう年か・・・もう若手ではない・・・・いつまでもオヤッサンに甘えてはいられない・・・」

と思い、巌内の前で、ついつい甘えがでてしまった自分を恥じたのだった。

 そして、米原の失敗についてはもう言うまいと決意し、

「デスク!編集室に戻ったら久々に気合入れ・・・お願いします!」

と、下田は、巌内に気合入れケツ竹刀を志願したのであった。

「よし!覚悟しとけ!」

と、巌内の返事だった。

 「二十では足りん!」というオヤッサンの言葉に絶句する下田に、巌内は、業を煮やし、

「ったく!仕置きの本数も自分で決められんとは、いつまでたっても、しょうがねえやつだ!てめえが何本ケツぶん殴られたら、気合が入って、一人前の仕事ができるようになるのか!そんぐらいわかんなくてどうする!え!いったい、何年、俺の下でメシ食ってるんだ!!」

と、ますます手厳しかった。

「は、はい・・・すいません・・・・」

と、もう泣きそうな下田に、巌内は、「チッ!」と舌打ちし、

「おまえ、何歳だ?」

「えっ?」

「えっ、じゃねぇよ!年はいくつなんだって聞いてんだ!このバカ野郎!」

「は、はい!34歳であります!」

「よぉ〜〜し、そんなら、34本でいこうじゃねーか!年の数だけ、気合入れてやる!いいな!なんか文句あっか?」

「い、いえ!ありません!34本の気合入れお願いします!」

「よし!そこに両手をついて、ケツを出せ!」

「はい!」

 下田は、巌内の部下たちが巌内から竹刀で気合を入れてもらうとき同様に、スーツの上下を脱いだ。ネクタイを後ろに放り出すようにして、ワイシャツの右肩のかけ、ワイシャツの裾を捲り挙げる。そして、中堅新聞記者らしい履き古した革靴を脱ぎ捨てると、黒の靴下だけになった。よくテカった臭そうな黒のビジネスソックスだった。   

 下田は、巌内デスクの机の前に、足を肩幅よりやや広げて立ち、その机に両手をつき、上体を45度ほど前傾させ、Yシャツが捲り上げられすでに丸出しのケツを後ろへ潔く突き出すのだった。

「お願いします!」

と、隣のスポーツ第二部の編集室まで響くようなデカイ声で、気合入れケツ竹刀を願い出る下田だった。

「よし!」

と言うと、巌内は、部屋の角にある掃除用具入れの中から、いつもの少し古びた竹刀を取り出し、自分の机の上に両手をつき、ケツを突き出している下田の後ろに立ち、竹刀を構えるのだった。

 巌内の竹刀の先には、下田の六尺を締めたプリッとした生ケツがデンとある。そのケツを支えるように下にヌッと続いている下田の鍛えた両太腿が、少し震えているように見えた・・・。

「よし!いくぞ!奥歯をしっかり食い縛っとれ!」

と言うが早いか、巌内は、グッと腰を入れ、六尺が締め込まれた下田の生ケツへ向けて、

パァ〜〜〜〜ン!

と、遠慮なく、竹刀を打ち下ろす!!

「あぁーーー!」

 両目を閉じ、思わずなんともいえない声をあげる下田。

「やっぱ、オヤッサンの竹刀は、半端じゃねぇ・・・・」

と思う下田。

 前に巌内のケツ竹刀を受けたのはいつだったのか・・・・29歳の時だったろうか・・・そんなことも思い出せないほど久々の巌内からのケツ竹刀に、下田の頭の中は真っ白、閉じた目の裏にはキラキラと星が浮かんで見えていた。

「オラァ!下田、どした!数も数えられんのか!後輩たちが後ろで笑ってるぞ!」

の巌内の言葉に、下田はハッとし、

「ひとつ!ありがとうございました!」

と叫ぶのだった。下田の白いケツには、うっすらとピンク色に竹刀の痕がついていた。下田は、ケツにジリジリと焼けるような痛みをジワジワと感じ始めていた。

パァ〜〜〜〜ン!

「ふたつ!ありがとうございました!」

パァ〜〜〜〜ン!

「みぃっつ!ありがとうございました!」

パァ〜〜〜〜ン!

「よぉっつ!ありがとうございました!」

と、下田へのケツ竹刀は、リズミカルに進行していく。

 巌内の竹刀は、一発一発、毎回フルスイングの非常に重いものだった。五発、十発、二十発と、下田のケツについた竹刀の痕は、次第に腫れて赤味が濃くなっていく。下田のケツについたそれら何本もの竹刀の痕は、次第に赤く腫れて広がり、一本一本の線がだんだん見分けがつかなくなり、ケツ全体が赤くなっていくのだった。

 確かに、巌内の竹刀は、一発一発、情け容赦のない強さで、部下のケツを打ち据えるものだったが、一方で、自分の実の息子を打ち据える時のような温かさがこもっていた。すなわち、巌内の上司としての「愛情」のこもった一発一発だったのだ。これは、巌内のケツ竹刀を食らったものにしかわからない温かさであった。

 二十本目を越える頃から、下田の両ケツの感覚は完全に麻痺し、痛みはなかった。下田は、ケツになにか温かい餅がはりついたような腫れぼったい火照りだけを感じていた。

 下田は、その懐かしい温かな感覚に、今度は、股間に熱いものを感じてしまうのである。そして、

「オヤッサンの竹刀、やっぱ温ったけぇや・・・」

と、つぶやくように言う。

 三十、三十一、三十二、三十三と、あとは数を数えるだけだった。

 そして、額に汗を滲ませ竹刀を握り、自分一番弟子であるかわいい部下、下田勇実の六尺をキリッと締めたケツに、渾身の三十四発目の竹刀を見舞う巌内だった。

パァ〜〜〜〜ン!

「さんじゅうとよん!ありがとうございました!!」

と、三十四発目の打擲を数え終え、礼を述べる下田だった。そして、巌内に軽く一礼すると、ケツに触れないように、そおっとスーツの上下を着て、靴を履き、自分のデスクへと戻る下田だった。もちろん、椅子に座ることはできなかった・・・。



八、巌内の説教

 下田への仕置きは終わった。スーツを着終えると、ケツをさすることもできず、足を引き摺りながらゆっくりと、自分の席へ戻る下田。

 もちろん、米原は、下田の仕置きの最中も、編集室の自分の机に座っていた・・・仕事にならないのはもちろんのこと、震えて身動きだにできない状態だった。体中、冷や汗でビッショり、体が硬直したように動けなかった。

 米原の後ろを通った下田は、米原に、

「なにしてんだ・・・今日で研修も終わりだろ、早く机の上を片づけろ!」

と声をかける。

 米原は、声にならない声をどうにか絞り出し、

「は・・・はい・・・」

と言うのがやっとだった。

 しかし、そんな米原は突然立ち上がり、巌内のデスクの前へ走って行く。部屋にいた記者たちの目が、一斉に、米原に注がれる。

 米原は、巌内編集長のデスクの前に立つと、

「ご、ごめんなさい・・・」

と謝ろうとした。

 すかさず、巌内は立ち上がって、米原へ近寄ると、

「お前は謝る必要はない!これ以上、下田に恥をかかすな!」

と、米原の耳元で小声で叱るのだった。

 ハッとしながらも、返事のできない米原。巌内は、さらに米原に近づくと、ギュッと、米原のスーツの股間をつかみ、タバコ臭い息を米原に吹きかけながら、

「坊や、この位のことでビビってたんじゃ、この業界じゃ、やっていけねぇ〜ぜ!」

と、米原の耳元で囁くように言うのだった。

「・・・・・」

 なにも応えることのできない米原。巌内は、さらにギュッと米原のグンゼYGの中のすっかり「萎縮」してしまったイチモツを掴む。野球の監督は、打ち込まれた投手の続投か交代かを決める時、よく、投手の股間を握ってくると言う。男の股間は一番正直に、その投手が、精神的にもうダメかまだ行けるのかを語るのだという。まさに、今の米原は、しばらくは再起不能なほど完全にビビっていることが、巌内には「手に取る」、いや「手で握る」ようにわかるのだった。

 、巌内は、ニヤリと笑うと、さきほどよりは少し優しい声になって、

「もうお前さんも子供じゃねぇーんだ。『つい、うっかり』も命取りになるってことをこの際よぉーーく肝っ玉に刻んでおけ!」

と、米原の耳元で説教する。そして、右手で米原のアソコを握ったまま、米原の後ろへ回ったかと思うと、そのゴツイ左掌で、バシッと米原の尻を叩くと、

「さあ、自分の席に戻れ!」

と促すのだった。

 そのケツ・バシッ!で、いままで、デスクの前に立つ緊張で動くことのできなかった米原は、まるで催眠術からでも醒めたように、どうにか一歩を踏み出し、自分の席へと戻って行くのだった。

 そして、いつもの編集室に戻っていた・・・・止むことなく鳴る電話の音。それに応対する記者たちの声。

「木村!村岡監督の取材の件、どした!報告がねぇーぞ!遅せぇー!」

と、いつもの巌内の怒鳴り声も部屋中に響く。

 そんな中、寂しそうに肩を落とし、ポタポタと重い足取りで、自分の席へと向かう米原。

 スポーツ第一部・編集室にいる全員がミスは米原がしでかしたということを知っている。いくらお坊ちゃまでも、そんなことに気がつかない米原ではなかった。恥ずかしくて、耳まで真っ赤。顔を上げることはできなかった。しかし、意外なことに、下田が席に戻る時は知らん顔だった部屋にいた米原の「先輩」にあたる記者たちは、

「ドンマイ!米原!」

「気にスンナ!米原!」  

「米ちゃん!元気出せ!」

と、米原が傍を通る度に、尻や背中をポンポンと叩いてくれた。エリート集団、帝都政経新聞の同僚や先輩たちにはない「スポーツ帝都」の猛者たちの温かさに触れた米原だったのである。

・・・・・・・・・

 その日の夕方、新橋の居酒屋でささやかな米原の送別会が開かれた。忙しい記者たちである。入れ替わり立ち代りであったが、スポーツ第一部の記者全員が、顔見せして、米原と酒を酌み交わしていった。全員、その日のことなどもうなにもなかったかのように、米原に笑顔で接してくれるサッパリした連中だった。

 お開きで、いよいよお別れのときは、居酒屋の集まる新橋駅烏森(からすもり)口一番街で、応援団出身の入社二年目若杉記者が、万歳三唱の音頭をとってくれた。

「僭越(せんえつ)ではございますが、ご指名でございますので、先輩方を差し置き、私・不肖若杉が、米原記者の帝都政経新聞でのご活躍を祈念し、万歳三唱の音頭を取らせていただきます!! それでは、皆様、ご唱和をお願いします!」

「万歳!」

「バンザァーイ!」

「万歳!」

「バンザァーイ!」

「万歳!」

「バンザァーイ!」

「ありがとうございました!」

 若杉が礼をすると、「米原!がんばれ!!」という声とともに、先輩記者たちからの惜しみない拍手が新橋一番街の細い裏路地に響いていた。

 米原は、恥ずかしそうに顔を真っ赤にしながら、先輩たちに何度も何度もお辞儀をするのだった。

 結局、米原のおかした連絡ミスは、下田のケツ竹刀34発と坊主頭、そして、巌内の上層部への始末書でケリがついた。もちろん、「お客様」の米原には、お咎めなしだった。巌内が親会社へ報告する米原の勤務評定にも、そのことは、一切、触れられなかったことはもう述べるまでもない。

 

九、米原来訪

「い、痛てぇ・・・チェッ!まだケツが痛てぇーや・・・」

 翌日、土曜日の早朝、起きぬけに穿いたジャージが下田の白ブリのケツをわずかに擦っただけで、まだピリッとケツに痛みが走る。昨日、六尺褌を締め込んだケツに食らった34発の巌内の竹刀、すなわち「愛のムチ」は、下田のケツにまだまだ十分すぎるほどの余韻を残していた。

 編集長・巌内のケツ竹刀は、己の実の息子を打ち据えるかのように一発一発が重く、愛情のこもったものだった。下田にとっても巌内は、就職して以来、実のオヤジ以上の存在で、まさに第二の父親と呼んでいい存在だった。昨日は、その「オヤジ」の竹刀を、途中からは痛みの感覚がなくなったが、一発一発を味わうようにケツに受け止めることができた。
 
 ケツ竹刀を食らっている時、自分のむき出しの生ケツの後ろで、仕事に集中している振りをしながらも、スポーツ第一部の記者たち、特に、下田の後輩にあたる若手記者たちの関心は、下田のケツ竹刀の儀式に集中していることも感じていた。

「アイツらに恥ずかしいとこは見せられねぇ!」

 先輩として男としての意地が、あの重い竹刀34発の試練に耐える力となった。

パァ〜〜〜〜〜〜ン!!

 竹刀をケツに一発食らう毎に、忙しさゆえとはいえ、重要な取材の連絡を新人の米原に任せきりにした自分の油断を反省した。しかし、その反省の念も、竹刀の回数が増すごとにケツに蓄積してくる熱い焼けるような痛みと、次第に大きくなっていく、ズシィ〜〜〜〜ン、ガツゥ〜〜〜〜〜ンと脳天へ伝わってくる重い衝撃で、かき消される。

 昨日のケツ竹刀を思い出しながら、そぉっとジャージとブリーフをおろして、洗面所の鏡にケツを向ける下田。首を後ろに向け、鏡に映った己のケツを背中越しに観察する。

「あ〜あぁ・・・こんな真っ黒になりやがってる・・・これじゃ、しばらく銭湯にもいけんなぁ・・・道場のシャワー室借りるかぁ・・・でも、こんな真っ黒なケツ・・・兄貴にからかわれんだろうなぁ・・・」

とボヤキながら、再びジャージとブリーフをそぉっと上げ、ジャージ上下にどてらを着こんでアパートを出る下田だった。

「さんじゅうとよん!ありがとうございました!!」

と、昨日、三十四発目の竹刀を見事ケツに受け終えて、意識がスゥ〜〜と遠のくような感覚に襲われる中、後ろから響いてきた巌内のオヤッサンの怒鳴り声・・・。

「下田!来週までに頭を丸めてこい!それから、髪がもとに戻るまで謹慎だ!外への取材はいかせん!編集室で資料整理のデクスワークだ!お前みたいな中堅を丸坊主で取材先に行かせるなんて恥ずかしくてできんからな!!下田の取材は菅原がかわれ!」

 その怒鳴り声は、ケツ竹刀・三十四発を見事食らいきった自己満足・陶酔に浸るつもりだった下田を現実へと引き戻した。

「ご指導ありがとうございます!失礼します!」

と、まさに若手後輩たちにオヤッサンからの仕置きの食らい方の模範を示すような挨拶をして戻ってきたまではよかったが、丸坊主と聞いて、さすがにへこたれる下田だったのだ。これからまだまだ長い、格好悪い謹慎期間が待っていることを自覚せざるを得なかったのだ。

「チェッ!丸坊主だけは、勘弁してほしかったよなぁ・・・」

とボヤキながら、下田は、久々の非番となったその土曜日の朝、行きつけの床屋が混まないうちにと、朝一で散髪屋に向かうのであった。下田にとっては、久々の坊主頭。前回、巌内から気合を入れられて以来、5〜6年ぶりだろうか。サラリーマンの丸刈りが流行している昨今と違い、当時は、大人の「丸刈り」といえば、なにかをやらかした時の「反省」の髪型であった。

 しかも、巌内が「丸刈り」と認めてくれる丸刈りは一番「長くて」も「五厘」だった。普段からスポーツ刈り風の短髪である下田も、34才にもなって、いきつけの床屋で、「バリカンで五厘に丸めてくれ!」と言うのは少し照れくさかった。床屋の主人も、「本当にいいですか?」と何度も聞いてきて、恥ずかしさも倍増だった。

 それでも、「長さ」だけは当時の甲子園球児並みの「五厘刈り」にした下田。まさに反省の丸刈りだ。散髪後、鏡に映るサッパリと丸刈りにした自分の頭を見て、額の生え際の「後退ぶり」に思わず年を感じてしまう下田でもあった。

「うぅ・・・寒・・・はやく戻って、布団に入って、もう一眠りだ・・・」

 散髪屋を出て、11月の朝のひんやりした空気に触れた下田は、思わずブルッと身震いし、ジャージのケツ・ポケットに突っ込んできたミルトンダクサンズの野球帽を、坊主頭の照れ隠しに被るのであった。

 そうして散髪屋から戻り、東武伊勢崎線・牛田駅から歩いて数分の路地裏にあるオンボロアパートの階段を3段飛びで急いでかけ登る下田だった。二階の一番奥の205号室が、四畳半一間に小さなキッチンと押入れがある下田の住みかだった。もちろん、風呂はなし、トイレは共同だった。

 下田が二階の廊下を歩いて行くと、下田が今被っているのとお揃いのミルトンダクサンズの野球帽を深々とかぶり、色白でヒョロリとしたスーツ姿の青年が 、自室である205号室のドアの前にたたずんでいた。下田が戻ってくる姿を見つけると、

「せ、先輩!」

と、うれしそうに手を振り、近寄ってくる。

 下田は、その甘ったれた声と、いかにも高級そうなスーツ、そして、白のソックスから、

「あ!」

と驚きを隠せない。その青年が、米原忍だということは、嫌でもすぐにわかるのだった。

「よ、米原・・・お、お前、こんなところで・・・」

「エヘヘ・・・来ちゃいました・・・・はいっていいですよね・・・ね、先輩!」

 下田は米原を戸口のところで追い払おうとも思ったが、なんとなく、そうすしてしまうのもかわいそうだと思い、

「何しに来たんだよ!こんなところへ・・・俺はおまえに用なんてねぇ〜ぞ!さっさと帰れ!」

と、いつも通り、口ではズケズケと言う。

 しかし、下田は、自室のドアを開けると、

「食うもんなんて、なんもねぇ〜ぞ!」

と言って、まるで米原に入れとでも言うように、ドアは開けたまま、一人で先に部屋に入るのだった。その後に続く米原。しかし、米原は、部屋には入ったものの、靴は脱がずに、一段低くなった「玄関」のところに立ったままだった。

 散らかって乱雑としている下田の部屋。壁には、何着かのスーツが無造作に掛けられている。そして、部屋のほぼ中央にある小さくて丸いちゃぶ台の横には、煎餅布団の万年床が敷いてあり、そのまわりには、洗濯してない靴下とシャツ、そして、きっと何日かにわたって交互にはきまわしたであろう黄色い染み付きBVDブリーフが数枚、無造作に散らかっていた。あまりにも散らかっていて下の畳など見ることができないほどだった。

 ドアを開けたまま、突っ立ったままの米原に、

「寒いだろ!ドアぐらい閉めろ!」

と命令する下田。あわてて後ろのドアを閉める米原。

 下田は、

「悪い・・・最近、洗濯する暇がなくてなぁ・・・」

と言いながら、畳の上に散らかっている黄色い染み付きブリーフ数枚を足で蹴って、部屋の端にどかすのだった。

 一方で、その決まり悪さを打ち消すかのように、

「だいたいお前が来てからだぞ!俺の仕事の量が三倍になったんだからな!洗濯する暇なんてなかったんだからな!」

と、下田は怒ったように言うのだった。

 米原は、その乱雑に散らかった畳の上に、米原も密かに愛読している

「季刊雑誌 堅尻青年 昭和○○年秋季号 強烈!!シゴキ・尻たたき特集」

をあざとく見つけ、目の奥をギラリと光らせるのだった!もちろん、下田があわてて、それを隠したことも見逃さなかった!!

 一方、下田は、そうとは気づかず、どてらを脱ぐと、万年床の上に胡坐をかいて座った。そして、

「いつまでもそこに突っ立ていられると邪魔なんだよ!うちは、座布団なんてシャレたものねぇ〜から。どこでも好きなとこ座っていいから・・・さあ、早く、入って来いよ!」

と、米原に言うのだった。

 米原は、あわてて、

「い、いえ、ボ、ボク・・・す、すぐに失礼しますから・・・って言うか・・・・」

と言ったかと思うと、すぐにまた口ごもってしまう・・・。そして、頬をぽぉ〜と赤らめるのだった。

「『って言うか』ってなんだよ!男だったら、はっきり言え!恥ずかしがってんな!」

と下田。

「あのぉ・・・あのぉ・・・・あのぉ・・・・せ、先輩、坊主頭にしたんですね!似合いますよ!カッコいい!」

「バカヤロ!俺の坊主頭、冷やかしに来ただけなら、さっさと帰りやがれ!」

「あ、ごめんなさい・・・ち、ちがうんです・・・あのぉ・・・・あのぉ・・・・あのぉ・・・」

「あのぉ・・・なんだよ!早く言えよ!俺は眠いんだよ!用がないなら、お前には早く帰ってほしいんだよ!」

 下田のイライラしたような言葉に、米原は、なにか決心をしたような顔になると、

「こ、これから会社にいって、ボ、ボクのお尻を、あの竹刀で思い切りぶって下さい!お願いします!」

と思い切ったように言うのだった。そして、ペコリと頭を下げる米原。

「・・・・・・」

 一瞬唖然として、なにも返事をできない下田に、米原は、

「お願いします!」

「お願いします!」

と、何度もペコリ・ペコリと頭を下げる。

「バカ野郎・・・あのことはもう忘れろ!もう誰も気にしちゃいねぇから・・・」

「ボクも責任取りたいんです!先輩みたいに!」

 米原のその言葉に、下田は少し怒ったように、

「責任を取るなんて軽々しいことをいうんじゃねぇ!俺だって取っちゃいねぇ〜んだ!責任なんて!」

と言う。もちろん、今回の件で、下田は巌内からケツ竹刀34発と坊主頭、そして、当分の間の謹慎を言い渡された。しかし、それは、非公式の「お仕置き」であり、会社からの処分はなしだったのだ。

「で、でも・・・・お願いします!」

「お願いします!」

と、下田の四畳半一間のアパートの「玄関」に突っ立ったままで、なんども頭を下げて食い下がってくる。

 そんな米原に、下田もついに根負けし、

「よし!じゃあ、ここだ!俺の膝の上に乗ってケツを出せ!お前は、まだガキだから、ケツ竹刀なんて十年早い!!!俺の膝の上で、お尻ペンペンだ!!!」

と言って、自分の胡坐をかいたジャージの両太腿を指差したのだった。



十、メイド・イン・お仏蘭西(ふらんす)のタイツを穿く男

 それは、下田にとってほんの軽い冗談のつもりだった・・・。しかし!米原は、なんと、真剣な顔つきながら、待ってましたとばかりにすぐに、下田の胡坐をかいた膝の上に乗ってきたのだった!それは、まるで「先輩・・・それじゃ・・・遠慮なく・・・・よっこいしょ!」とでも言っているかのようだった。

 いくら10以上年下の後輩とはいえ、自分より背の高い青年が、しかも、スーツ姿のままで、自分の膝に乗ってきたことに、再び、唖然とする下田。

 想定外の展開に、下田は、あわてて、

「バカ野郎!」

と、自分の膝の上に乗っている米原に言う。

 下田は、「バカ野郎!冗談だよ!」と、言うつもりだった・・・。

 しかし、米原は、なにを勘違いしたのか、

「あ、そうだ!すいません!それ以上言わないで。わかってます。お尻をたたかれる時は、上着とズボンは脱ぐんですよね・・・」

と言うと、着ていた高級スーツとそのスラックスを脱ぎ、しわにならないように丁寧に折りたたんで、脇に置く。そして、再び、下田の胡坐をかいた膝の上にちょこんと乗ってきたのだった。

 自分の膝上に晒け出された米原の下半身に、思わず、プッと噴出してしまう下田。なんと、米原は、ブリーフの上に白タイツを穿いていたのだった!!!

「あのなぁ〜〜、おまえ、ガキでもあるまいし、スーツの下にタイツ穿いてるなよ!」

と、ついズケズケと言ってしまう下田。

「でも、先輩、これって、ポカポカ、とってもあったかなんですよ!ボク、子供の頃からバレエやってたんで、タイツ、穿きなれてるんです!」

「おまえ、バレーやってたのか!意外だな!ポジションはどこだ?おまえ、背はそんなデッカクねぇからセッターか?」

「やだなぁ!先輩ったら!バレーボールじゃなくて、クラシック・バレエですよ!踊るやつです!」

「えっ!あのピチピチ・タイツ穿いて、前がモッコリで、踊るやつか?」

「もう!先輩たら!バカにしないで下さいよ!」

「わ、悪かった・・・で、でも、なんでバレエなんて始めたんだ?」

との下田の問いに、米原は、自分の母親がバレリーナであることを話し始めた。

 そうなのだ、米原忍の母親は、藤本歌劇団のプリマドンナ・米原亮子(旧姓・小林)であり、父親は、帝都大文学部仏文科の教授・米原泰造なのであった。

 すなわち、下田勇実が、父親の剣道場で身体を鍛えすくすく育った下町の雑草ならば、米原忍は、父親の書斎と母親のバレエ教室で知性とその芸術性に磨きをかけた、山の手の超リッチ・超名門・お坊ちゃまだったのだ!!

 しかし、米原忍が、一流とはいえ帝都政経新聞社などになぜ就職したのか?母親のようにバレーダンサーか、または、父親のように学問の道を志すべきだったのではないか?その理由はわからないが、男の人生にはそういった「ハプニング」がよくあるものである。深く詮索すべきではない。

 米原の山の手お坊ちゃま「自慢話」をタップリ聞かされてタイツのことに一応納得した下田は、

「いつまでも人の膝上でケツ出して、ペラペラ自慢話こいてんじゃねぇ〜よ・・・そろそろ膝が重めぇ〜よ!全くコイツ空気が読めねえヤツだな!」

と、米原のケツを叩く気持ちが沸々とわいてくるのだった。

 少し厳しい声になると、米原の自慢話を遮るように、

「さあ!いつまでもお前のおフクロとオヤジの自慢してねーで、男だったら、タイツなんて脱いで、パンツ一丁になれ!」

と、米原に命令する。

 米原は、やっと自慢話をやめ、

「はい・・・お尻ペンペン、ですよね・・・」

と、うれしそうに返事をすると、「お尻ペンペン」の覚悟を決めたのか、タイツを脱ぎ再び丁寧に畳んでさっき脱いだスラックスの上に重ねるように置く。シャツの下は白ブリーフ一丁となり、再び、下田の胡坐をかいた両太腿の上に己のケツをちょこんと乗せるのだった。米原のブリーフはもちろん、下田の予想通り、グンゼYGだった。

 米原が、下田の膝上にケツを出すと、下田は、巌内のオヤッサンのように説教を始めた。

「いいか!だいたいだなぁ!ケツ竹刀の覚悟を決めた男が、ズボンの下にタイツを穿いてくるなんて、甘めぇ〜んだよ!全然反省しとらん証拠だ!!わかってんのか!」

「・・・・・」

バッチィ〜〜〜〜ン!!!

と、返事のない米原のケツに、下田の右手が急襲する。

「い、痛い!!」

と、不意をつかれた米原は、思わず叫ぶ。下田の平手は、予想外に堅く重かった。

「バカ野郎!ケツ叩きが痛いかどうかなんて聞いてない!お前が甘いことがわかったかと聞いてるんだ!返事はどした!!」

バッチィ〜〜〜〜ン!!!

「・・・・・はい!わかりました!」

 二発目の強襲に、下田の膝上で思わず身体を反らしながらも、返事をする米原だった。

「よし!わかってるんだったら、もっとケツを上げろ!」

「はい!」

 そう返事をすると、米原は、いままでよりもプリッと斜め上を突くようにグンゼYGのケツを出す。さすが、バレエをやっていただけのことはある、スーツの上からではわからなかったが、米原のケツは、なかなか筋肉質でプリッ!と引き締まった美ケツであった。

「よし!いくぞ!」

「お、お願いします!」

 下田は、ハーハーと右掌に息を吹きかけると、右掌をすぼめ、米原のブリーフのケツのど真ん中に狙いを定める。そして、腕を肩のはるか上へ高々と上げると、それを米原のケツめがけて思い切り振り下ろす!!

バッチィ〜〜〜〜ン!!!

バッチィ〜〜〜〜ン!!!

バッチィ〜〜〜〜ン!!!

バッチィ〜〜〜〜ン!!!

バッチィ〜〜〜〜ン!!!

バッチィ〜〜〜〜ン!!!

 重くて熱い連打が、米原のブリーフのケツを連続して強襲する。米原にとって初めての感覚だった。痛くて熱い。でも、なんとなくブリーフの中の股間のイチモツがムズムズしてくるような刺激・・・米原のイチモツは、グンゼYGの中で、次第に硬くなり、グンゼYGの綿生地の中で、ムクムクとその鎌首もたげ始める。

 一方、下田は、米原のケツを一発叩く毎に、その前日オヤッサンより受けたケツ竹刀の痣が残るケツにズキリと響いて、まるで、米原のケツの痛みを自分のケツにも感じているような錯覚にとらわれる。そして、中一の頃、父親の道場でのケツ竹刀にある種の「萌え」を覚えてしまった下田の股間のイチモツも、一発毎に、ムクムクと元気になり鎌首をもたげてくるのだった。

バッチィ〜〜〜〜ン!!!ムク!

バッチィ〜〜〜〜ン!!!ムク!

バッチィ〜〜〜〜ン!!!ムク!

バッチィ〜〜〜〜ン!!!ムク!

バッチィ〜〜〜〜ン!!!ムク!

バッチィ〜〜〜〜ン!!!ムク!ムク!ムク!

 それはいったい何発目だったろうか。すでに米原のケツにも下田の手のひらモミジが鮮やかに色づき始めている。

 そして、米原のイチモツも、下田のイチモツも、それぞれのブリーフの中で、もう石のように硬くなってビンビンに怒張してテントを張っているのだった。米原のまだまだ半分皮被りのガキンチョ・チンポの先端と、下田のちょっと大人のズル向けチンポの先端が、米原のグンゼYGの綿生地、下田のBVDブリーフの綿生地とジャージのポリエステル生地を間に挟んで、触れ合った時だった!!


十一、米原の初恋顛末

「せ、先輩ぁ〜〜〜〜〜い!ボク!先輩のことがずぅ〜〜〜と好きだったんです!」

と言うと、下田の膝上に乗っていた米原が、いきなり、下田に抱きついてきたのだった。その勢いに思わず押し倒されてしまう下田。しかし、もう遠慮はいらなかった。出遭った時から、可愛いヤツと思っていた米原を、下田は、米原の下になりながらも、無言のまま、ギュッと抱きしめてやるのだった・・・。

 やがて二人は横向きとなり、米原は、憧れの先輩に抱擁され、その広く分厚い胸板に顔をうずめる・・・ツンと鼻をつく下田の汗臭さ・・・その汗臭さが、米原をさらに刺激する。

「先輩ぁ〜〜い!」

と、甘えるような声をあげたかと思うと、米原は、下田のジャージとブリーフを一気に引きずり下ろすのだった。

 その時だった、米原の指が、下田のケツを乱暴に擦るように刺激する。思わず、

「痛てぇ!!」

とうめき、ケツをひく下田。

 横になったまま後ろに回った米原は、紫を通り越して内出血で黒くなった下田の痛々しいケツを見る。

「ボ、ボクの失敗のために・・・先輩のお尻がこんなに・・・」

とつぶやく米原に、下田は、

「心配すんな・・・ケツ竹刀食らえば誰のケツだってそうなるんだ・・・俺なんかガキの頃から竹刀でケツ殴られ慣れてるから平気さ・・・」

と、なぐさめるように言う。そして、下田は、後ろに両手を回し、その指を米原のグンゼYGの腰ゴムにかけ、やさしく米原のグンゼYGを下ろすのだった。

 ブリーフの圧迫から解放された米原のイチモツは、さらに元気にデッカク硬くなり、弾けるようにヒクヒクとその鎌首を上下し、下田のケツ竹刀の痣も鮮やかなケツをピタピタと打ち始める。やがて、下田は、米原の男性自身にそっと手を添え、それを己のムッチリしたケツの谷間へと誘う・・・まるでその秘密を隠すかのように、二人の上に布団を掛け、

「米原・・・・頼む・・・」

と、低い押し殺したような声で言うのだった。

 それを聞いた米原は、

「あぁ・・・・」

と、なんとも言えないため息を漏らすと、両手は先輩の厚い胸板の上にある左右二つの乳首をまさぐりながら、己の石のように硬くなって下腹を打っているイチモツを、先輩の竹刀で打たれた痛々しい尻の谷間に押し付けるのであった・・・こうして、米原は、先輩の煎餅布団の中で、憧れの先輩と結ばれたのであった。

 もちろん、親会社リーマンの米原が「タチ」で、子会社リーマンの下田が「ウケ」であったことなど、書くだけ野暮というものであろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

 別れ際、米原は思い切って下田に、

「先輩・・・また来てもいいですか・・・」

と聞くのだった。

 一瞬、戸惑ったような、かといってうれしそうな顔になる下田。しかし、急に真剣な顔つきになると、下田は自分のなかに芽生え始めた恋心を摘みとるかのように言い放った。

「ダメだ!いまは仕事に集中しろ!米原!」

「は・・・はい・・・」

「お前は、俺と違ってエリートなんだ!もうこんなところへは来るな!今は、仕事を覚えることに集中しろ!一日でも早く『新聞屋』(ぶんや)として一人前になるんだ!いいな!」

「は・・・はい・・・」

 そして、急にまたやさしい声になったかと思うと、

「がんばれよ!」

と、米原の耳元で囁き、

チュ!!

と、米原の右頬にやさしくキスする。そして、下田は、米原を強引に後ろ向きにし、ドアを開け、米原のケツをポンと叩き、グッと米原の背中を外へと押すのだった。

「さあ、行け・・・」

との先輩に、米原は、

「は、はい、失礼します・・・ありがとうございました・・・」

と言うと、振り返ることなく下田の部屋を出るのだった。後ろを振り向いたら下田に嫌われるような気がしたからだった。

 米原は下田のアパートを出て、東武伊勢崎線・牛田駅へ、一気に走り出す。目には涙がいっぱい溢れていた・・・しかし、米原の右手には、なんと、あの黄色い染みで埋め尽くされた何週間も洗濯してない下田のBVDブリーフが一枚握られていたのだ!!

「盗んだんじゃないぞ!交換したんだ!先輩には言わなかったけど・・・でも、先輩は損してないからいいんだ・・・だってあのボクのタイツ、ママがパリで買ってきてくれた最高級のヤツだもんね!!それと交換したんだからいいんだ!グスン!!」

 果たして、駅についた米原は、ちょうどホームに滑り込んできた浅草行き準急電車に飛び乗る。

 米原忍の初恋とその切ない??別れだった。


十二、新たなるフェチシズムの始まり

 一方、ひとり自分の汚い部屋に取り残さた下田。研修のため出向してきた親会社の新人記者に恋心を抱いてしまった自分の気持ちを断ち切ろうと米原を追い出したものの、

「あーあ、また追っ払っちまったぜ・・・可愛いヤツだったけどなぁ・・・だから、いつまでたっても恋人ができねぇ〜んだよな・・・・」

とブツクサ言いながら、さびしそうに部屋のドアを締めると、

「あーあ・・・もう11月か・・・そろそろストーブださんといかんなぁ・・・」

と言って、まだ温もりと米原の幼いミルク臭が残る自分の煎餅布団の万年床の上に座り、スポーツ新聞を読もうとするのだった。

「い、痛てぇ・・・!!」

 ブリーフ一丁で胡坐をかき、ドシンと腰を下ろそうとしてケツを畳に打ちうけてしまう下田は、思わず叫んでケツを上げ、

「チェッ!まだケツが痛むよ・・・巌内のオヤッサン、全然、力衰えてねぇ〜よ・・・昨日のケツ竹刀も、手加減なしだったもんなぁ・・・少しは手加減してほしかったよ・・・米原のことかばってやったこと、巌内さんも知ってたくせに・・・」

 もちろん、そのボヤキは、親会社から「お預かりしている」米原は「無傷」で返さなければならないこと、自分が米原の前でオヤッサンからキツク叱られれば叱られるほど、米原にとってもキツイお仕置きになっていたということを、十分に承知した上でのものだった。

「あーあ、俺も早く出世してデスクになって、若い記者をビシビシしごきてぇ〜な・・・自分もデスクになったときは、ケツ竹刀で新人をビシビシしごくかな!」

 遂に「新人教育」に目覚めたのか・・・下田は有能な記者だった。もちろん、巌内も、将来のデスク候補の筆頭と下田を見込んで、あえて、ずぶの素人である、あのお坊ちゃま新人記者とコンビを組ませたのだった。研修中、巌内が、米原のことを一切叱らなかったのは、親会社に気をつかってのことではなく、下田の教育ぶりをジッと観察していたからなのだ。

 部屋の隅にその週に発売されたすべてのスポーツ新聞がうず高く積まれていた。手をのばして、その一部を読もうとしたとき、畳の上に「置き忘れ」られている米原が穿いていた白タイツを見つける下田だった。

「あ・・・アイツ忘れていきやがった・・・」

 それを手にとってみる下田。なにやら、抗し難い誘惑に駆られてしまう下田。なんと下田は、米原がさっきまで穿いていた白タイツに両脚を通してしまうのだった!!

「おお!このモッコリ度!なんか照れるぜ!こんなのはいて、高校までバレエやっていたなんて、米原のヤツ、結構根性あるじゃん!あぁ・・・でも、このフィット感、なんか癖になりそうだぜ・・・」

 そんなことをブツクサ言いながら、後輩・米原を胸に抱いた時のあのモコモコっとした感触とミルク臭を思い出しながら、タイツを穿いたまま胡坐をかいて股間をまさぐり始める下田。男・下田・34歳。まだまだ元気な野郎であった・・・。


十三、さよならなんて言わせない〜10年たったらまた会いましょう!ね!先輩!〜

 米原亮子バレエ教室の二階にあるレッスン場。深夜。電気は消され、窓から差し込む月明かりに照らされながら、白タイツ姿の米原忍は、テープから流れる音楽にあわせて、チャイコフスキーのくるみ割り人形「こんぺいとうの踊り」からグラン・パ・ド・ドゥを独り寂しく踊っていた。

 クララ王子になりきった米原は、母親のバレエ教室のレッスン場で、頬からとめどなく流れる涙を振り切るように、爪先立ちで、

クルクルゥッ、キュッ!

クルクルゥッ、キュッ!

と回転していた・・・。

 下田先輩のあの抱擁、そして、なにより、膝の上に抱かれるようにして受けたスパンキングの衝撃を忘れることはできなかった。そして、あの最高に締まりのよかった先輩ケツ○ンも・・・。

「よし!ボク、10年間は歯を食いしばって政経新聞でがんばるぞ!一生懸命修行して、下田先輩から一人前って認めてもらうんだ!そうしたら、下田先輩から竹刀でお尻たたいてもらうぞ!」

と、下田の「十年早い!」を真に受けている、まだまだ天然ボケの抜け切れない米原。

 薄い白タイツのケツからは、スパンク初心者の誇らしげなマーク!下田の右掌による「モミジ・マーク」が薄く紅く透けて浮き出ていた。

「あぁ〜〜やっぱ、もうダメ・・・か、かゆぅ〜〜〜〜〜〜い・・・・」

と、いきなりタイツのモッコリをかきむしり始める米原。その時の米原のタイツの下は、なんと、下田が昨日まで穿いていたあの黄色い染み付きBVDブリーフだったのだ!

おわり

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