すぐる大学編 番外編02 

「色柄を持たないパンツはく山崎すぐると、彼の担任の中村大悟」 

〜 すぐる・大学時代編 〜

番外編02 1989年、大悟の懇願

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〔 番外編01  1985年、米田助教授の〈 代数学2 〉 〕

 

1.夕方の電話

 1989年は日本という国にとって、大きな節目の年となった。1月7日に昭和天皇が崩御され、長きにわたった《 昭和 》が終わった。即日、小渕恵三官房長官による新しい元号《 平成 》の発表が行われた。それは幾度もテレビで放送され、あっという間に国民に周知された。

 中村家の母屋二階にある大悟の部屋に掲げられた真新しいカレンダーには、《 昭和六四年・一月 》と記されている。元号が改まり、平成元年となってまだ10日ほどである。この元号が人々の間に馴染むのには、もう少し時間が必要だった。

 1月18日水曜日の夕方。《 大学5年生 》の大悟は、ベッドに横たわってまどろんでいた。暖冬とはいえ、二十四節気の大寒を目前とした今の時期はやはり寒い。こういうときは、暖かな部屋でのんびり過ごすのが一番である。

 この部屋は、以前は次兄の圭悟と二人で使っていた。2つ年上の圭悟は、帝都理科大学・理学部物理学科をきちんと4年間で卒業し、今は高校の理科教師として教壇に立っている。もちろん勤務校は、母校でもある名門・県立一高である。主に担当している物理の授業では、時には男子生徒のケツをビシビシと叩きながら、まさに身を以て力学を教えている。圭悟の恩師でもある、数学科の川上先生も引き続き県立一高に勤務しており、理系クラスの男子たちの間では、『布団叩きの川上、平手もみじの中村』として親しまれているのであった。

 圭悟がひとり暮らしをするようになり、この広い部屋を大悟が専有するようになってから、すでに3年近く経とうとしている。大悟の大学5年生としての日々もあと2ヶ月ほど。はたして、大悟は無事に卒業して職に就くことができるのだろうか。はたまた、4月から《 大学6年生 》としての生活が始まるのだろうか…。

ドン!ドン!ドン!

 扉が打ち鳴らされる音に続いて、中村家のお手伝いさんであり、山崎すぐるの母でもある、山崎キミの声が聞こえてくる。

「大悟さん!理科大の高橋さんからお電話ですよ!」

 まどろんでいた大悟は目を覚ますと、

「はい!今から出ます!」

と応じて起き上がった。明々と燃えるストーブの火を、つまみをいっぱいに回して消すと、扉を開けて廊下へ出た。ジャージ姿では廊下は寒く、大悟は階段を駆け下りて、一階の電話の前へと向かった。

「おう、お待たせ!」

「あ、中村先輩。高橋です」

「秀夫が電話してくるなんて珍しいな。どうした?」

「米田先生が、中村先輩に話があるらしいんです。明日の午後、米田先生の部屋へ来るように伝えなさいって」

「お……そっか……」

 高橋秀夫は大悟より2歳年下で、数学科の3年生である。大悟と同じラグビー部所属で、学業面でも同じく米田研究室所属だった。
研究配属にあたって、米田先生が一番不人気になるのは致し方ないことなのかもしれない。あえて米田研を選ぶのは、よほど代数学を極めたいと思っている学生か、米田先生にリスペクトしている学生だけである。

 配属の決定方法は、まず学生の希望を取って行う。希望が集中してしまった研究室に関しては、何らかの形で絞り込みが行われる。それはじゃんけんであったり、あみだくじであったり、いずれにせよ、毎年涙を呑む学生が現れることになる。そして、彼らの行き先は、米田研をはじめとした不人気の研究室なのであった。

 大悟の場合、その研究配属を行う日、無断欠席をしてしまった。正確に言えば、掲示板をきちんと見ていなかったため、行くことができなかった。そして、気がつけば米田研に配属されてしまっていた。自分が悪いとは言え、決して望まない形での配属であった。
一方、高橋の場合は、自ら志願して米田研に配属された、稀有な学生のひとりであった。もちろん米田先生の厳しさを承知した上で、それでもどうしても代数学を深く追究したいために覚悟を固めたのだ。

 大悟は、高橋から電話と聞いて、先にラグビーのことを連想した。何かラグビーに関する楽しい話なのではないかと思って電話口に出たのだが、予想は裏切られる結果となった。はてさて、米田先生の用件とは何だろう。

「なんか、ちょっと怖い顔してましたよ。先生はいつも怖い顔してますけど」

「お、おお……それは不安だな……。でも、ま、行ってみるよ。ありがと」

「健闘を祈ります! 3月にみんなでラグビーしましょうね。追いコン、いろいろ企画してますから」

「楽しみだな。じゃ、また」

 電話を切ると、再び階段を上がって、自室へ戻る。大悟には嫌な予感があった。もしかしたら……。だが、その予感と正対する勇気はない。大悟は、ラジカセのPLAYボタンを押して大きめの音量で音楽を流すと、ベッドに横たわって、目を閉じた。


2.私の面目をつぶすでないぞ! 〜父の書斎で〜

 夕食を終えてしばらくした頃のこと。大悟は1階の廊下を奥へ奥へと進んでいた。一番奥には父である悟の書斎がある。夕食の際、後で部屋へ来るようにと言われていたのだった。書斎の前に到着すると、一息つき、ふすまの前に正座する。そして、

「大悟です」

と告げた。ほどなく、

「入りなさい」

との声がふすまの向こうから聞こえてくる。それを聞き届けた大悟は、正座したままふすまを開けると、

「失礼いたします!」

と言い、立ち上がって、部屋に入った。そして、今度はふすまの方を向いて正座し、ふすまを閉めた。悟の書斎となっている和室では、釜のなかに湯がたぎっていた。もちろん、釜の前には悟が正座している。すでに釜の右には水指(みずさし)が置かれ、悟の左側には建水(けんすい)が置かれている。

 大悟は、書斎の中ほどへと進むと、右手の親指と人差し指を広げて、畳の縁(へり)から十六目のところに正座した。大悟の右手の親指と人差し指をいっぱいに広げると、ちょうど十五目になる。したがって、縁に人差し指を付けたとき、親指が当たる目よりあと一目だけ縁から離れたところに座ればよいのである。

 大悟が座ると同時に、悟は平点前(ひらでまえ)を始めた。

 “帛紗捌き”(ふくささばき)をして、棗(なつめ)を清める。また帛紗捌きをして、茶杓(ちゃしゃく)を清める。いつもながら、流麗なお点前(てまえ)である。大悟も茶道の手ほどきを受けたが、基本所作のひとつである帛紗捌きすら、さまにならなかった。

 茶碗には柄杓(ひしゃく)で湯が注がれる。柄杓は“置き柄杓”で釜の上に置かれ、“茶筅(ちゃせん)通し”が行われる。茶筅の穂先を清めると、湯は建水へと捨てられ、今度は茶巾(ちゃきん)で茶碗が清められる。それが終われば、茶巾は釜の蓋の上に置かれ、代わりに茶杓が手に取られる。

「お菓子をどうぞ」

 父のこの声に礼で応じ、大悟は畳の縁の向こう側に置かれた干菓子を食べ始める。上品な味のこの干菓子は、小さな頃から大悟が好んでいたものであった。もちろん、父である悟はそのことをよく知っていて、きちんと準備しておいたのだ。

 大悟が菓子を食べているのと同時進行で、いよいよ茶が点てられていく。棗の中の茶がおよそ一杓半、茶碗の中へ入れられる。続いて、釜の湯が茶碗へ注がれ、“切り柄杓”で柄杓が釜の上に置かれる。切り柄杓を終えた手はそのまま茶筅を取りに行き、茶筅は茶碗の中を慌ただしく往来する。表面が十分に泡立つと、最後にゆっくり《 の 》の字を描き、茶筅を元の位置へ戻す。

「お点前ちょうだいいたします」

 “真のおじぎ”で挨拶した大悟は茶碗を手に取り、くるりくるりと回して正面を避けると、茶を服した。父の点ててくれる茶はいつ以来だろうか。懐かしい味だった。一口,二口,三口。そして、最後に吸いきり。大悟は、穏やかな気持ちになり、小さな幸せを感じるのだった。

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 市立一中の校長であり、中村家の主である悟の、息子を客に招いての茶会は、十数分で終わった。しばしの静寂の後、悟は話を切り出した。

「市立三中で、来年度のクラスが当初の予定より1つ増えそうだ。転入生の兼ね合いらしい。新しい団地が造られているからな」

「なるほど」

「それに伴って、数学の教員を1名増員しなければならないと、教育事務所の指導主事さんがおっしゃっていた。お前、まだ卒業後の行き先は決まってないんだろう?」

「はい……」

「うむ。それでだ。私から指導主事に話をつけておいた。4月から、常勤講師として、市立三中に勤務できるようになるだろう」

 常勤講師は、正規採用の教諭と同じようなフルタイム勤務である。担任を受け持ったり、部活動の顧問をする場合も多い。各種手当てもボーナスの支給もされる。

「あ、ありがとうございます!!」

「決まったとしても、一年の任期付だからな。採用試験の勉強は、しっかりするように」

「はい!がんばります!!」

「あと、今度こそきちんと卒業できるのだろうな? せっかく話をつけたのに、やっぱり駄目でしたなんてことになったら、私の面目は丸つぶれになる。そのことを忘れるでないぞ」

「はい!大丈夫です!!」

 夕食前の電話のことが気がかりな大悟だったが、きちんと卒論も提出したし、単位も足りているはずなのだから、さすがに卒業できないということはなかろうと、信じていた。いや、そう信じたかったという方が適切かもしれない。

 ちなみに、1年前に大悟の留年が決まったとき、当然ながらこの書斎で、大悟はその雄尻を紅く腫らしたのだった。とうに成人した男が、父親の膝の上で尻を丸出しにしなければならないというのは、それだけで十分に屈辱的なことであった。だが、もし再度留年などという事態になれば、言うまでもなく、その程度のことでは済まないだろう。大悟は、何が何でも卒業しなければならないのだ。


3.教官室での宣告

 日付は変わって、1月19日木曜日。中村大悟は、帝都理科大学のキャンパスに久々にやってきた。卒論は年内に提出し終えていたので、年が明けてから一度も大学へは行っていない。これが、新年初の登校となった。

 数学科棟の4階の廊下の一番奥に、米田先生の教官室がある。入り口には、一軒家の玄関によくあるような立派な表札が掲げられている。行き先表示を見ると、《 在室 》となっていて、部屋の中に居るようだ。

 扉の前に拳を持っていく大悟だが、その拳を扉に当てるまでにしばらく時間が必要だった。息を大きく吸い込み、吐き出し、吸い込み、吐き出し、心を落ち着かせると、ようやく扉をノックした。すぐに中から

「はい、どうぞ」

との声が聞こえ、大悟はノブに手をかけると、

「失礼します」

と言いながら扉を開けて、教官室へ入っていった。

「中村くん、待っていたよ。そこに座りたまえ」

 促されて、ソファに腰をかける。米田先生は、湯呑みに茶を注ぐと机の上に出した。そして、何やら資料を手にとって、向かい側のソファに腰掛けると、話を始めた。

「来年度の研究についてだが、これまでの内容をさらに深めて、このテーマに挑んでみてはどうだろうか」

 大悟は、何を言っているのかよく分からなかった。大学院入試は合格することができなかったし、学部は卒業なのだから、来年度の研究などといわれても意味が分からないのは当然である。

「え、えっと……来年度の研究というのは、どういう意味でしょうか?」

「どういう意味も何も、君は卒業できないのだから、来年度のことを考えなくてはいけないだろう。それとも、退学でもするつもりなのかね?」

 君は卒業できない。さらりとそう言われて、大悟はますます混乱と動揺の中にあった。しばらく間をおいた後、どういうことなのかを確認しなければと思い、訊ね始めた。何かの間違いなのかもしれない。そうあって欲しかった。

「単位は全部取れているはずですし、卒業論文もきちんと提出しました。卒業できないというのはどういうことなのですか?」

「卒業論文は、まあ、一定の水準には達していたと思う。君の頑張りが窺えた。しかし、単位がひとつ足りないのだ。数学輪講の単位が、残念ながら出せない。これは必修だから、卒業もできない。そういうことだ」

「え……どうして輪講の単位が出ないのですか? 発表もきちんとしましたし、レジュメもレポートも提出していたはずなのですが……」

「米田研の輪講は、出席率が8割以上でないと単位が出ないと、説明したはずだが、記憶しているかね?」

「は、はい! それでしたら、8割を超えていたと思うのですが」

「それは君の計算がおかしい。私の手元にある出欠記録では、君の出席率は7割9分2厘となり、8割に満たない」

 実は、ズボラな大悟は輪講の開講日程を何回分か誤って把握していた。欠席したというより、輪講が行われていることを知らずに行かなかったという回が何度かあったのだ。すると、出席率を計算する際の分母が違ってくる。3分の1と4分の1を比較してみれば分かるとおり、分母が大きくなると、値は小さくなる。

 大悟の出席回数は95回で、それは間違いない。そして、大悟が把握していた開講回数は118回であって、この場合の出席率は、95÷118だから、80.5%となる。だが、開講回数は正しくは120回であった。よって、出席率は、95÷120で算出され、79.2%となってしまうのだ。

 大悟の計算では8割を超えていた出席率だが、実はわずかに8割に満たなかったということなのである。

「きちんと記録をつけて計画的にしていたつもりなのだろうが、見通しが甘かったな。だいたい、8割以上ならば単位が出るからと言って、2割未満ならば欠席しても良いと解釈するのがけしからん話なのだ。もちろん、体調を崩したり、ご家庭の事情があったり、就職活動等の兼ね合いもあるだろう。そういうことを考慮して、8割以上の出席で良しとしているのだ。特段の事情もなく、怠け心で輪講を欠席するような学生も残念ながらたくさん居るが、君のようなギリギリの危険を冒す者は愚かと言うしかない。襟を正してもう1年頑張りたまえ」

 大悟はもはや何も言い返すことができなかった。だが、ここで留年となるのは困るのである。昨夜の父の話す声が脳裏に浮かぶ。せっかく4月からの働き口を用意してくれたのだ。それがこういう形で台無しになってしまっては、申し訳が立たない。父の面目をつぶすことにもなってしまう。

「な、なんとか打つ手はないのでしょうか……。お願いします……」

 懇願してみたが、米田先生は腕を組み、首を横に振るばかりであった。それでも、大悟としては引き下がるわけにはいかない。何度も食い下がるうちに、米田先生は嫌気がさしてきたようで、

「何度言ってもダメなものはダメだ。来年度こそ卒業を果たせるように精進しなさい。私はこの後、会議があるから。もう今日は帰りなさい」

と、毅然とした口調で告げた。さすがにこれ以上食い下がることはできず、生気を失った大悟はフラフラと立ち上がると、感情のこもらない棒読みで、

「失礼しました」

と告げて、米田先生の教官室を出て行くしかなかった。


4.兄貴の部屋で

 日曜日の夕方のこと。兄の圭悟がひとり暮らしをしているアパートに、大悟は来ていた。前日の土曜に、圭悟が実家へ戻って皆で夕食を食べたのだが、その際に弟の異変を察知した圭悟が、呼び出したのだった。

 圭悟の部屋はなかなか整理が行き届いていて、小綺麗だった。窓際には洗濯物が部屋干しされている。まるで洗剤のCM映像のように、ブリーフとランシャツとカッターシャツの白さが目映かった。

「オヤジが講師の口を決めてくれたそうじゃないか。良かったな!」

「……」

「どうしたんだよ。まさかちゃんと卒業できないなんてことはないんだろ?」

「……」

「なあ、黙ってたら分かんねーだろ。とにかく話してみろよ」

 大悟は漸く口を開き、ここに至るまでの経緯を説明し始めた。圭悟は大悟の話を最後まで黙って聞いていた。大悟の話が全て終わると、頭の中で事態を整理し終えた圭悟は、

「で、お前はどうするつもりなんだ?」

と問うた。

「もう、どうしたら良いか分かんないよ……」

 今にも泣きださんばかりの大悟である。体躯は大きくなっているが、その表情は10年以上前のものとほとんど変わりなかった。父性と言うべきか、あるいは“兄性”とでも言うべきか、圭悟はその辺りの感情を刺激されていた。そして、身を乗り出すと大悟の肩をグイと引き寄せ、横倒しに膝の上に乗せてしまった。

バッチーーン!!

 圭悟の平手が、大悟のブリーフラインの浮かぶ尻を打つ。しっかりしろと喝を入れるかの如く、ずしりと重たく響く一打だった。静寂の中で時間が過ぎていく。掛け時計の長針が18度ばかり回転した頃、大悟を膝の上に乗せたまま、圭悟が語り始めた。

「野球部の先輩で、やっぱり米田先生の単位が足りなくて卒業できなくなりそうになった人がいたんだよ。でも、その人は結局はきちんと卒業できたんだ。どうしたんだと思う?」

「……」

「聞くところによると、米田先生の自宅まで押しかけて頼み込んだらしい。もちろん、一筋縄ではいかなかったけど、結局、どうにか手を打ってもらったようだ」

 懇願ならば教官室でもしたのだ。しかし、取り付く島もなかった。自宅まで押しかけても同じ事だろう。それでも、実際に手を打ってもらうことに成功した先輩がいるのだ。大悟は、そこにひとかけらの希望を見いだした。もはやそこに賭けてみるしか無いではないか。

「お、俺、明日行ってみるよ……」

バッチーーーン!!

 再び圭悟の平手が大悟の雄尻を打つ。もちろん激励の一打であった。

「詳しくは分からんが、ほんとに一筋縄にはいかないらしいからな。頑張ってこいよ!」

 兄貴のその声を聴きつつ、大悟は少しずつ覚悟を固めつつあった。


5.雪の降る中で

 1月23日の月曜日。平日だが、大学は休講であった。大悟は電車に乗り、郊外にある米田先生の自宅へと向かっていた。先頭車の最前部に陣取りぼんやりと景色を眺めていると、しだいに田畑が目立つようになり、それとともに雪がちらちらと舞い始めた。駅で扉が開く度に、冷気が車内へと入り込んでくる。扇状地の扇頂あたりにある少し大きな駅まで来ると、すでに枕木やバラストがうっすらと雪で覆われていた。雪の舞う量も増え、運転士はワイパーを作動させた。

 8両編成のうち後ろの4両を切り離し、乗客もまばらになった電車は、川沿いを細々と行く。雪の粒は進むにつれて大きくなり、田畑はしっかり白く覆われ、木々には雪の花が咲いていた。その区間に入り、三駅目が米田先生の自宅の最寄り駅である。少し平地が開けたところにあり、かつては貨物や手荷物の取扱をしていた名残であろうか、側線も何本か用意されている。
ホームに降りると風が身に滲みた。列車が発ち、構内踏切が上がるのを待って、大悟は小さな駅舎へと歩いていく。改札口には初老の駅員が立ち、切符を回収していた。乗客たちが入鋏された硬券を手渡す度に、

「ありがとうございました」

と丁寧に声をかけていく。もちろん、大悟もその声に送られる形で改札を出た。

 駅前には鄙びた商店と、食堂があった。腹が減っては戦はできぬ。大悟は食堂の暖簾をくぐった。

「いらっしゃい! 今日は寒いねー」

 おやじさんの笑顔で迎えられ、きつねうどんを注文した。5分ほどで出されたうどんは、なかなかの美味だった。雪の舞う寒い日だが、出汁まで飲み干すと、体は十分に温まった。

「ごちそうさまでした!」

 会釈をして店を出ると、やはり外は寒い。駅前から米田先生の自宅までは徒歩で15分ほどかかる。大悟は傘をさして歩き始めたのだが、雪は服にたくさん付いてしまう。風がさほど強くないのは、救いだった。田畑と人家が混在する集落の中を、片側1車線の道路が貫いている。大悟はその道路を黙々と歩いていく。

 郵便ポストの立つ丁字路で左へ折れると、細い路地が続いていた。その路地を少し奥へ進んだところに、米田先生の自宅があった。瓦屋根の二階建ての家はなかなか大きかった。表札には、米田圭之介・良枝 と書かれていた。
教官室を訪ねたときと同じように、大悟はまず心を落ち着かせる必要があった。息を大きく吸い込み、吐き出し、吸い込み、吐き出し、ようやく扉の横にある呼び鈴を鳴らす。

「はーい」

 女性の声である。表札に名前のあった、米田先生の奥さんであろう。ほどなく扉が開く。米田先生と同年輩の、小柄で上品な婦人であった。

「どなたでしょうか」

「帝都理科大学の中村大悟というものですが、先生はご在宅でしょうか?」

「はい、おりますよ。今、お呼びしますね。お寒いですので、玄関でお待ちになってください」

 そう言って、奥さんは家の中へと入っていく。数分して、セーターを着込んだ米田先生が玄関まで出てきた。

「おや、中村くん。何の用事かね?」

「あ、あの、その……」

「冗長だな。早く要点を言いたまえ。簡潔明瞭にな」

 大悟は深々と頭を下げると、

「どうにか卒業させていただくことはできないでしょうか。お願いします!」

と懇願した。

 米田先生は、腕組みをしてしばらく何やら思案していた。そして、

「やはり、ダメなものはダメなのだ。3÷0は定義できないし、角の三等分は作図不可能だろう。いくらあがいたって、無理なものは無理なのだ。もう諦めたまえ」

と告げるのだった。

 それでも、大悟は引き下がるわけにはいかない。粘り強く懇願を続ける。

「お願いします! なんとか卒業させていただきたいのです。お願いします!」

10分近く経っただろうか、さすがに米田先生も苛つき始めていた。

「君ね、何度無理だと言ったら分かるのかね。もう帰りたまえ。雪の影響で電車も止まるかもしれない」

 そう言い終えると、米田先生は下駄を履いて玄関へ降りた。そして、大悟の背中を押して玄関の外へ出し、引き戸を閉じてしまった。

 大悟はもはやどうしたら良いのか分からず、しばし呆然と立ちつくしていた。

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 どれほどの時間が経っただろう。雪の積もった米田邸の庭に一人の男が正座している。その正体は、神聖ローマ皇帝のハインリヒ4世ではなく、もちろん中村大悟である。

 雪は依然として降り続いている。大悟の頭に、肩に、膝に、雪が積もっていく。それにも構わず、大悟は膝に手を置き、目を閉じて、じっと正座し続けているのだった。

 いっぽう、米田邸の中では、夫婦の会話がなされていた。

「あなた、さっきの学生さん、まだ正座しているわよ。もういい加減に、許して差し上げたら?」

「ダメなものはダメ、無理なものは無理なのだ」

「まったく、いつもそんなことばっかり言って。この時期の恒例行事みたいになってるじゃないですか」

「けしからん話だ。日頃からきちんと学業に励んでおれば、こんなことにはならないというのに」

「あなたは、そればっかり。そろそろ中へ入れて差し上げなさいよ。あんなに雪が降ってるじゃない。いくらなんでも、可哀想よ」

 良枝夫人の再三の促しで、米田先生は、漸く重たい腰を上げた。玄関先で下駄を履くと、引き戸をガラガラと開けて外へ出て行く。そして、正座し続けている大悟の前に立つと、

「とりあえず、中へ入りなさい」

と告げるのだった。


6.米田助教授の試練

 およそ3時間にわたって正座し続けた大悟の足は、もはや痺れに痺れていた。立ち上がりはしたものの、なかなか上手く歩くことができない。一刻も早く、暖かい室内へと入りたいのに、もどかしかった。

 家の中へ入ると、米田先生は、二階へと向かう階段を上がっていく。大悟もそれに続き、たどたどしい足取りで階段をゆっくりと上っていった。

「さあ、入りたまえ」

 そこは米田先生の書斎だった。整然と片付けられていて、部屋の真ん中には大きなソファが置かれている。座るように言われた大悟は、言われるままに腰を下ろした。米田先生はといえば、何やらクローゼットを開けてごそごそとやっている。しばらくして、木でできた何かを手に取ると、大悟の向かい側に腰を下ろした。

「これは、アメリカ土産のひとつでな。パドルというのだ。アメリカのパパや先生が、悪い息子や生徒のジーンズのケツをバシッと打ち据えて懲らしめるときの定番の道具なのだ」

 その説明を聞きながら、大悟はドキドキしていた。もちろん、二つの意味でのドキドキである。ひとつは、アメリカのスパンキング道具の実物をこうして目にすることができたことによるもの。もうひとつは、今からこのパドルで尻を打たれるであろうことによるものである。

 そんなことにはお構いなしに、米田先生は話を続ける。

「アメリカ留学中の知り合いが、日本の学生を懲らしめるのに使うと良いと言って、土産に持たせてくれたのだ。とはいえ、さすがに威力もあるものだし、講義室へは持っていったことはない。宝の持ち腐れとはこういうことを言うのだろうか」

 米田先生が講義室で学生の尻を打つときは、平手か竹のものさしである。この大きなパドルが講義室で使われたことはない。時折、“出番”があると持ち出される以外は、ずっとこの書斎で眠っているのだった。

「君は、今、何歳だったかね?」

「に、……23歳です」

「そうか。学業を怠ったことに対する懲罰として、今から君の尻をこのパドルで23発打つというのはどうだろう。もしそれをしっかりと耐え抜いたなら、卒業の件は何とかしてやろう。さあ、どうするのかね?」

 なんとしてでも卒業せざるを得ない大悟としては、これは受けるしかない。だが、あの大きなパドルで23発である。平手でペンペンや、竹のものさしで1発ビシッと打たれるのとは違うのだ。大悟は、中学生の時に吉田先生や池永先生に喰らったケツ竹刀の痛みを思い出していた。きっとあれよりも痛いだろう。目の前の試練に立ち向かうのか。それとも、退却するのか。

「お、お願いします!」

 それが大悟の答えだった。

「よし、分かった。手加減はしないし、とてつもなく痛いからな。覚悟して受けたまえ」

「はい」

「やめたくなったらいつでも言えばいい。さあ、あそこの机に手を付いて。尻を出しなさい」

 大悟は立ち上がり、指示通りに机に手をついた。ブリーフラインの浮かぶ大悟の雄尻が哀しげであった。今からこの尻が、紅く染め上げられるのだ。

 米田先生は大悟の後ろに立ち、一度パドルを尻に当てて、狙いを定める。いよいよ懲罰の執行が始まる。

「では開始するとしよう。一発ごとに、数を数えなさい」

 指示を出すと、米田先生はパドルを大きく振り上げて、高く構える。数秒の静寂の後、一気に振り下ろす。

バシッッッッ!!

「1」

 大悟の尻に強い痛みが走る。米田先生のパドル捌きは的確で、ちょうど大悟の尻のど真ん中を襲撃していた。その衝撃は、大悟が想像していたよりも重たいものだった。

バシッッッッ!!

「2」

バシッッッッ!!

「3」

バシッッッッ!!

「ウッ……4」

 次々にパドルが襲ってくる。まだ四発目だが、あの大きなパドルでフルスイングである。かなりきついものがある。それでも、大悟にはギブアップするという選択肢はないのだ。この試練に耐え抜くより他はない。

バシッ!! 「5」

バシッ!! 「6」

バシッ!! 「7」

バシッ!! 「8」

バシッ!! 「9」

バシッ!! 「じ、じゅう……」

 こんどは、早いペースで一気に六連打であった。スイング幅は小さくなり、一打あたりの衝撃は小さくなったとはいえ、連打されれば堪らない。もはや、大悟は未知の領域へと突入しようとしていた。

「ズボンを下ろしなさい」

 何と言うことだろう。ズボンの上からでも痛くてたまらないというのに、ズボンを下ろさなければならない憐れな大悟であった。まだ13発も残っている。はたして無事に最後まで耐え抜くことはできるのだろうか。

 大悟は、ベルトを緩めると、ズボンを膝のところまで下ろした。グンゼ社製の白いスタンダード型ブリーフが、その逞しい尻を覆っている。

バシッッッッ!!

「ウウッ……11」

 再びフルスイングでパドルが振り下ろされる。先ほどまでと違い、尻を護るのは、ブリーフの綿生地のみである。大悟は目をギュッとつぶり、なんとか衝撃を受け止めていた。

バシッッッッ!!

「ウウッ……12」

バシッッッッ!!

「ウウッ……じゅう……さん」

バシッッッッ!!

「ウウッ……じゅ……じゅうし」

 もはや数を言うのも厳しくなってきている。大悟の目は潤み始めていた。

「お客様がおみえですよー」

 階下から良枝夫人の声が響いた。米田先生はそれに応じて、

「しばらくそのままで待っていたまえ」

と告げると、部屋を出て行った。

 残された大悟は、思わず手を尻のところへ持っていくと、ブリーフの上からやさしくさすったり、軽く揉んだりした。オヤジの平手の比ではない。吉田先生や池永先生のケツ竹刀など、これに比べればまだ優しいものだ。大悟はそう思った。あと9発である。オヤジの折角の心遣いを無にしないためにも、とにかく耐えなければならない。

「さあ、懲罰の続きだ」

 客人への対応を終えた米田先生が戻ってきて、懲罰の執行が再開された。大悟は白ブリーフに覆われた尻を突き出して、緊張を高めていた。

バシッ!! 「15」

バシッ!! 「16」

バシッ!! 「17」

バシッ!! 「じゅうはち……」

バシッ!! 「ウ……じゅうく……」

バシッ!! 「ウ……に、にじゅう……」

 大悟の予想に反して、いきなり六連打であった。どうやら、フルスイング4発と連打6発という組合せになっているらしい。再び目は潤み、もう限界が近づきつつあった。だがあと3発で終わりなのだ。ここまで来たら、もう最後まで耐え抜くしかない。

「パンツをめくらせてもらうからな」

 米田先生はそう言って、大悟のブリーフの腰ゴムに手をかけると、尻だけが露わになる程度に引き下ろした。丸出しになった大悟の雄尻は、すでに燃えるように紅くなっていた。

バシッッッッ!!

「ウウッ……にじゅ……う……いち……」

 容赦なくフルスイングのパドルが襲いかかる。もはや尻を護るものは何もない。衝撃は微塵の損失もなく、尻に及ぶのだ。大悟はすでに涙を流していた。

バシッッッッ!!

「ウッ……クゥーー……にじゅうに……」

 漸くここまでたどり着いた。相変わらず涙を流しながら、大悟はここまでよく耐えたものだと自分自身をねぎらっていた。しかし、まだ懲罰が終わったわけではない。最後の瞬間まで、気を抜くことはできないのである。

 ここで米田先生が話を始める。

「中村大悟くん。君とは4年間の付き合いだったが、いったい何度、君の尻を打っただろう。きちんと記録を付けていないので正確なことは言えないが、尻を打たれた回数で、君は三本の指に入るだろうな。勤勉さが、君にはもう少し必要だろう。そして、いつも言っていることだが、《 自律 》できる人間になりなさい。いちいち他人様に尻を打たれなくても良いようにな。私は、君がますます成長して、自律した立派な大人として会いに来てくれる日を待っている。その時には、代数学や数学教育の話を肴に、うまい酒を呑むことにしよう」

バシッッッッッッッ!!

「ウウッ……クゥーー……にじゅうさん……」

 語り終えるや否や、最後の一打が大悟の丸出しの尻をめがけて振り下ろされた。米田先生の渾身のフルスイングであった。大悟は目から火花を散らしそうになりつつ、実際には涙を流しながら、なんとかそれを己が尻で受け止めることができた。

「良し。しばらく腕を頭の後ろで組んで、そのまま立って反省していなさい」

 これをコーナータイムと呼ぶのだということを、大悟は後になって知った。パドルでの尻叩きや、コーナータイムなど、米国の悪い子への懲罰の知識を得た際の大悟は、まずこの雪の日のことを思い出し、すぐに尻がうずき始めたのは言うまでもない。

 およそ2ヶ月が過ぎて3月の下旬、理科大のキャンパスでは、卒業式が執り行われていた。もちろん、大悟も学位記を手にすることができた。わずかに平成にまたがった大悟の5年間にわたる大学生活は、最後に大波乱を経て幕を閉じたのだった。


【 後書き 】

 大悟の卒業の話ということで、なんとか三月中に公開できるようにと書き進めてきました。

 ちょうど大学の卒業式が行われるこの時期に、無事に公開に漕ぎつけることができてよかったです。

 平成元年の1月の話と言うことで、その辺りの出来事など色々と調べました。どうやらこの冬は暖冬だったようで、あまり雪が降らなかったみたいです。後述する事情から、どうしても、雪の日の話にしたかったので、少し困りました(汗)

 第2章では、父が書斎で茶を点ててくれるというシーンを入れました。茶道部出身者として、頑張ってみたのですが、お点前を文章で表現するのは難しいですね。このシーンでは、末っ子の大悟にはなんだかんだいって甘い、そんな父の姿を描写することを目指しました。如何でしたでしょうか。

 第4章では、兄である圭悟の“兄性”を描いてみました。なんだかんだいって、仲良しの兄弟ですよね。圭悟はズボラな大悟とは違ってマメな性格のようなので、部屋もよく片付いていて、洗濯もきっちりしているような設定にしてみました。

 雪の降る中で正座するというのは、“カノッサの屈辱”という出来事から着想を得ました。ハインリヒ4世は、カノッサ城まで出向いて、なんと3日間にわたって雪の中で許しを請い続けたらしいです。すごいですね。さすがに大悟を3日間正座させるのは止めて(笑)、3時間にしました。

 また、米田圭之介というキャラクターが生まれるにあたっては、宮本輝の小説『青が散る』に出てくる、辰巳圭之助という老教授のイメージが大いに影響を与えました。辰巳先生は以前から僕が好んでいた登場人物です。

 『青が散る』の中に、以下のような一節があります。

“燎平はこれまで二回無断で授業を休み、断固自分の講義は受けさせぬと言う辰巳圭之助教授の部屋に許しを乞いに行ったことがあった。そのとき、

「よう陽に灼けてるが、何かスポーツをやってるのか」

と辰巳教授は燎平にサイフォンで珈琲をたててくれながら言った。

「テニス部です」

と燎平が身を小さくさせて答えると、辰巳教授は、

「テニスもええが、学問も大事や。文武両道であってこそ青春や」

そう言って、鋭い目で睨みつけた。

「もう二度と、私の講義を無断で休んだりせんと誓うか。誓えるならこの珈琲を飲みなさい。誓えんなら、このまま私の部屋から出て行きなさい。どっちも君の自由や。若者は自由でなくてはいけないが、もうひとつ、潔癖でなくてはいけない。自由と潔癖こそ、青春の特権ではないか。こそこそと授業をずる休みして、うまく単位だけ取ってやろうなんてやつは、社会に出ても大物にはなれん」”

(文春文庫版pp.133〜134)

また、

“燎平は平沢が辰巳教授の自宅にまで押しかけて、玄関口に土下座して頼み込んだという話を、同じクラスの女子学生から聞いたのだった。”(文春文庫版p.162)

という一節も出てきます。これらが、本作の執筆の原点となりました。(註:平沢くんは、試験で48点しか取れなかったのに、必死で頼み込んで合格にしてもらった学生です)

 読んでくださって、ありがとうございます。

 

本編 第1章〜第4章を読む 

本編 第5章〜第7章を読む 

〔 番外編01  1985年、米田助教授の〈 代数学2 〉 〕

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