S大南寮 目蒲君スペシャル スピンオフ 津島先生回顧録

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わが母校 明和学園 入学の頃  

 

第01章 新スクールパンツ制定

「やったーー!!やったーー!!合格だ!!かあさん、見てよ!!オレの受験番号があそこにあるよ!!」

 1958年(昭和33年)2月初旬。

 明和学園・中学校舎前の掲示板に貼られた「昭和33年度 入学試験 合格者」と書かれた模造紙の前で、飛び上がってよろこぶ半ズボンの津島裕二君。

 津島君は、東京都杉並区立荻窪第七小学校の6年生。その年の3月に卒業見込みだ。父親の薦めで、明和学園という私立の中高6年一貫制の男子進学校を受験し、見事合格したのだ。その春からは、区立の中学校ではなく、私立の中学校に通うことになる。

 明和学園は、国鉄・東中野(ひがしなかの)駅から徒歩10分ほどのところにある中高6年一貫制の私立男子校である。明和学園の前身は、1906年(明治39年)に設立された旧制・明和中学校であり、校風としては、質実剛健、男気溢れる熱い生徒が多い。また、進学校としては、当時の首都圏において、中堅クラスと評価されていた。

 入学にさきがけて、3月上旬に、父兄に対して、制服等の学用品の説明会があった。柳田晃(やなぎだ あきら)教頭(50歳)が、新入学予定者の母親、約250名を前にして、学校講堂の舞台に立ちマイクを持って説明にあたる。

 説明会中盤、柳田晃教頭の話が、登下校時・在校時の生徒の服装へと進み、生徒が身に着けるべき下着の話へと進んだとき、会場の母親たちから笑い声の混じったざわめきがおきる。

 白のランニングシャツと白のパンツのみをはいた在校生と思われる男子が、舞台の袖から出てきたのだった。

 その男子生徒は、小麦色に日焼けして、髪は短く刈りこんだスポーツ刈り、そして、くっきりとした目鼻立ちで、いかにも育ちのよさそうな風貌であった。そして、舞台の中央に立っている教頭先生の横に立つと、会場の方に向かって、「こんちは!!」と元気な声で挨拶して、ペコリと頭を下げるのだった。

 会場にいた母親たちは、かわいらしい中にもたくましさが感じられるその男子生徒の姿に、自分の息子たちの4月からの姿を重ね合わせ、隣同士たまたま座った母親とお互いに顔を見合わせ微笑みあうのだった。 

 教頭先生の説明が始まる。

「えー、先般より学校案内、入学案内にてご案内の通り、わが校に通学されますご子息の皆様には、制服だけでなく、下着も、当校指定の下着をはいていただくことになります。上は、白のランニングシャツ、下は、白の、えーと、いやあ、最近のフアッツション用語というのは、実に難しいですな・・・・ワハハハ・・・・」

 そういうと、教頭先生は、かけていたメガネをはずし、時々目を落としてみていた原稿と思われる紙を左手で持って顔に近づけて確認する。

「えーと、いや失礼・・・白のスタンダード・ブリーフパンツ、そして、靴下は、白のハイソックスです。」

 そして、「ここはわが校の売りですよ!!よく聞いてくださいよ!」と言わんばかりに、教頭先生は、声に力を入れて、

「特に、白のスタンダード・ブリーフパンツはですな、わが校において、都内にあります他の男子校にさきがけまして、一昨年度の中1・高1生から、試行的に指定パンツとして導入しまして、ご父兄、わが校の教師陣、そして、在校生のみなさんから、清潔な下着であるとたいへん好評でありました。そのため、戦前よりのわが校の伝統でありました、白または薄茶色(ベージュ色)の猿股パンツ(※)指定を本年度より廃止し、全生徒、白のスタンダード・ブリーフパンツを穿くことに統一したわけであります。」

と誇らしげに説明するのだった。下着の指定に驚いたのか、母親たちの中から再びざわめきが起きる。(※)猿股パンツ・・・形状は、陸上用のランニングパンツ(前とじ)と同じ。

「いや、宮田君ありがとう・・・私の隣に下着のみというやや恥ずかしい格好で立ってくれている生徒は・・・いや、男の子ですから、このくらいはずかしくないでしょう・・・4月からご子息の先輩となる、現在わが校の中学1年A組におります宮田博一(みやたひろかず)君です。宮田君の穿いている、この白い下着が、 スタンダード・ブリーフパンツというものであります。男子には必要となりますですな・・・えー、ご婦人方の前で言うのはややはばかられますが・・・前開き穴というものがありまして、用を足すときに大変便利なのであります。これは、従前の指定パンツにはなかったものであります。」

 会場からは、「私たちは男の子を育ててきた母親ですよ・・・そのくらい知っているわ!」という雰囲気が流れる。

 教頭先生は、その宮田君を舞台に立たせたまま、宮田君のパンツの前面を指さして、

「あとで、もう一度、詳しくご説明申しあげますが、パンツの前面、ここにクラス名を記入し、ここに苗字を記入するのが、わが校の規則となっております。これはお母さま方が記入してしまうのではなく、ご子息の自立心を育てるため、ご子息様自身が記入するよう、ご家庭でご指導いただければと思います。そうですね。見やすくて、洗濯しても落ちにくい、油性の太い黒マジックで記入していただくのが理想だと思います。」

と説明する。

「宮田君どうもありがとう・・・」

 教頭は、白のランニングシャツと白のブリーフパンツ、そして、白のスクール・ハイソックスと、少しだけ汚れた白の上履きのみで立っていた宮田君に、舞台の袖に引っ込むよう指示するのだった。

 宮田君は、まだ声変わりをしていないような甲高い声で、

「失礼します!」

と挨拶すると、会場の方にペコリと一礼し、両腕を小さく前習えの形に曲げると、ゆっくりと駆け足で舞台の袖へと戻っていくのだった。

 会場の母親たちは、

「まあ、躾の行き届いた男の子ですこと・・・うちの息子も、来年くらいには、あんな立派になるのかしら・・・」

と思うのだった。

 会場の母親から手が挙がる。

「はい、そこのお母さま、何か?」

「あの・・・そのパンツなんですけど、市販の下着ではだめなんでしょうか?」

 教頭は、予想される想定問答集を読み上げるかのように、よどみなく、その質問に答えるのだった。

「わが校では、戦前より、伝統的に、制服だけでなく、生徒の下着を指定制にしておりますが、それは、みな同じ下着をつけて勉学やスポーツに励み、愛校精神と連帯感を育むことを目指しているのであります。もちろん、同型の下着が、市販されておることは、十分に承知しておりますが、先にも述べました教育効果をより有効なものとするために、前面に校章が入りました下着をわが校指定の業者よりご購入いただいて、ご子息様には、ご着用いただければと思います。また共同購入となりますので、昨年度の実績では、市価の約5割3分の価格で、ご父兄の皆様にはご購入いただいておりますので、是非とも、この点、ご理解とご協力を賜ります様お願申しあげます。特にですね、これから思春期と言う成長期に入っていかれますご子息様においては、まさに使い捨てではないのかと思われるくらいに、下着の買い替えが必要になるかと存じますので、校章入りパンツの共同購入は、その点でも、たいへんお得ではないかと思われるのであります。」

 教頭の冗長な回答に、納得したのか、スクールパンツに関するそれ以上の質問は、母親たちからはなかったのである。

 

第02章 中1応援指導

 中高6年一貫制学校の生活は、中学1年生にとって、カルチャーショックの連続だ。部活、様々な学校行事を通して、伝統という名のもと、自分たちが縁あって入学した学校独自の先輩・後輩関係や、行動様式などを学んでいく。

 明和学園において、その第一歩になるのが、ゴールデンウイーク明けの5月中旬の週末に行われる「明和学園・中高合同・大運動会」であろう。運動会・体育祭は、特に男子校においては、その学校独自の文化が色濃く反映する行事であると言われる。

 明和学園においては、当時、入学したての中学1年生に対して、運動会の応援合戦の手拍子や挨拶の仕方などを、体育の授業の一環として教えていた。

 身体測定や体力検査が一段落した4月の中旬。月曜日の午後、5・6時間目。中学校舎と高校校舎、各部活の部屋などが入る南校舎、そして、体育館校舎に囲まれた校庭で、津島裕二君が所属する1年B組の体育の授業が始まっていた。 

 1年B組の担任で、体育と保健の担当でもある吉川進(よしかわ すすむ)先生(27歳)のホイッスルの合図にあわせて、1年B組の生徒49名が、準備運動に取り組む。体育の授業に臨む生徒たちの格好は、下から、体育用(校庭用)の白い運動靴、白のスクールハイソックス、白短パン(体育用)、白体操着(半袖)で、白短パンの下は、白のスクールブリーフで、それがラインになってクッキリと透けてみえる、上の白体操着の下は、何もつけずに裸だった。

 

 吉川進先生は、赤い半袖のサッカーシャツとサッカーパンツを穿いている。シャツとパンツからヌッとでたよく日焼けした太い両腕と両腿が、吉川先生が、よく鍛えられたスポーツマンであることを物語っていた。 

 吉川先生自身も、明和学園出身。といっても、吉川先生が入学したのは、昭和18年4月で、明和学園が、旧制・明和中学校であった時代だ。そして、第二次世界大戦後の「学制改革」で、旧制明和中学校は、新制の明和中学校・高等学校(明和学園)となり、吉川先生は、昭和23年4月、(新制)明和高校を卒業したのである。そして、関東体育科学大学・体育学科進学し、卒業後、母校に恩返しをすべく、母校に戻って、母校の教師として奉職したOB先生の1人でもあった。

 中高6年一貫制の男子校では、吉川先生のようなOB先生は、決して珍しくはない。いやそれどころか、当時の明和学園・中・高等部においては、全教職員の約半数がOB先生で、さらに、同校・事務職員と同校・教職員労働組合専従職員の中にも、OB職員が多く、OB会(同窓会)組織とともに、明和学園ファミリー、略して「明和ファミリー」を形成していたのである。

 

 準備運動が終わると、「集合!」と笛をふき、校庭の真ん中に、1Bの生徒を集める吉川先生。

 津島君は、1Bの中でも身長が一番低かった。しかし、すばしこいため、いつも吉川先生の真ん前、足元のところに駆け寄ってきて、いわゆる「体育座り」をする。まだブカブカの白短パンの左右の足穴から、津島君のスクールパンツである白ブリーフがよく見えるのだった。

 津島君は、すでにサッカー部に所属していたが、吉川先生は、そのサッカー部の顧問であったこともあり、クラスでは一番早く、名前と顔を憶えてもらったのだ。もちろん、中2にもなれば、津島君は、悪友たちに、「オレが1Bの中で一番早く、アイツから目をつけられたよな!」といつも自慢げに話すようになるのである。

 津島君たち1Bの面子が、全員、自分の前に揃ったことを確認すると、吉川先生は、

「おい!!川上!!来てくれ!!」

と、津島君たちの後ろの方に、声をかける。

「かわかみ?うちのクラスにそんなヤツいたかな・・・」

 そう思いながら、首だけ後ろにむける津島君。

「おっ・・・怖そうな人がくる・・・」

 津島君が「怖そうな人」というだけあって、吉川先生によばれた川上君は、津島君たちと同じ、短パンと体操着を着ていたものの、髪はビシッと角刈りに決め、二コリとすることもなく、吉川先生の方へ近づいてくるのだった。

 身長は、吉川先生と同じ170cmくらいか、当時としては、背の高い方の男子高校生であったろう。それでも、短パンから透けて見える白ブリーフのフロント部分には、「6D 川上」の文字が油性極太黒マジックで、はっきりと書かれていることがわかり、明和学園6年D組(高校3年D組(※))の生徒であることがわかるのだった。

(※)中高6年一貫制の学校では、中1〜高3まで、通算で学年を数える場合があります。

「よし、川上、自己紹介、すっか?」

と、吉川先生は、隣に立った川上君を促すように言う。

 川上君は、「は、はい・・・ありがとうございます・・・」と、吉川先生に小声で言うと、脇にずれた吉川先生にかわり、津島君たちの前に仁王立ちになる。

 川上君は、両足を少し広げると、両腕を背中に組んで、上体をグゥ〜〜ンと後ろへ反るようにして、

「ウォ〜〜ス!!明和学園、第48代応援団長、6年D組、川上謙太です!!よろしくゥ!!」

と挨拶するのだった。そして、今度は、両腕はそのまま組んで、いまさっき反り返った上体を、今度は、反動つけて戻し、前傾姿勢となり頭を下げ、一礼したかと思うと、すぐに頭を上げて、もとの体勢に戻り、

「シタ!!」

と挨拶する。

「ひぇ〜〜〜、すげーかっちょいい・・・応援団か・・・そういえば、サッカー部の山本さん(※)が言ってたよな・・・そろそろ体育で援団の練習が始まるから、声を枯らさないようにしろって・・・援団の練習ってこのことだったのか・・・」

と思いながら、津島君は、高校3年生の川上応援団長の威勢のいい挨拶に、感動し、心酔してしまうのだった。

(※)明和学園では、伝統的に、すべての部活で、先輩のことを、「〇〇先輩」とは呼ばず、「〇〇さん」と呼ぶように指導されていました。

 川上応援団長は、ちょっとやさしい声になって、

「これから、おまえらに、5月の大運動会で応援するときの、挨拶に仕方を教えてやっから、よく聞いておぼえとけよ!」

と言うのだった。

 川上応援団長のデカい声に圧倒されたのか、1Bのクラスは静まり返っている。

「おまえら、挨拶がねーぞ!!」

と、ちょっと厳しい声で、川上応援団長が、津島君たちをにらみつける。川上君の隣に立っている吉川先生は、何も言わず、ニヤニヤしながら、クラスの様子を眺めているだけだった。

 自分たちが挨拶しなかったことにやっと気がついたのか、クラスのあちこちから、「オッス!!」とか「ウォッス!!」とか「ウッス!」とか、かわいい甲高い声がバラバラに響いてくるのだった。もちろん、津島君も、川上応援団長の顔を見上げながら、「オッス!」と挨拶したのだった。

「チェッ!おまえら、元気ねーぞ!!」

と、川上君が1Bのクラスに向って言う。その時、上をむいた津島君と、川上君の目がピタリとあう。川上君は、ちょっと睨みつけるようにして、津島君を上から目線で見下ろす。しかし、津島君は、下を向いてしまうことなく、川上君に負けじと、じっと川上君のことを見返している。

 川上君は、そんな津島君を無視するかのように、視線を逸らすと、

「先生、こいつら、脱がしちゃっていいですか?」

と聞いてくるのだった。

 吉川先生は、ニヤッと笑いながら、

「おお、いいぞ!!まあ、声だしの方は、初っ端だからな、泣かせないようにお手柔らかに頼むわ・・・」

と言うのだった。

 吉川先生と川上君のやりとりに、すでに不安で泣きそうな顔をしている1Bの生徒もいた。津島君も、これから何が始まるのか、何をやらされるのか、ドキドキして、心臓がはちきれそうだった。 

 吉川先生の許可に、川上君は、さっき同様の、腹のそこから出すよく通る声で、

「シタ!!」

と、吉川先生に向って挨拶すると、その場で、いままで着ていた白の体操服と、白短パンを脱ぎ捨て、体育(校庭)用運動靴と、ハイソックス以外は、パンツ一丁になって、津島君たち1Bのクラスの前に立つのだった。

 川上君のスクールパンツのフロントには、校則で規定された通り、「6D 川上」と黒マジックで鮮やかに書かれていることが、はっきりと再確認できる。

 川上君のその行動とパンツ一丁の姿をみて、1Bからは大爆笑が起きる。しかし、川上君は、動じる風もなく、また、カッと怒るでもなく、

「おまえら、笑ってねーで、オレと同じ格好になれ!!」

と、1B全体に命令するのだった。

 川上君の迫力と、いきなりパンツ一丁を命じられ、もじもじとどうしていいのか、わからないでいる1Bの面子。担任で体育担当の吉川先生は、誰が一番先に脱ぎ始めるか、何も言わずに、興味深く、彼らを観察していた。

「どうした?おまえら、早く脱げ!!パンツ一丁が恥ずかしいのか?それでも男か?」

と、川上君が1B全体に畳かけてくる。

 先輩のその言葉に応答して、一番前で体育座りしていた津島君が、立ち上がると、

「オッス!」

と挨拶して、体操服と短パンを脱ぎ捨てるのだった。そして、津島君は、座ることもなく、自分のブリーフのフロントにクッキリと書かれた「1B 津島」の文字を、高3で応援団長の川上君に見せつけるかのように、両腕を組んで、仁王立ちになるのだった。

 津島君のその行動をみて、思わず、吹き出しそうになる吉川先生。

「おっ!あのチビスケ・・・調子に乗ってきたな・・・」

と思うのだった。

 クラスで一番小さい津島君の思い切ったこの体操服・短パン脱ぎ捨てが、呼び水となり、クラスのあちこちから、

「オッス!」

「ウッス!」

の声が聞こえてきて、1B49名の生徒が、次々、パンツ一丁になっていく。そのうち、脱がない方が恥ずかしいといった空気が、クラス全体を覆うようになる。これがまさに男子校のノリであろう。ほどなく、1Bのクラス全員が、川上君が示したお手本通り、パンツ一丁になってしまうのだった。

 それを確認すると、川上君が、

「よし!全員その場に座れ!」

と指示を出す。

「オッス!」「オッス!」「オッス!」

 さっきよりも、多くの生徒が、大きい声で、川上君の指示に、応援団式の挨拶で答える。

「よし!!いいぞ!!それでは、これから、オレに1人、1人、自己紹介してくれ。いいか一回でおぼえろよ・・・『オッス!クラス、名前、シタ!』だ、わかったな!!」

「オッス!」「オッス!」「オッス!」

「オッス!」「オッス!」「オッス!」

「よし!!返事もよくなってきたぞ!!じゃあ、誰から自己紹介してくれるんだ!?」

「はい!!あっ・・・・オ、オッス!!」

と、待ってましたばかりに、川上君の足元で体育座りしていた津島君が立ち上がる。

 クラスから軽い笑い声とともに、「えっ、またあのチビが最初?」との声があがる。

 津島君は、その声が聞こえてきた方を向いて、キッと睨みつけるのだった。

「おー、おー、あのチビスケ、もうクラスを仕切ってやがるな・・・こりゃ、まだ体はちっちゃいが、大物になるわ・・・」

と、吉川先生は、微笑ましく、津島君の様子を観察しているのだった。 

「よし!自己紹介してくれ!!」

と川上君が、やさしい兄貴のように、津島君を促す。

 津島君は、全身に力を入れているのか、もう顔を真っ赤にして、さっき川上君がやったマネをするように、

「オッス!1年B組 津島裕二です!!シタ!!」

と自己紹介するのだった。

 津島君の渾身の挨拶は、中1が初めてする応援団式自己紹介にしては、上出来であった。

 しかし、応援団長たる川上君は、

「ダメだ・・・罰走だ!グランド一周して、気合入れてこい!!」

と、厳しかった。

 不満そうに、川上君を睨みつける津島君。その眼光の鋭さに、川上君は一瞬たじろぎ、「な、なんだ・・・こいつ・・・」と思い、一瞬、ムッとした表情をする。あわてて、吉川先生が、川上君に助け舟を出す。

「コラ!!津島!!先輩がおまえに校庭一周走って来いっていってるぞ!!早くいってこい!!」

と、津島君に命令する。

 吉川先生は、なかなか走ろうとしない津島君の尻をたたくかのように、少し、厳しめに、

「オラァ!掛け声はどうした?ランニングの時は、イチ、ニ、イチ、ニだろ!!」

と言うのだった。

 津島君は、観念したのか、

「オッス!」

と返事をすると、悔しそうに唇をかみしめ、いまにも悔し涙が流れ落ちそうな目をして、

「1!2!1!2!」

の掛け声よろしく、グランド一周の罰走を始める。

「ちくしょう・・・あんなにでっかい声だしたのに、なんでダメなんだよ・・・」

と、走りながらも、悔しくて仕方がない。そして、次に自己紹介するヤツのことが気になって仕方なくなる。

「次のヤツの自己紹介が、あの先輩に認められたら、オレ・・・どうしよう・・・」

と思うと、もう悔しくて、涙がこぼれてきてしまうのだった。

 しかし、津島君のその心配は杞憂に終わる。津島君の次に自己紹介したヤツも、次の次に自己紹介したヤツも、そして、そのまた次に自己紹介したやつも、川上君にダメだしされ、結局、1B49名全員が、罰走となり、「1!2!1!2!」の掛け声よろしく校庭を一周することになったのであった。

 津島君は、自己紹介のやり直しを希望したかったが、その時間はなく、初回の応援練習が終わった。

 それから、ゴールデンウイークを挟んで、高3の応援団員が、入れ替わり立ち替わり、中1の体育授業に訪れて、声だし、手拍子、応援歌指導にあたったのである。

 進学校である明和学園は、高校3年生になると、選択科目が増えるため、選択科目がない空き時間を部員同士で調整して、中1各クラスの体育の授業に、応援指導をしていたのである。もちろん、そのクラスを担当する体育教諭の許可もとっている。吉川先生は、許可する条件として、応援指導をする応援団員に、学ランの着用を禁じた。だから、短パンと体操着という通常の体育時の服装で、高校3年生は、中1生の応援指導にあたったのである。また、過度のシゴキに該当するような、声だしのやり直しも禁じたことは述べるまでもない。

 応援練習が進むと同時に、多少の声だしのやり直しや、毎回罰走させられるヤツ、毎回一回でクリアするヤツがいるなど、後輩の元気度に応じ差はつけられたが、最後の練習には、中1クラスの全員が、応援団員の先輩から、「元気でよろしい!自己紹介合格!!」の花丸印をもらったのである。

 そして、ゴールデンウイーク後、5月中旬に開催された「第48回 明和学園・中高合同・大運動会」に参加し、津島君たち中1生は、また少し明中学園カラーに染まっていったのである。

 

第03章 吉川先生のムチ

 運動会直前の金曜日の午後。1A担任で、国語担当、中1の学年主任でもある町田紘一(まちだ こういち)先生(51歳)が、吉川先生に話しかける。

「今年の1Bは、なかなか賑やかですな・・・」

「す、すいません・・・私の指導不足で・・・今日の4時間目の数学がどうも大騒ぎだったらしくて、非常勤講師の榛原(はいばら)先生(数学幾何分野担当)からも、今年はうるさすぎると、ご注意がありまして・・・」

「まあ、男の子のことだから、元気なのはいいことですな・・・しかし、そろそろ要所、要所で締めていくのもいいかもしれませんな・・・」

イエローカード解禁ということで、よろしいでしょうか?」

 吉川先生がニヤリと笑って、大先輩の町田先生に確認をとる。

「ええ、運動会後に解禁ということでいいでしょう。私も、もうひと踏ん張り、ビシビシとがんばりますから、あなたのような若い先生には、我々の先陣を切って、ビシビシがんばってもらいませんとな!」

「は、はい・・・ご期待に添えるよう生徒指導に精進して参ります!!」

 そういうと、町田先生に、深くお辞儀をする吉川先生。

 深くお辞儀をした自分の後ろを、町田先生が通り過ぎるのを、ジャージの尻越しに感じる吉川先生。思わず、ゾクッとするのだった。

「ふぅ・・・オレも中学生の時は、町田先生からビシビシやられたよな・・・痛かったなぁ・・・」

と、懐かしそうにつぶやくのだった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 大運動会前、金曜日最後の1Bの授業は、保健体育だった。明後日の運動会が楽しみで、津島君をはじめとする1Bの生徒たちは、そわそわして、どうにも授業に集中できないでいた。

 体育と同じく、保健担当で担任の吉川先生が、授業の最後に、

「今日はここまでとするが、20ページ下にある研究課題1を、来週の金曜日までにレポート用紙3枚にまとめて提出すること!!いいな!!」

といって、1Bに宿題レポートを出す。

 しかし、1Bの生徒たちの私語は、一向に収まらず、ガヤガヤと騒がしいばかり。吉川先生が、少し声を荒げ、

「おい!先生の話を聞いているのか?いま、お前たちに来週までの宿題レポートを出したぞ!!」

「はーい!!」「はい!!聞いてまーす!!」

と依然さわがしい教室からポツポツと返事が返ってくる。

 一番前に座っていた津島君に至っては、もう応援団員気取りで、

「オッス!!」

と返事をする。それには教室も大爆笑だった。

 吉川先生は、

「コラ!!津島!!調子に乗るな!!」

と、少し厳しめに注意する。

 しかし、教室はガヤガヤ、ザワザワと私語が止まない。

 一方、吉川先生は、運動会前で興奮していて騒がしいクラスに、激怒して切れる風もなく、ここぞとばかりに話を切り出すのだった。

「いいか、関心のあるものだけ聞け!!」

 吉川先生の声色が少しだけまじめになったのを1Bのクラスは敏感に察知し、少しだけ静かになる。いまさっきまで、はしゃいでいた津島君も、教室の雰囲気に気がついたのか、黙って、先生の方をみる。

「先生が今日出した宿題は、来週の金曜日に提出だ!宿題レポートを忘れた者のケツには、先生特製のムチが、ピンピィ〜ンと飛ぶからな!!覚悟しとけ!!」

と言って、ニヤリとするのだった。

「きゃぁーーーー、ムチだ!!!

「きゃぁーーーー、先生、暴力反対!!」

と、甲高い声が、教室に響き渡る。それを特に注意することもなく、ニヤニヤしてみている吉川先生。

 教室の一番後ろにいた学級委員長の小林耕三(こばやし こうぞう)君が、

「先生!!ムチってどんなムチなんですか?」

と聞いてくる。その質問に、吉川先生は、ますますニヤニヤしながら、

「それは来週までのお楽しみだ!!ただ一つだけ予告をしておくぞ!!オレのムチは、宿題を忘れた者のパンツ一丁のケツに飛ぶからな、よくおぼえておけ!!」

と言うのだった。

「きゃぁーーーー、厳しいーーーー!!」

と、また教室にふざけた叫び声が響く。

 吉川先生は、

「厳しくなんかないぞ!!宿題を忘れなければ、誰のケツにもムチは飛ばん!!よし!!学級委員長!!号令をかけて!!」

と言うのだった。 

「起立!!」「礼!!」「着席!!」

 終業の号令が終わると、吉川先生は、廊下へと出ていくのだった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 先生が教室から出ていくと、津島君のサッカー部の部活仲間である1年E組の大島君が、津島君を迎えにくる。

「おい、津島・・・保健体育の宿題忘れると、パンツ一丁のケツにムチが飛ぶって、聞いたか?」

「ああ、さっき、先生が言ってたぜ・・・でも、あれ、冗談だろ・・・先生も笑ってたし・・・」

「そうかな・・・オレのクラスでも吉川先生、そう言ってたし、サッカー部の先輩に聞いてみようぜ!」

 その日の部活の練習後、津島君と大島君は、先輩に、大真面目で、吉川先生がいった「ムチ」のことを聞くのだった。

 しかし、どの先輩も、ニヤニヤ笑うばかり、

「今年の中1の担当って、うちの顧問なんだ!!かわいそーー!!ご愁傷さまです・・・」

といって、大笑いの先輩もいた。

 津島君たち1年生の知る限り、サッカー部顧問である吉川先生が、部活で「ムチ」などを使っているところをみたことなどない。サッカー部で吉川先生が顧問として多く関わるのが高校生チームだからだろうか・・・。さらに、津島君は、いままでに、先輩たちが「ムチ」などと言っているところを聞いたこともなかったのだ。

 こういう場合、後輩の質問に対して、まじめに答えてくれる先輩が1人いた。サッカー部中3部員で、中学生チーム主将の山本典之(やまもと のりゆき)君(所属クラスは3年E組)だった。

 山本先輩にもそのことを聞くと、山本先輩は、

「心配するな・・・宿題わすれなきゃ、ムチでは叩かれないだろう?」

と、まじめな顔をして言うのだった。

 まわりにいた中学3年生の先輩たちが、笑いながら、

「津島、ノリ(山本君のこと)の話、あんまり真に受けない方がいいぜ、ノリのヤツは、優等生だからな!そもそも宿題なんてぜってぇー忘れないし、イエローカ―ド食らったことないんだからな・・・」

「シッ!それは中1には秘密だろ!!」

と言うのだった。

「山本さん、イエローカードって何ですか?」

と、津島君が食い下がる。

 山本先輩は、ちょっと困ったような顔をして、

「イエローカードはイエローカードだろ?危険行為をしなければ、イエローカードは出ない、だから、心配するな・・・」

と答えるのだった。

 その答えに当惑した顔をする津島君。まわりの中3サッカー部員たちは、大笑い。

「ノリって、本当にまじめだな!!」

「まじめの前に、クソがつくってな!!」

「なんだと!!もう一回いってみろ!」

と山本君は、自分のことをクソまじめだと言おうとした同期部員のシャツの胸につかみかかろうとする。

「おっと、それは、山本君らしくない非紳士的行為ですねーーー!!」

「イエローカードだ!!」

「キャッハハハハ!!」

「おっと、ノリがイエローカード食らうだなんて、なんか新鮮じゃねーか!!」

「いえてる、いえてる」

 部活の同期たちのふざけた態度に、山本君は、ムッとしたような顔をして、

「チェッ!おまえら、勝手にしろ・・・・」

といって、部室から出ていってしまう。

 津島君は、結局、サッカー部の先輩たちからは、吉川先生の「ムチ」の詳細は教えてもらえなかった。

 津島君は、部活の帰りに、

「あーあ・・・先輩に教えてもらえればな、オレが1Bのみんなに教えて、尊敬されたのに・・・・」

とつぶやくことさかんだった。

 しかし、津島君は、その日曜日に開催された運動会に参加し、応援合戦や、高校生クラスの騎馬戦、棒倒しなど、予想以上に楽しい男子校の運動会を満喫し、吉川先生の「ムチ」のことなど、翌週には、ほとんど忘れてしまっていたのだった。

 

第04章 明和学園伝統の体罰:ケツピン! 

 大運動会が終わった週の木曜日の放課後。

 体育館一階にある体育教官室で、吉川先生が、竹の棒に、黄色いビニールテープをぐるぐると巻きつけている。

「おー、吉川先生、久しぶりにケツピン棒の準備ですかな?」

 同じく体育科教諭で、体育科主任、柔道担当の熊田大五郎先生(45歳)が、興味深げに、吉川先生のケツピン棒を眺めている。 

「ええ、明日の朝のST(ショート・タイム)の時、宿題を忘れたヤツに、これでケツピン指導をする予定です。」

(※)朝のST(ショート・タイム)については、日光さん作「S大南寮編 スピンオフ 目蒲君スペシャル ギョウチュウ検査とケツピン棒」を参考にさせていただました。

 

「ケツピン棒」とは、竹刀の割竹を適当な長さに切った生徒懲戒用の竹ムチ(竹笞)のことだ。

 明和学園・中・高等部で、校則を破った時、調子に乗りすぎてやんちゃをしでかした時、または、勉強を怠けた時など、生徒は、教師から、その竹ムチでケツをピンピィ〜ンと叩かれ躾を受ける。ケツをピンピィ〜ンだから通称「ケツピン棒」だ。

 生徒懲戒用のムチなど、当時の男子校としては、決してめずらしくもなかった。

 そんな時代の中でも、明和学園の竹ムチにおいて特徴的なことは、明中学園の多くの教師、特に、明中学園の卒業生でもあるいわゆるOB先生が、その割竹に、戦後、安価になってきたカラフルなビニールテープを巻いて、独自の「マイ竹ムチ」を持っていたことである。そして、その竹ムチで、中学1年生から高校3年生まで、自身が在学中にそうされたように、生徒のケツをピンピィ〜ンと叩くことが伝統となっており、生徒や教師は、その体罰を、「ケツピン」または「ケツピン指導」と呼んでいた。

 こうして明和学園の生徒たちは、その6年間の在学中、時には学ランズボンの上から、時には体育のジャージトレパンの上から、時には体育短パンの上から、そして、これもまた男子校である明和学園ならではなのだが、時には、校則指定のスクールパンツである白ブリーフのケツに、先生からのケツピン指導をビシビシ受けていたのである。

 

「おお、それは朝からご苦労なことですな。私の学年は、中1、中2としっかり締めましたから、今年になって、やっと少しだけ落ち着いてきたみたいで、以前ほど、生徒を指導する必要がなくなりましたよ。」

と自慢げに言う熊田先生。熊田先生は、その時の中学3年生、サッカー部でいえば、山本典之君の代を、中1から持ち上がりで担当しており、その代の学年を、愛着をこめて、「私の学年」というのだった。

「さすが、それは先生のご指導の賜物だと思います。」

「いやぁ・・・吉川先生もお上手ですな、ワハハハハ!!それでは、失敬しますよ。」

 そう言いながら、熊田先生は、上機嫌で、体育教官室をあとにするのだった。

 体育教官室に残った吉川先生は、黄色いビニールテープを巻き終えた「ケツピン棒」を右手に持ち、ビュッ!ビュッ!ビュッ!と何度か空振りしてみる。ケツピン棒の空を切る鈍い音が誰もいない体育教官室に響き渡る。

 OB先生である吉川先生も、この竹ムチが、尻に飛んできたときの熱い痛みを知っていた。思わず、左右のケツペタがピクッピクッと反応してしまう。

「あいつら、最近、調子にのって、オレのことなめてかかってるからな・・・オレが、なんでも言う事を聞いてくれるやさしいお兄さんやおじさんだと思ったら、大間違いだということを、アイツらのケツにビシッと教えて締めとかないと、今後のアイツらのためにもならんからな・・・明日は、宿題レポート回収奇襲作戦といくか、6時間目に集めると思わせて、朝のSTの時に回収する!!オレも中学生の時は、町田先生の感想文・奇襲回収作戦に、よくひっかかったからな・・・何度、宿題忘れのケツピンを食らったことか・・・フフフ、実際、何人くらいやってきていないのか・・・明日が楽しみだな・・・」

 

第05章 イエローカード  

 金曜日。朝のST (ショート・タイム)。明和学園・1年B組の教室に、担任の吉川進先生の声が響く。

「よし!いま、保健のレポートを先生に提出できない者は、その場に立ち上がってみろ!!」

「えーーー、先生、レポートの提出は、今日の6時間目じゃないんですか?」

「先生は、来週の金曜日提出だと言ったはすだ!!今日は、何曜日だったかな?」

「きったねぇ・・・」

 そんな声が教室から聞こえてくるくらい、4月に明和学園に新入学した中1の生徒たちは、学校に馴染んできていた。

「オラァ!今度、先生にそういう言葉を使ったら、今これからレポートを提出できないヤツと同じ目にあうから、よくみておけ!!レポートを提出できないヤツは早く立ちあがれ!どうした?全員提出か?」

「は、はい・・・忘れました・・・提出できません・・・・」

 まず最初に立ったのは、教室の真ん中あたりに座っていた石井健介(いしい けんすけ)君。部活は野球部。宿題をやろうやろうと思っていたところ、野球部の部活仲間から、「あの研究課題、簡単だぜ・・・6時間目なら、明日、学校でやってもぜってぇー間に合うから。」という誘惑に負けて、昨日は、宿題をやらずに寝てしまったのだ。

 石井君につられるように、教室の後ろの方でも一人、

「は、はい・・・ボクも提出できません・・・・」

と席から立ち上がった生徒がいる。児玉良太(こだま りょうた)君だ。部活はバレーボール部。部活は違うが、津島君と同じ、国鉄・中央線・西荻窪駅で降りることから、津島君とも仲がよく、その日の昼に、津島君からみせてもらって、一緒にレポートをやる約束になっていた。

 そして、最後に、教室の一番前に座っていた、津島裕二君が、

「はい・・・ボクも提出できません・・・・」

と言って、立ち上がったのだ。

 教室から少し笑い声が起きる。

「チビスケは、立っているのか座っているのかわからないな!」

というからかいの言葉が教室から飛ぶ。津島君は、すかさず、「いま言ったの誰だ?」と言わんばかりに、後ろを睨みつける。

 一方、その日の昼休みに、津島君にレポートをみせてもらって、レポートを仕上げるつもりだった児玉君は、

「えっ・・・アイツもやってなかったのか・・・みせてくれるとか言ってたのに・・・」

と思う。

「レポートを忘れたのは、おまえら、3人だけか?」

「は、はい・・・」「は、はい・・・」「は、はい・・・・」

「よし!3人まとめて面倒をみてやる!!約束通り、いま立っている3人は、ズボンを脱いで、前に出てこい!!パンツ一丁だ!!」

「えっ!完全に脱ぐんですか?」

と、津島君、児玉君、石井君以外の、1Bの生徒が、吉川先生に、興奮気味に質問する。 

「そうだ!!ズボンをおろすだけではダメだ!!」

「ひぇ〜〜きびしい・・・上はどうするんですか?」

と、再び、津島君、児玉君、石井君以外の1Bの生徒の質問。

「上はそのままでいい!!何グズグズしてんだ?石井と児玉と津島の3人は、パンツ一丁になって前に出てこい!!」

「は、はい・・・」「は、はい・・・」「は、はい・・・」

 児玉君、石井君の2人は、真っ赤な顔になりながら、学ランズボンを脱ぎ、詰襟学ランの上着はそのままに、スースーするケツをさかんに撫でながら、前にでてくるのだった。

 一番前に立っていた津島君も、学ランズボンを脱ぐと、パンツのケツを両手でさすりながら、その場に立っている。

 吉川先生は、

「よし!おまえら、教壇にあがって、そこに各自間隔をあけて黒板の方を向いて立ち、黒板に両手をついて、ケツを後ろに出せ!!」

と、3人に命令するのだった。

「キャハハハハハハ!!!!」

「キャアーーーーーーー!!!」

 1Bの教室から爆笑とふざけた悲鳴がわき起こる。 

 石井君、児玉君、津島君の3人は、観念したのか、

「は、はい・・・」「は、はい・・・」「は、はい・・・」

と返事をしながら、恥ずかしそうに顔を下に向けたまま、教壇に上がるのだった。

 そして、吉川先生に言われた通り、教室中央の黒板の向って左側から、石井君、児玉君、津島君の順番に適当な間隔を開けて立ち、黒板の方を向くと、両足を少し広げて、黒板に両手をつくのだった。3人の後頭部は、もう耳まで真っ赤だった。

 石井君と児玉君は、詰襟学ランの裾から、スクールブリーフである白ブリーフがみえており、クラスからは、

「やーーーい!!!ケツが丸見えだーーー!!」

「パンツ丸見え!!やーーーい!!!」

と、からかいのヤジが飛ぶ。

 一方、一番廊下側に立って、黒板に両手をついていた津島君は、その体格に比して、詰襟学ランが大きく、その上着丈が長いため、パンツのケツが、詰襟学ランの上着の裾に隠れてしまっていて、見えていなかった。

「先生!!津島君のお尻が見えませーん!!」

と、わざわざ手をあげて、面白おかしく、先生に報告する者がいる。教室は、再び、大爆笑。

「チビスケだからなーーーー!!」

とのヤジも飛ぶ。

「オラァ!!おまえら!!からかうのはやめろ!!今度、からかったら、からかったヤツもパンツ一丁で前に出させるぞ!!」

と、吉川先生は、1Bの連中を諫めるのだった。すぐに静まり返る教室。

 そこで、吉川先生は、ジャージの背中の後ろに隠し持っていた、黄色いビニールテープを巻いた竹棒を、ヌッと取り出して、仰々しく1Bのクラスに見せつけるようにするのだった。

「きゃぁーーーー!!!ムチだ!!!!」

「おおーーーー、こぇーーーーー!!」

との声が、教室に沸き起こる。

 その教室の反応に、黒板に両手をついて、黒板の方をむいていた、石井君、児玉君、津島君の3人も、顔だけ、後ろを向けるのだった。

「あっ・・・・黄色い棒だ・・・・」

と、津島君は、思わずつぶやくのだった。

 吉川先生は、黒板に両手をついてケツを出したままの3人を含めて、1Bクラス全体に説明を始める。

「いいか、これが、明和学園伝統のケツピン棒だ!!」

 「ケツピン」という言葉の響きに、クラスから笑いが起きる。

「おまらのやんちゃ坊主のケツを、ピンピィーンと叩くからそう呼ばれている。特に俺は、おまえらのパンツ一丁のケツをこれで叩くから、覚悟しておけ!!」

 再び、教室から笑い声。黒板に両手をついている3人は、「パンツ一丁のケツ」と聞いて、「パンツ一丁」は嘘ではなかった、もう逃げられないと思い、ゴクリと生唾を飲み込む。 

「明中学園では、当たり前のことを当たり前にやっていれば、ケツを叩かれることなどない!!当たり前のことを当たり前にできないから、ケツを叩かれるんだ!!今日、ケツを叩かれるヤツは、そのことをよく憶えておけ!」

と吉川先生のお説教。 

「は、はい・・・」「は、はい・・・」「は、はい・・・」

と、3人は、神妙な顔つきで、返事をするのだった。

 そして、吉川先生は、3人のパンツのケツを、左側から確認していく。そして、一番右側の津島君だけ、学ランのサイズが大きすぎて、黒板に両手をついてケツをしっかり後ろに突き出しても、パンツがはっきりと見えないことがわかるのだった。

 津島君の尻が学ラン上着の裾に隠れてしまっているかわいい後ろ姿をみながら、津島先生は、苦笑いして、

「津島・・・おまえは、チビスケだからな・・・上着を脱いで、自分の机に置いてから、もう一回、ケツを出してみろ!!」

と指示を出すのだった。

 吉川先生の口から、「チビスケ」という言葉が出て、

「やーい、チビスケ!!しっかりケツ出せやーい!!」

と、教室から、再び、ヤジが飛んでしまう。

 津島君は、顔を真っ赤にして、悔しそうな顔をしていたが、もうその声の方を睨むこともせず、

「は、はい・・・・」

と返事をすると、上着を脱いで、教壇のすぐ下にある自分の机に、その脱いだ学ラン上着をおく。

 上はYシャツ一枚になり、ここでやっと、津島君のスクールブリーフのフロントが、Yシャツの裾から、チラチラと見えるようになる。もちろん、そこには、「1B 津島」と記名がなされていた。

 津島君は、再び、黒板の方を向くと、再び、黒板に両手をついて、ケツを後ろに突き出すのだった。しかし、教室からは、「あっ・・・まだケツがみえない・・・」とざわめきが起こっている。

 吉川先生は、そんなざわめきもある中、

「いいか!!これから挨拶の仕方を教える!!一度しか言わんから、よく覚えておくように。ケツピンの前には『お世話になります!』、ケツピンが終わったら『お世話になりました!』、一発以上ケツを叩かれる場合は、一発毎に数を数えて挨拶する!一発の時は、数を数えなくてよろしい!!」

と言う。それは、二度と言われなくても、一生、忘れない印象的な作法であった。明和学園OBの中には、OB会で酒がはいると、「ケツピンの挨拶の仕方、いまでも憶えてるってこと自体、恥ずかしいよ・・・」と愚痴るヤツも多かった。 

 教室中央の黒板は十分な横長があり、中1生徒3人が、そこに両手をついて横一列に並んでも、吉川先生が、ケツピン棒を振り下ろすための十分な間隔をお互いとることができた。

 しかし、吉川先生が、ケツを出している3人の後ろに回って、3人のケツをピンピィ〜ン!とするには、教壇と一番前に座っている生徒との間に、吉川先生が歩いて入れる以上の間隙を開ける必要があった。

 吉川先生は、

「よし!みんな、机を少しづつ後ろに下げてくれ!」

と、クラスに指示を出す。

ズゥ、ズゥ、ズズゥーー!!

 クラスの机を全員がチョイ下げするこの音は、明中学園において、教室ケツピンが執行される前の、おなじみの音であった。

 伝統のお仕置きの準備が整うと、吉川先生は、右手にもった黄色い竹棒、すなわち、黄色いケツピン棒を、津島君たちのケツを方へ見せつけるようにして、

「いいか!!これは俺からのイエローカードだと思え!!今回はケツピン1発ずつで許してやる!!しかし、今度レポートを忘れたら、おまえら3人の保健体育の点数は0点だ!!」

「は、はい!お世話になります!!」 「は、はい!お世話になります!!」 「は、はい!お世話になります!!」

 吉川先生は、教室の机を下げて開けられた間隙に入ると、教室の床に右足を置いたまま踏ん張り、左足は教壇の上にのせながら、3人の後ろを移動し、3人の白ブリ一丁のケツに黄色い竹ムチを振り下ろしていく。

 吉川先生は、まだ小学校を卒業して1年にも満たないかわいい中1のケツであっても、高校生のケツにするのと同様に、一発、一発、手加減なしのケツピンを食らわしていくのだった。「鉄は熱いうちに打てだ!この一発で懲りてくれよ」の願いをこめて。

 まずは、一発目、石井君のケツ。野球部だけあって、3人の中では、一番の肉厚ケツだ。スクールブリーフからケツがはみ出しそうだ。教頭先生が言っていたように、あっという間の、スクールおパンツの買い替えで母親はため息をつくことであろう。

ヒュッ!ビシッ!

「うぅ・・・お、お世話になりました!!」

 石井君は、すぐさま、黒板についていた両手をパンツのケツの方にもっていき、さかんにケツを上下にさする。

「おーーーー、すげーーーーー」と、石井君のケツに振り下ろされたケツピン棒の音と迫力、そして、石井君の反応に、教室からは思わず「すげー」「こえー」の声が漏れ、それ以降、教室は、吉川先生のケツピン指導を固唾をのんで見守るのであった。

 吉川先生は、後ろを移動して、今度は、児玉君のパンツ一丁のケツに狙いをさだめる。

「よし!次!」

 その声をきき、児玉君は、思わず、首だけ後ろを向けて、吉川先生と吉川先生が振り上げた黄色い竹棒をみてしまう。

「ご、ごめんなさい・・・」

と思わず、泣きべそをかくような声で叫ぶ児玉君。教室から笑い声はでない。もちろん、そんな児玉君にも、吉川先生は、容赦ない。

 振り上げたケツピン棒を、石井君のケツに振り下ろした時と同じ強さで、「あやまっても、もう遅い!」と言わんばかりに、遠慮なく、

ヒュッ!ビシッ!

と、振り下ろすのだ。

「いてぇーーーー!!」

と叫んで、児玉君も、両手でケツをさすりながら、なんともいえないつらそうな表情を顔にうかべる。児玉君のケツは、ジリジリ焼けるような痛みに襲われていたのだ。

 吉川先生は、

「児玉!何かわすれてるぞ!!もう一発いくか?」

と、児玉君に言う。

 児玉君は、ハッとして、

「あっ、お、お世話になりましたーーー」  

と挨拶するのだった。

 そして、吉川先生は、津島君の後ろに来る。津島君のブリーフのケツはまだみえていなかった。津島君のケツがYシャツにさえ隠れてしまっていることに、再び、苦笑いするのだった。

「よし!次!津島!!まだまだパンツがみえんぞ!!もっとしっかりケツを後ろに突きだせ!!」

と指示を出す。

「は、はい・・・」

  詰襟学ランを脱いだばかりの津島君だったが、津島君の着た制服のYシャツの裾は、まだ少し長く、津島君の白ブリ一丁のケツはYシャツの裾に隠れたままだったのだ。

 津島君は、黒板に両手をもっとしっかりついて、上半身をもっと前傾気味にすれば白ブリのケツが丸見えになると思ったのか、黒板に両手をついたまま、両足を摺り足気味に後ろにもっていき、もう教壇から足だけ落ちてしまうのではないかと思えるくらいにめいっぱい、教壇の端の方に両足をつき、体をグッとくの字に曲げるようにして、ケツをプリッと後ろに突き出すのだった。

 しかし、それでも、津島君の白ブリーフのケツは、Yシャツの裾に隠れたまま・・・。その格好が、あまりにも滑稽で、吉川先生は苦笑い。一方、石井君や児玉君のケツの痛がり方をみて、ケツピン棒の威力を思い知らされたクラスからは、笑い声は起きない。緊張の面持ちで、先生が津島君のケツをどうやってパンツ一丁に晒すのか、ジッと見守っていた。

 そして、仕方なく、吉川先生は、津島君のYシャツの裾を、右手に持ったケツピン棒で、丁寧に背中の方へ捲くり上げ、津島君の白ブリ一丁のケツを丸見えにするのだった。

 吉川先生は、丸見えになった津島君の白ブリ一丁のケツに、ケツピン棒を撫でるようにあてるのだった。

「よし!!津島!!いくぞ!!」

 ケツピン棒の「硬い」感触をケツに感じ、思わずゾクッとしてしまう津島君。津島君のケツが、しっかり後ろに突きだされたことを確認すると、吉川先生は、再び、右足は教室の床の上で踏ん張るようにしたまま、左足は教壇に乗せて、手慣れた風に、ケツピン棒を後方へ振りかざす。

「あっ・・・来る・・・」

と、津島君は両目をつむって頭は下げたままだ。

 吉川先生は、公平だ。津島君のやや小ブリのケツにも、最初の2人のケツと同様、情け容赦なく、ケツピン棒を振り下ろす。

 後ろから、

ヒュッ!

と空を切る鋭い音がしたかと思った瞬間、 

ビシッ!

という音とともに、己のパンツのケツに、熱い痛みが走る。

 津島君は、ビックリして、両手をケツにもっていき、必死でさすり、もみながら、

「い、いたッ・・・痛てぇーーーー」

と声を出すのだった。

 吉川先生は、そんな津島君をながめながら、

「津島、何か忘れている!」

と言う。

 津島君もハッとして、

「お・・・お世話になりましたーーーーー!!」

と、まだ声変わりのしていない可愛らしい声で挨拶をするのだった。

 津島君は、なかなか消えてくれないケツのジリジリと焼けるような熱い痛みに、教壇の上で、ピョンピョン飛び跳ねながら、

「いってぇーーーーいってぇーーーー」

と顔を真っ赤にして何度も言い、両手で白ブリーフの木綿生地につつまれたケツをつまむようにしてもみ、その痛みを少しでも和らげようとするのだった。

 その滑稽なしぐさに、吉川先生は苦笑いし、教室からは大爆笑が戻ってくる。

 吉川先生は、ケツをさすりながら、自分の机へと戻っていく3人をみながら、

「こいつら、今日のケツピンで、しっかり反省してくれればいいのだが・・・」

と思うのだった。

 もちろん、1Bでも、先輩たち同様、吉川先生につけられたあだ名は 「イエローカード」

 吉川先生が好んで使う「ケツピン棒」には黄色のビニールテープが巻きつけてあり、それで生徒のケツを叩く時、いつも

「これは俺からのイエローカードだと思え!!」

と言ってから、生徒のケツにビシッ!とムチを入れるのだ。

 もちろん、「イエローカード」の次は「レッドカード」であり、「これに懲りずにまた悪さをしたら、はたまた、勉強を怠けたら、停学か退学だぞ!!」の警告の意味で、吉川先生はこの言葉を使うのだが、実際には、その後、停学処分や退学処分にまでいく生徒はほとんどおらず、吉川先生は、生徒たちから「イエローカード」とあだ名されてしまったわけである。

・・・・・・・・・・・・・・・

 帰りの電車の中、児玉君が、津島君に礼を言う。

「裕二、悪かったな・・・オレにレポートみせるために、朝STの時、提出しなかったんだろ?」

「ま、まあな・・・気にすんなよ・・・イエローカードのケツピンも大したことなかったし・・・6時間目には提出できたんだからさ。それにしてもイエローカードってずるいよな!」

 津島君は、児玉君にそんな強がりを言うのだった。

「じゃあな!」

「じゃあな!また明日!」

 西荻窪駅で三鷹行の電車を降り、児玉君と別れて、独り家路につく津島君。

 友達と別れて、ひとりになると、今日、一発だったがケツピン棒を初めて食らったお尻が、まだ何かムズムズ痒いような気がしてくる。右手で時々、学ランズボンの尻を撫でながら、なぜか情けない気持ちになってくる。

 ケツピン指導を受けるため、パンツ一丁になったとき、クラスメートから「チビスケ」とバカにされたことも思い出され、沸々と、悔しさがこみあげてくる。自分の家の玄関がみえてくると、思わず、泣きそうになるのだった。

 家の門を入り、玄関前まで来たものの、家の中には入らず、肩掛けのカバンを肩にかけたまま、学帽もかぶったまま、玄関先に腰を降ろす津島君だった。学校で嫌なことがあったとき、津島君は、いつもそうして気持ちが落ち着くのを待つのだった。

 どのくらい玄関先に座っていたのだろうか。玄関前の門扉が、キィ〜と開く音がする。思わず顔を上げると、津島君の父親の津島雄太郎がそこに立っていた。いつもより早く仕事から上がって、帰宅したところだったのだ。

「あっ、とうさん!!」

「おお、裕二、こんなところでどうした・・・学校でいやなことでもあったか?」

といって、家の中には入らず、津島君の隣に座るのだった。

「う、うん・・・またチビってバカにされた・・・」

「ハハハハ・・・そんなこと気にすんな・・・いっぱいサッカーして、いっぱい食って、いっぱい寝れば、そのうちデカくなる・・・」

「う、うん・・・」

「あと、いっぱい勉強もしないとな!」

「えっ、勉強?」

「ハハハハ・・・おまえは、勉強が嫌いか・・・」

「う、うん・・・あんまし・・・今日も宿題忘れて、叩かれた・・・お尻・・・・」

「ハハハハ・・・尻を叩かれたか・・・・痛かったか?」

 そういうと津島君の父親は、津島君のまだ学帽をかぶったままの頭に、大きな手のひらをやさしく置く。津島君はその時の感触が好きだった。

「う、うん・・・ちょっとだけ・・・」

「まあ、それはお前がわるいんだから、仕方がないな・・・」

「う、うん・・・わかってる・・・ねえ、なんでボク、兄ちゃんと同じ東和中学じゃなかったの?」

「それは、明和中学がおまえに一番あっていると思ったから、おまえに受験を薦めんたんだよ」

「ふ〜ん・・・そうなんだ・・・」

「学校面白くないのか?」

「い、いや、すごく面白い・・・時々、やなこともあるけど・・・」

「そうか・・・さあ、家の中にはいるぞ!夕飯だ!」

「う、うん!!」

 そういって、津島父子は、温かそうな家の中に入っていくのだった。

「津島先生回顧録 わが母校 明和学園 入学の頃」終わり 

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