お仕置き記録帳 第二譚 <パパ・サンタたちの夜半のミサ> ビシッ!!神父様の愛のムチ
「恐るる勿れ!予は汝の悪行に対し復讐せんとするものにあらず、却って汝を善に導かんとするもの也。予の手は厳なりと雖も、予の心は親切なり」
※警告※
あなたがこれから読もうとする小説は、フィクションです。
また、これらの小説は、成人向けの「大人の懐かしい思い出話」として書かれたもので、未成年者に対する体罰、暴力、虐待、性的ないたずら(大人が快楽を得る目的で未成年者の尻を叩く行為を含む)、そして、それらに関連するあらゆる行為を、支持・奨励・助長することを意図して書かれたものではありません。
私、太朗は、合法・違法を問わず、かかる未成年者に対する行為のすべてに絶対的に反対します。
24日の晩、夜半のミサが終わると、島に住み、小学校6年生までの男の子を持つ信者の父親だけが、「南の島教会」の二階に集るのだった。
その会合は「愛のムチ授与の集り」といって、強制ではないが、小6までの男の子を持つ信者の父親には、その出席が強く勧められていた。
「男の子のいるお父さんたちは大変ですねぇ〜〜!先輩!」
と、村役場に勤めていて小学生の女の子二人の父親である30歳の牧田が、同じ村役場に勤める32歳の岡村豊に話しかけるのだった。
牧田は、その言葉とは裏腹に、先輩の岡村を同情してるわけではなく、ただ、今年の「集り」の情報を聞きたいだけだった。
「まあなぁ・・・でも今年は、オレの息子たちは全員『いい子』でいてくれたからなぁ・・・ケツが助かるよ・・・」
と言って、後輩の方を向くと、ニヤリと笑って目配せをするのだった。
牧田と岡村たちを、山田信(40歳)、鈴木孝(40歳)、田所俊(35歳)たちが浮かない顔で追い抜かしていった。山田は専業農家、鈴木は半農半漁、そして、田所は島で一番「若い」漁師だった。
山田信の次男・信二は、小5にして島のいくつかある腕白少年グループのガキ大将であり、鈴木孝の長男・孝一の親友でもあった。そして、田所俊の長男・俊平は、小4で、鈴木孝の次男・孝二の親友であった。三人の息子とも、お仕置きとは切っても切れない存在だった。
役場の先輩・岡村の目配せに、勘のよい牧田は、
「あ〜〜〜、あの大先輩たちは大変だぁ〜〜〜!」
と言うのだった。そこに集った男たちは、職業こそ違え、全員、島に生まれ、中学までは島の学校に通った者たちであり、山田や鈴木たちは、牧田や岡村の先輩であったのだ。
「まあな・・・じゃあな・・・オレは二階へ行かないと・・・」
「失礼します!あとで報告待ってまぁ〜〜〜〜す!」
「バァ〜〜カ、お前も好きだなぁ〜〜〜!」
こうして、教会の入り口脇にある二階へと続く階段下のところで、牧田と岡村は別れるのだった。
・・・・・・・・・・・・・・・
牧田と別れた岡村は、一人、階段を登って行く。階段を登った突き当たりの部屋の扉には「集会準備室」と書かれていた。そして、その部屋の隣が「小集会室」であった。「愛のムチ授与の集り」はその集会室で行われるのだった。
集会準備室に岡村が入ると、鈴木たちの他に、比較的若い年代の父親たちが10人ほど集っていた。全員、男の子の父親であり、日夜、腕白坊主たちに手を焼いている父親たちであった。
「いやぁ〜〜〜、今年は、うちの悪がきたちのお陰で、愛のムチですよ・・・」
「自分もです・・・どうして男の子は、ああ次から次へと悪さを仕出かすのでしょう・・・」
「お互いにワンパク坊主を持つオヤジはたいへんですなぁ〜〜〜!」
「ええ、35歳を過ぎると、毎年、神父様の愛のムチが辛くなってきます。ああ腕白ばかりしでかすと、ケツがいくつあっても足りませんよ!早く、中学生になってほしいですよ・・・本当に・・・トホホ」
などと、自分たちが少年時代は腕白だったことは棚にあげて、口々に愚痴りながら、洋服を脱ぎ始めるのだった。
しかし、これから始まる「愛のムチ授与の集り」は、そんな父親たちに、自分たちの腕白時代の「痛かった」記憶を、一年に一回、いやでも思い起させる行事だったのだ・・・
その集会に、信者で男の子を持つ父親たちは、白のMサイズ・ブリーフ一丁で出席しなければならなかった。そのため、準備室が脱衣所になっていたのだった。白のMサイズブリーフ一丁になるのは、神の前で少年時代の無垢な心に戻って祈るためと、オヤジとしてまだ未熟であることを確認するためといわれていた。
ブリーフ一丁になると、父親たちは、順次、隣の集会室へ行く。あるものは、白ブリーフのケツをさすりながらだった。
「愛のムチ授与の集り」が行われる小集会室の入り口には、田原司祭見習い(27歳)が立っており、父親たちが入ってくるたびに、
「ご苦労様です。」
と挨拶するのだった。
父親たちは、
「こんばんわ。お世話になります。」
と挨拶しながら、息子たちのあの「心の成長記録」と書かれた大学ノート、すなわち、「お仕置き記録帳」を手渡していくのだった。
そうなのである。「お仕置き記録帳」による息子たちへの躾け法は、なにも鈴木家独自のものではなく、「南の島教会」の主任・司祭である小村厳一司祭(55歳)の指導によるものだった。
もちろん、その指導に従うか否かは、個人の自由だった。しかし、そこに集った父親たちは、自分たちもその「お仕置き記録帳」システムによって、立派な成人男子の育てられたと信じており、神父様と慕う小村の教えに背くはずがなかった。
「南の島教会」の歴代の司祭が提唱する「お仕置き記録帳」による男の子躾け法は、この南の島で長年行われてきた信者たちの慣習だった。そして、24日晩の「愛のムチ授与の集り」は、翌日朝に控えた「お仕置き記録帳」一年間の大清算のための準備としてきわめて大切な儀式だった。
「お仕置き記録帳」に過去一年間に十回以上お仕置きの記録が残されると、教会は、その子を「悪い子」と認定する。そして、「悪い子」一人一人に「愛のムチ」が用意されるのだった。
一方、十回に満たなかった場合は、「いい子」と認定される。「いい子」には、父親が登録し、信者の寄付金の一部から積み立てられる「子供信者プレゼント基金」のお金で購入されたプレゼントが用意されるのだった。
11月末日までに、お仕置き回数が7回以上10回未満の息子たちは、「ボーダーラインいい子」として、プレゼント登録はなされるが、プレゼントは購入されず、24日の晩の「愛のムチ授与の集り」結果発表まで「いい子」認定はなされない。今年の鈴木孝一や孝二のケースである。
父親たちは、息子たちの「お仕置記録帳」を提出すると、部屋に並べられた木の椅子にブリーフ一丁のまま座るのだった。ブリーフのケツにその椅子は妙にひんやりと感じるのだった。
父親たちが全員揃うと、司祭見習いの田原によって回収された大学ノート二十数冊を持って、南の島教会・主任司祭の小村厳一が茶色の司祭服を身にまとい、厳かに部屋に入ってきた。
全員、主任司祭に敬意を表し、椅子から立ち上がって、小村司祭を迎えるのだった。
小村司祭は、神父というイメージには似合わず、真っ黒に日焼けしており、大柄な体格のマッチョマンであった。神学校時代は、ラグビーで鍛えたスポーツマンでもあった。
その司祭の前では、そこに集った決して若いとはいえない父親たちでさえ、全員まだ若くて未熟な息子たちのように見えるのであった。
「愛のムチ授与の集り」の始まりであった。
再び全員が席につくと、まずは、小村司祭が、「愛のムチ」で息子の尻を叩く重要さについての説教するのだった。そして最後に、お祈りをする。
「どうか、ここに集ったみなさんのご子息が、道を間違えませんよう、神のご加護を与えたまえ・・・アーメン・・・」
そして、父親たちの図太い声がそれに続く、
「アーメン・・・」
その祈りが終われば、いよいよ儀式本番であった。
・・・・・・・・・・
腕白三兄弟の父、鈴木孝も、胸がドキドキし、白ブリーフ一丁のケツがなにやらムズムズと疼くような感覚に襲われていた。自分がガキの時代に、クリスマスの朝、父親から「愛のムチ」でケツをしこたま叩かれたことを思い出していた。
小村司祭が厳かに父親たちの名前を一人一人呼ぶのだった。
「岡村豊!ここへ来て神の前に跪きなさい!」
急に厳しくなった小村司祭の声は、大の大人の男をビビらせるほど迫力と威厳に満ちていた。
「はい・・・」
そう返事をすると、岡村は、椅子から立ち上がり、白ブリーフ一丁のまま司祭の前に進み出ると、床に両膝をつき、そこに神に祈りを捧げるように胸の前で両手を合わせて、神父の元に跪くのであった。
「岡村豊!汝の二人の息子、豊雄と豊弥を、我が南の島教会は、『いい子』と認定する!さあ、プレゼントを受け取りなさい!」
部屋の父親たちからどよめきが起こった。すべての息子がパーフェクトで『いい子』と認定されるのは、十年に一度あるかないかのことだった。それは、自分の息子を「いい子」にするために「お仕置き記録帳」にウソを記録するようなことは断じてしない、島の父親たちの正直ぶりの裏返しでもあった。
司祭見習いの田原が、ブリーフ一丁で跪く岡村豊に、プレゼントの入った靴下袋を二つ手渡すのだった。
「あ、ありがとうございます!神父様・・・これもすべて神父様のお導きのお陰です!」
と、岡村は声を弾ませて礼を述べるのだった。
そして、息子たちへのプレゼントを手にして、集会室で順番を待っている他の父親に対して鼻高々といった風で、得意満面の顔をして自分の席へ戻る岡村だった。
小村司祭は、次の父親の名前を呼ぶ。しかし、次からは、息子たち全員がパーフェクト「いい子」というわけにはいかなかった。
ブリーフ一丁で椅子に座り、自分の順番を待つ父親たちは、手に汗を握り、ケツはムズムズであった。さしずめ、悪がき時代に戻ってお仕置きを待つ心境だったに違いない。
すでに「お仕置き記録帳」の中身は知っているはずの父親たちにそういった心情を抱かせる理由は、実は、記録帳の中身ではなく、別に理由があったのだ・・・
例年の順番から次は自分だと思っている山田信(40歳)は、農作業で鍛えられたそのマッチョな体形に似合わず、実は気が小さく、悪ガキ時代からムチの「痛み」にはめっきり弱かった。掌はもう汗でびっしょりであった。
山田は、悪ガキ時代から鈴木孝の親友である。子供も、歳こそ違うが、鈴木と同じ三人息子だった。すでに長男の信一は中学生になって教会の「お仕置き記録帳」からは卒業だったが、孝一と同じ歳で小5の次男・信二と三男で小1の信三が今回の判定の対象だった。
予想の通り、次は山田だった。
「山田信!ここへ来て神の前に跪きなさい!」
と小村司祭の命令だった。
緊張した面持ちで、小刻みに震えながら、
「はい!」
と返事をして立ち上がる山田。
ゆうに180cmを越えるデカイ体と、そのムチッとしたデカイ尻には、集会で穿くことが義務付けられているMサイズの白ブリーフはいかにも窮屈そうだった。
Mサイズの白ブリーフは、これから息子たちに「愛のムチ」を振るう父親たちに、自分の子供時代を思い起させるのであった。
いよいよ、まさにサンタクロース役である小村司祭の判定を聞く時だった。
「いよいよか・・・今年も腕白息子たちのために神父様の『愛のムチ』をケツに食らうのか・・・ああ、40にもなって、かわいい息子のためとはいえ、情けないぜ・・・」
と、そんなことを思いながら、一年ぶりの「愛のムチ」とあって、痛みにはめっきり弱い山田の胸は、もうはちきれんばかりにバクバク脈を打っていた。
「山田信!汝の二人の息子、信二と信三を、我が南の島教会は、『悪い子』と認定せざるを得ない!これから、この愛のムチを、汝に授ける。この愛のムチで迷える子羊たちを正しい方向へ導いておあげなさい!よいな!」
「は、はい・・・・神父様、迷える子羊たちを正しい方向へ導くためには、何回の愛のムチが必要でしょうか?」
と、山田は「お約束」通りに聞くのだった。
「ウム!なかなかよい質問じゃ!信二君は20回、信三君は11回が適当であろう!」
「はい!ありがとうございます!」
もちろん、この一年間、山田家の次男信二は、父親から20回お仕置きを受けたということであり、弟・信三は、11回しかられたということである。
そして、また「お約束」通り、父親の山田信は、小村司祭に願い出るのだった。
「神父様、私は未熟な父親でございます・・・神父様のご指導があったにもかかわらず、私は、この一年、我が息子、信二と信三を正しく導くことができませんでした。どうか、その愛のムチを、息子だけでなく、私の尻にも、息子の犯した悪さの数だけ、存分にお与えくださいませ・・・お願いします。」
「ウム!なかなかよい心がけじゃ!信者の皆さんは我が子同然、この小村、寛大なる父性愛を持って、そなたの尻にこの二本の愛のムチを与えようぞ!」
「愛のムチ」は「悪い子」と認定された子供一人一人に用意される、長さ60cm、直径1cmほどある木製のハタキの柄のような細い棒であった。山田家の場合、信二と信三に一本ずつ二本の「愛のムチ」が、クリスマス用の靴下袋に入れられて用意されていた。
「はい!ありがとうございます!」
「それでは、愛のムチを受ける体勢におつきなさい!」
「はい!」
そう返事をすると、山田信は立ち上がって、祭壇に設えられた台と懺悔用の小さな机の方へ行くのだった。そして、その台の上に両膝をついてひざまずくと、それよりも少し高い小さな机に両肘をついて掌を合わせ、神の像に向かい祈るのであった。
山田信の白ブリーフに覆われたケツは、集会室で椅子に座って自分の番を待つ父親たちの方へ向けられた。そのケツ出しポーズは、鈴木家の子供部屋で、孝一と孝二が、父親の孝からウソをついた罰として木の定規で尻を叩かれたときとまさに同じ格好だった。
小村司祭は、二本のうち一本の愛のムチを右手に握ると、祭壇の上でケツを出す山田の左やや斜め後ろに立ち、
ヒュッ!ヒュッ!
と、細い木の枝でできた愛のムチを空で試し打ちするのだった。
順番を待っている父親たちにとって、その音はブリーフのケツにつき刺さるようないやな痛々しい音だった。
ある父親は、去年の授与式を思い出し、ある父親は、悪ガキ時代に自分の父親から受けた「愛のムチ」のあの焼けつくような鋭い痛みを思い出していた。そして思わず、プリーフ一丁で覆われたケツをキュッと引き締めるのであった。
試し打ちを終えて満足気に頷く小村司祭。小村司祭は、愛のムチをギュッと握り直すと、両足を少し開いて、ムチを振り下ろすスタンスを取った。そして、山田に向かって、厳しく宣言した。
「いいでしょう。少し痛いですぞ・・・」
山田は、
「はい、存分にお願いします。覚悟はできております。アーメン!」
と祈ると、少し開き気味だった両膝をギュッと閉じ、ケツに力を入れケツを後ろにキュッと出した。
ケツに力を入れて後ろにキュッと出すのが、「愛のムチ」の痛みに悲鳴を上げずに耐えられる唯一の方法であることは、島の腕白坊主、かつての腕白坊主なら、誰でも知っていた。もちろん、それを許さず、両膝を少し開いたまま、ケツに力をいれずに自然にケツ出しポーズをとらせる司祭・父親もいることは確かではあるが、小村はそこまで要求はしてこなかった。
そして、山田は、目を瞑り、顔を少し下げて、全身に力を込めて司祭の振り下ろす愛のムチを待つのだった。
「よろしい!田原君、手伝っておあげなさい・・・」
「はい!」
と返事をすると、若い田原は、顔にサディスティックな笑みを浮かべて、山田信の突き出されたケツを覆う、その白のブリーフの腰ゴムを両手で持つと、ブリーフを遠慮なくガバと一気に山田の膝まで引き下ろすのだった。山田信のケツは、むき出しの生にされ、自分の順番を待つ父親たちの前に晒された。
「いよいよだ・・・」
と手に汗握る父親たちだった。もちろん、その中には、孝一・孝二の父親である鈴木孝もいた。
亜熱帯の島の夜は12月といえども蒸し暑い、しかし、そこで祭壇の前で尻を突き出す山田は、ケツにスゥ〜〜〜と肌寒いものを感じるのであった。
小村司祭は、今一度、祭壇の方を向くと、
「おお、神よ・・・どうか、迷える子羊・山田信を正しき道へとお導き下さい・・・アーメン!」
と祈るのだった。
山田信の生ケツペロンの後ろ姿は、迷える子羊というよりも、迷って暴れる盛りのついた闘牛といった感じであったが、厳粛な儀式に臨んで、そんなことを考える不届き者はいなかった。
小村司祭は、今度は椅子に座って待つ父親の方を向くと、
「さあ、山田信さんのために皆さんも祈ってください!」
と指示を出した。
司祭の指示で、ブリーフ一丁で自分の愛のムチの番を待つ父親たちは全員、低い図太い声で、
「アーメン!」
と、司祭同様に神に祈りを捧げるのだった。
小村司祭は、厳かに山田信の突き出されたケツの方へ向きなおした。そして、再び、ムチ打ちのスタンスを取ると、おもむろに、右手に握った信二用の愛のムチをギュッと握りなおし、それを頭の上に高々と振り上げるのであった。
「まずは、信二君の愛のムチで20回です!」
小村司祭はそういうと、振り上げた愛のムチを、思い切り山田信の生ケツめがけて振り下ろすのだった。
ヒュッ!!!!!
ビシィ〜〜〜〜〜ッ!
その鋭い音に思わず目を瞑ってしまう父親たちもいた。
愛のムチは、まさに鋭い切れるようなうなりを上げて、山田信の生ケツの中央あたりに着地、いや、着ケツしたのだった・・・
「あ、あぁ・・・・・・」
と、気持ちよいのか(爆)、痛いのか、なんともいえない切ないうめき声を上げる山田信だった。
そして、まるで白ブリーフで縛られたような両膝をモジモジと動かし、それにつられて、まるでつぎの一発をおねだりするかのようにケツまでもモジモジと振るのだった。
いつもは豪快で、その怒鳴り声一喝で、100人の大の男を泣かすことさえできると、村では強面で通っている山田信も、ケツの焼けるような愛のムチの痛みに、いつもはみせることのない、弱々しいしぐさを晒さざるを得なかった。
山田のムッチリとしたデカケツの中央に、薄っすらとしたピンク色の線が走っていた。
山田のうめき声を無視するかのように、
ヒュッ!!!!!ビシィ〜〜〜〜〜ッ!ケツやや下!
ヒュッ!!!!!ビシィ〜〜〜〜〜ッ!ケツやや上!
ヒュッ!!!!!ビシィ〜〜〜〜〜ッ!再びケツ中央!
と、山田信のむき出しのケツに愛のムチを振り下ろす小村だった。
・・・・・・・・・
ヒュッ!!!!!ビシィ〜〜〜〜〜ッ!
ヒュッ!!!!!ビシィ〜〜〜〜〜ッ!
ヒュッ!!!!!ビシィ〜〜〜〜〜ッ!
山田信のケツには、何本もの赤い線が焼き付けられていた。一発目はピンク色だったその線も、線の上にさらに愛のムチが振り下ろされ、赤みをだんだん増していくのだった。
次男・信二用の愛のムチのオヤジのケツへの着地が十五発を越える頃になると、愛のムチがケツに着ケツの度に、
「ア、あ、あ、アッあぁ〜〜〜〜〜〜〜ん!」
と、なんとも切ない遠吠えのようなうめき声を上げる始める山田信だった。
ヒュッ!!!!!ビシィ〜〜〜〜〜ッ!
ヒュッ!!!!!ビシィ〜〜〜〜〜ッ!
ヒュッ!!!!!ビシィ〜〜〜〜〜ッ!
そして、生ケツに焼き付けられた赤い筋の本数が増し、その色が濃く鮮明になる毎に、その声は大きくなり、
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、アッアァ〜〜〜〜〜ん!」
と、仰け反るように上体を少し起し、まるでよがるような何ともいえないうめき声を上げ、ケツをさらにモジモジ振り振りするのだった。
山田信がそのデッカいムッチリケツをナヨナヨと振るその様は、まるで神父様に「愛のムチ」をオネダリするかのようだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
ヒュッ!!!!!ビシィ〜〜〜〜〜ッ!
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、アッアァ〜〜〜〜〜ん!」
ヒュッ!!!!!ビシィ〜〜〜〜〜ッ!
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、アッアァ〜〜〜〜〜ん!」
ヒュッ!!!!!ビシィ〜〜〜〜〜ッ!
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、アッアァ〜〜〜〜〜ん!もっとぉ〜〜〜〜〜!もっと、愛のムチを私の尻に容赦なくお与え下さい・・・私を愛のムチで正しくお導き下さい・・・・女王様(メガトン級爆!)、いや違う!神父様・・・あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、アッアァ〜〜〜〜〜ん!」
と、ついにとんでもことをいい始める山田信だった。それに目が点の父親たち・・・「えっ!先輩、自分も女王様のお部屋に行きたいッス・・・」と密かに思う、山田の後輩オヤジたちも少なくなかったらしい・・・
ヒュッ!!!!!ビシィ〜〜〜〜〜ッ!
ヒュッ!!!!!ビシィ〜〜〜〜〜ッ!
ヒュッ!!!!!ビシィ〜〜〜〜〜ッ!
と、結局、信二の愛のムチで20発、信三の愛のムチで11発をその生ケツに受けた山田信だった。
山田のムッチリとした厚みのあるケツ全面に、何本もついた愛のムチの深紅のムチ痕。その筋からは、薄っすら血さえ滲んでいた。
小村司祭は、原田に、
「消毒してあげなさい!」
と命令するのだった。
再び、顔にサディスティックな笑みを浮かべ、自らもブリーフの中の一物をビンビンに強張らせ、数ある消毒液の中でも一番凍みるオキシドールを脱脂綿につけて、それを山田の傷ついたケツに遠慮なく、ギュッ!ギュッ!と押し付ける司祭見習いの田原であった。
「あぁっ・・・・し、凍みる・・・あぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
と、なんとも切なく苦しげな声を上げる山田信だった。焼け付くようにヒリヒリするケツに、焼け付くように凍みる消毒液を塗られ、かつての島一番のガキ大将、さしもの豪傑男・山田信も、身をくねらせてもだえるのだった。
しかし、山田の男の一物は、ペタッと下腹にくっついたままだったことを、そこにいたムチ打ちを待つ、腕白坊主たちの父親全員が気がついていた・・・そして、ムチ打たれても立派に屹立している山田の一物に畏敬のまなざしを向けるのであった。自分もこうでありたいと・・。山田信、40歳にしては、なかなか生きのいい一物の持ち主ではある!
「さあ、よく耐えられました。これで神のご加護がきっとあることでしょう。さあ、お立ちなさい。この愛のムチを持って、そなたの迷えるご子息を正しい道へと導くのじゃ!」
司祭のその言葉を聞いて、祭壇の愛のムチを受けるために設えた「ムチ打ち台」から降りて、ケツがこすれないように、そぉ〜〜〜〜とブリーフを上げる山田信だった。股間の一物は、まだヒクヒクと山田の下腹を打ち、そして、それはブリーフの中に窮屈そうに仕舞われるのであった。
司祭は、二本の「愛のムチ」についた山田信のケツから滲んだ血をきれいに拭き取り、そして、クリスマスプレゼント用の長い靴下袋にそれぞれ大切にお収めるのであった。
そして、山田信は、再び祭壇正面の小村司祭の元に跪くと、その二本の「愛のムチ」をうやうやしく受け取るのであった。
山田信が受け取った二つの靴下袋の表には、一方には「信二君へ」、もう一方には「信三君へ」と書かれていた。翌朝、二人の腕白坊主へオヤジ・サンタから届けられる「痛くて熱い」愛のムチであった・・・
山田信は、ブリーフの股間の強張りを隠す風もなく立ち上がると、ブリーフがまだ痛むケツに触れないように、腰ゴムの後ろの部分を拡げながら、
「あいつら・・・待ってろよ・・・今年もビシッとケツをぶっ叩いてやるからな・・・来年は、岡村のところように、パーフェクト『いい子』の判定を狙うぜ!!!」
と、ガキ大将からすっかりとスパルタ・パパへと戻り、ブツブツとつぶやきながら席に戻るのだった。そして、腿に力をグッと入れて、ケツにひびかないように、そぉ〜〜〜と自分の椅子に座るのであった。
・・・・・・・・・・・・・・・
このようにして、そこに集った腕白坊主を息子に持つ十人ほどのオヤジたちに「愛のムチ」が渡されていったのである。
全員ではないが、父親の中には、山田のように「愛のムチ」をいただいている最中、またはその前後に、ブリーフの股間を強張らせる者もいた。しかし、島民の男同士、特に、南の島教会の信者の男親たちの間では、それは別に珍しいことでも恥ずかしいことでもなかった。
もちろん、息子たちに「愛のムチ」を与える時に股間を強張らせる親は、すくなくともその南の島には断じていないことを、読者の皆様にはここで断っておきたい。
股間の強張りよりは、むしろ、所定の回数しっかりと愛のムチを受け止められず、司祭に許しを請うてギブアップしたりすることの方が、父親として息子をムチ打つ資格はなく、恥ずかしいこととされていた。
「愛のムチ」で所定の回数、むき出しのケツを打たれる痛さ・辛さを自らのケツで経験した父親こそが、子供に愛のムチを与える資格があると、信者たちは確信していたのだった。
また、この集会での愛のムチの受け方は、島の男たちの、職業を越えた「暗黙の序列」に影響を及ぼすといわれていた。その南の島の歴代村長は、すべて村の出身で、腕白坊主の男の子を立派に育て上げた経験者がほとんどであることからも、それが推測できた。
もちろん、すべての父親が、山田信のように「豪快に」よがりまくるわけではなかった。あるものは、じっと耐えて涙しながら神に祈りを捧げ、あるものは、ストイックにジッと耐え、何事もなかったようにブリーフ上げて、席につくのであった。悲鳴をあげる者もいた。しかし、男のプライドに賭けても、決して途中でギブアップはできないのであった。
まさに、そこは、男同士が、生ケツを晒し、神父様からの愛のムチの焼けるような痛みを我慢し、腕白坊主を育て上げていかなければならない父親の強さを証明しあう、そんな場でもあったのだ。
・・・・・・・・・・・・・
子供時代、山田信とは悪がき仲間だった、鈴木孝の愛のムチの受け方は、まさにジッと耐える、涙さえ流さないストイックなものだった。
孝一、孝二の父親、鈴木孝は、自分の番が来ると、祭壇に設えられた「ケツ打ち台」の上に少し両膝を開いて跪き、そして、前の机のところに両肘をついて祈るのだった。
今年は、孝一に加えて、孝二の分も打たれなければならなかった。
例によって、田原見習い司祭によって、遠慮なくプリーフが膝やや上までずりおろされると、鈴木孝も、ケツにスゥ〜〜〜としたものを感じ、思わずケツに鳥肌が立つのだった。「愛のムチ」をいただく前の一番嫌な瞬間であった。
鈴木孝は、こうしてケツをむき出しにされて、ケツ打ちのために尻を突き出していると、いつも自分の腕白坊主時代のことを思い出すのだった。
鈴木のオヤジは漁師で、孝は、悪がき時代、荒縄を塩水に浸して硬くした「ムチ」でよくケツを殴られたものだった。特に、小6の時、山田信に誘われて、島の果樹園からマンゴーフルーツを盗んだ時は、山田とともに素っ裸で島の広場に縛られて、島の駐在さん(警察官)立会いのもと、神父様からの「公開」愛のムチをいただいたのだった・・・それから、家にかえって、オヤジから2−3日座れなくなるくらい尻を叩かたものだった・・・・
「あの時は、痛かったよなぁ〜〜〜・・・でも、山田とマンゴーを好きなだけ食ったもんなぁ〜〜〜〜、あれはうまかった・・・」
と、子供時代の痛くも懐かしい想い出に浸りながら、ニヤニヤする鈴木孝・・・・そんな想いにふけっていると、鈴木孝の股間に下がった雄竿は、ムクムクと鎌首をもたげ、山田同様、下腹にピタッと張り付いてしまうのだった。40にしては、山田同様、なかなか生きのいい一物ではある。
鈴木が、自分の一物が「愛のムチ」を受ける際に反応してしまうのに気がついたのは、小5の時だった。中学生になって「愛のムチ」から卒業しても、時々は、クリスマスに父親から受けた「愛のムチ」のことを思い出し、自分の一物を摩擦し慰めることもしばしばであった。もちろん、鈴木孝の一物が反応するのは自分が「愛のムチ」を受ける時であり、息子たちに「愛のムチ」を振るう時ではないので、ご安心いただきたい。
ヒュッ!!!!!!
という愛のムチが空を切る音で、鈴木の甘美な腕白時代の白日夢は破られた。
ビシッ!!!!!!!!
と鋭い音をたてて、小村によって振り下ろされた孝一の「愛のムチ」は、鈴木孝のケツの下の方、ほとんど腿の上の方に近い、一番神経が過敏な部分に着ケツしたのだった!
「い、痛っ・・・・あぁ〜〜〜〜〜〜!!」
と思わず悲鳴にも似た声をあげる鈴木孝だった・・・
父親たちがムチ打たれている最中、椅子に座って待つ他の父親たちは、下を向いて祈っているのが礼儀とされた。もちろん、ニヤニヤとムチ打ちを眺めている不届きな父親がいなかったとは言わないが・・・
しかし、その悲鳴には、ほとんどの父親が思わず顔を上げたのであった。鈴木の水泳選手のように引き締まった、まだ幼かった頃の風貌を残すチェリーのような「かわいい」ケツの、下の部分に薄っすらとピンク色の線が一本走っていた・・・鈴木は全身黒く日焼けしていたが、ケツの部分だけは、ブリーフの後が白ぉ〜〜〜く残っていた。
鈴木は、両股をやや開き気味にして跪き、「愛のムチ」を受けるためケツを出しているのだった。両股がやや開いているため、腿までズリ下ろされたブリーフが拡がって、その裏フロントの黄色い染みが後ろにいる父親たちに丸見えになるくらいであった。
そして、開いた両腿の間からは、鈴木の男の精がズッシリと溜まっているふたつ金の玉をやさしくつつむ黒光りした玉袋が重量感タップリにぶら下がっているのが見えた。鎌首をもたげた鈴木の「もう一人」の愚息の影響か、その玉袋はすでに胡桃のようにしわくちゃになって縮んでおり、「発射」寸前のようであった・・・
「鈴木さんが、悲鳴をあげている・・・」
「鈴木さんが悲鳴だなんて・・・今のは、相当痛かったんだ・・・」
「まさにツボに入った一撃だ・・・神父様も情け容赦のないことだ・・・」
「一発目とはものすごく痛いんだよなぁ・・・しかも、腿に一番近い部分だ・・・神父様も酷だなぁ〜〜〜ああ・・・次は俺の番だ・・・」
と、父親たちはそれぞれに思うのであった。
鈴木孝は、思わず声をあげてしまった自分の不覚を恥じた・・・一年ぶりの「愛のムチ」の痛みは、孝の頭に忘れかけていた去年の孝一の分の「愛のムチ」15発の痛かった記憶を鮮明によみがえられせるほど強烈なものであった。
「い、いかん・・・次からはもっとしっかり受け止めないと・・・アーメン!」
と、二発目を覚悟して目をつむり祈るのだった。
ヒュッ!!!!!!ビシッ!!!!!!!!
「うぅ・・・・」
と低いうめき声をあげて、二発目グッと耐える鈴木孝。
いつもの孝に戻っていた。少し両膝を開き気味にして「自然体」でケツを差し出す、鈴木孝「こだわり」のケツ出し体勢のままグッと耐えるのだった。
山田を含めた多くの父親が、両膝をキュッと閉じ、ケツにグッと力を入れて思い切り後ろへケツを突き出して、「愛のムチ」の痛みを我慢する。これは、島の腕白坊主たちによって代々受け継がれている「ギブアップすることなくどうにか『愛のムチ』に耐えられるケツ出しポーズ」であった。もちろんそれは、山田信や鈴木孝の息子たちにも受け継がれていた。
しかし、鈴木孝は、自分が「愛のムチ」を受けるときは、そのケツ出しポーズを潔しとしなかった。鈴木に言わせれば、そのポーズは、なにやら女々しいのであった。男はやはり股を開き気味に構えて自然体でケツを出し、恥ずかしげもなく金玉袋を後ろに晒し、威風堂々と「愛のムチ」を食らべきだと思っていた。もちろん孝はそれを息子たちに強制したりはしなかったが・・・
そんなわけで、鈴木のケツ出しポーズは、いつも島の男たちから、
「鈴木さんはよくあんな格好で我慢できるなぁ〜〜〜」
と密かに尊敬を集めていたのだった。鈴木孝こそが、将来の村長候補の最右翼だったのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ヒュッ!!!!!!ビシッ!!!!!!!!
「うぅ・・・・」
ヒュッ!!!!!!ビシッ!!!!!!!!
「うぅ・・・・」
と、神父様の「愛のムチ」は、唸りをあげて鈴木孝のケツに着ケツしていた。
すでにそこに集まった半分以上のブリーフ一丁の父親たちに「愛のムチ」を振るった小村司祭の額にはうっすら汗が滲んでいた。島の悪がきたちの父親たちに与える愛のムチは、毎クリスマス、総計で200発を越えるのが通常だった。小村は、この日に備えて、50代半ばながも、毎日、腕立てと腹筋は欠かさない、元気モリモリ!筋トレオヤジであった。
ヒュッ!!!!!!ビシッ!!!!!!!!
「うぅ・・・・」
ヒュッ!!!!!!ビシッ!!!!!!!!
「うぅ・・・・」
孝一の分10発、孝二の分12発、合計22発を、最初の一発を除いて、鈴木孝は、悲鳴を上げることもこともなく、ケツを引くこともなく、ジッと耐えようとしていた。
そして、
ヒュッ!!!!!!ビシ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!!!!!!
と、最後の一本が孝のケツに着ケツした。
「あ、あぁ・・・・・・・」
と、最後には切なげな声を思わず漏らす鈴木だった。
孝のケツには、真っ赤な何本もの「愛のムチ」による筋がついていた。そして、その何本かからは、うっすらと血が滲んでいたのだった。
「愛のムチ」授与が終わると、もちろん、田原見習い司祭のオキシドール消毒にもグッと耐え、小村に促され、立ち上がってブリーフをそぉ〜〜〜っとあげて席に戻る鈴木だった。そして、ケツに響かないように、腿にグッと力を入れて、そぉ〜〜〜と木の椅子に座るのであった。
鈴木の席は、山田の隣だった。何も言わずに、握手だけ求めてくる山田信。二人はグッと握手をし、腕白坊主の父親であることの試練を今年もなんとか乗り切ったことを祝福し合うのであった。
鈴木の隣は、まだ「愛のムチ」が終わっていない田所俊(35)だった。かすかに震えている・・・大の男であっても、いざ、「愛のムチ」をいただく段になると震えが走る・・・
「田所俊!ここへ来て神の前に跪きなさい!」
と、田所を呼ぶ厳しい小村司祭の声。
「は、はい・・・・」
と、小刻みに震えながら、
「じゃ、じゃあ、行ってきます・・・し、失礼します・・・」
と山田と鈴木に挨拶しながら、山田と鈴木の座っている前を通って、祭壇へと向かう田所俊。
その田所を励ますかのように、山田と鈴木は、田所のブリーフ一丁のケツをポン、ポンと親しみを持って叩いてやるのだった。
・・・・・・・・・・
このようにして、そこに集まった父親たちのうち、岡村をのぞく全員が「愛のムチ」を授与されたのであった。特に、大人になって、初めて「愛のムチ」を食らった父親たちの中には、悲鳴をあげて泣いていたものもいたという。
ほとんどの父親が赤い顔をして、右手で痛々しげに尻を撫でていた。少々情けないしぐさではある。ブリーフに薄っすらと赤く血が滲んでいるものもいた。
「あ〜〜ケツが痛む・・・来年こそは、息子たちを『いい子』に導いてみせるぞ!一人前の父親になって、神父様からお褒めのことばをいただくんだ!」
「心を鬼にして、愛のムチを息子たちに振るいましょう!」
「ああ、そうですね。タップリと反省してもらって来年は『いい子』になってもらわんと・・・こう毎年『悪い子』判定だと、こっちのケツが持ちませんよ・・・」
そんなことを口々につぶやきながら、着替えが終わると、明日の朝、今度は息子たちのケツにビシッ!と振り下ろされる「愛のムチ」が入った靴下袋を持って、それぞれ教会を後にする父親たちであった。どの父親も、ブリーフの中の熱るケツが、歩くたびにひびき、揺らり揺らりと揺れて泣いているであった。
そんな中、鈴木孝は、少々気が重かった・・・今年は、次男の孝二を「愛のムチ」で12発も叩かなければならない・・・孝二は、その年、生まれて初めての「悪い子」判定だったのだ・・・
「アイツ・・・泣くだろうな・・・でも、オマケも手加減もできない・・・12発だ・・・孝二・・・男の子だったら、最後まで歯を喰いしばって頑張ってくれよ・・・ケツ打ちが終わったら、ギュッと抱きしめて甘えさせてやるからな・・・」
とつぶやきながら、子供たちが待つ家へと急ぐ鈴木孝だった。
もちろん、神父様のように、ケツから血が滲むほど子供の尻を叩く父親はいないので、読者の皆様には、心配ご無用である。